見出し画像

クメール・ルージュって知ってる?

こんにちは
私は千葉で農業を営んでいる一人の農家です。
今回は、「無農薬vs慣行」の議論について書いてみようと思います。

最近Twitterの農業界隈では「無農薬派」「自然栽培派」と農家との闘いが過熱しています。
無農薬派、自然栽培派の人をここでは「自然派」と呼ばせて頂きますが、彼らが言うには・・・

作物は自然界で存在しているのだから、肥料や農薬など、自然界に存在しない薬品を使うのは良くない。自然の流れに任せて栽培した方が良い物ができる。といった論述をしています。

他方で農家側が言うには・・・

農業は食料生産という大事な使命がある。仮に自然農法で栽培した場合、生産量はとてつもなく落ちて、多くの人が飢えてしまう。なぜ農薬があるのか、なぜ肥料があるのか、それは現在の人口を支えるために必要な資材なんだ。

という感じで議論はいつも平行線です。私は農家なので、農家派の意見を推したいですが、もちろん自然派さんの言いたいことはわかります。

というカオスな最近の農業Twitterですが、私的には一つ提言をしたいのです。

「クメール・ルージュって知ってる?」

ここからカンボジアの歴史に関する長い昔話をします。ザックリ読みたい人は次の太文字まで飛ばしてください。

その昔、カンボジアという国にサロト・サルという人が居ました。
彼は地方の農村の豪農の息子として幼少期を過ごしていました。
中学校、高校と有名進学校に進みましたが、成績はあまりよろしくなく、大学には行けず工業専門学校に進学します。
成績は良くなかったのですが、真面目に勉強していたため、専門学校からフランスへの留学切符を手にすることができました。
彼はそのままフランスへ留学しますが・・・
やはり授業にはついていけず、同じくカンボジア留学生の仲間達と交流するようになります。
留学生らは、今後の母国を変えるにはどうすれば良いのか議論を加熱させます。そんな彼らが出した結論は・・・共産主義でした。

共産主義とは、資産をみんなで共有するという思想です。どんな資産もみんなで平等に分け、格差の無い国を作ろうという感じです。
努力が報われないサロト・サルには、共産主義は夢のような国家に見えたのではないでしょうか。

共産主義に魅入られたサロト・サルは、無論フランスでの授業に付いていけず落第し、カンボジアに送り返されます。
当時のカンボジアはフランスの植民地状態であり、重税に苦しむ国民が反旗を翻し、内戦状態でした。

フランスから帰ったサロト・サルが、フランスのせいで荒れ果てた母国を見て何を思ったでしょうか。
おそらく、資本主義への憎悪でしょう。
彼は共産主義への思いをドンドンと高ぶらせていきます。

さて、当時カンボジアの国王だったシアヌークは、外交により国際世論を味方に付けてフランスからの独立を果たします。
その後、自分を国王として王政社会主義による統治を目指していきます。
簡単に言うと、俺が独立させたんだから、俺の言うこと聞いてよ。って感じの国を作ろうってことです。

シアヌークはカンボジア国内にいる共産主義者を恐れ、国内における脱共産主義を掲げます。自分と違う思想の人間を排除しにかかったってことです。
共産主義者は即刻逮捕!共産主義的発言もダメ!って感じだったらしいです。

無論、サロト・サルも標的になり、仕方なく地方の農村に逃げ、難を逃れます。サロト・サルは貧しい農村での暮らしを通して考え方が変わります。それまでインテリに囲まれて、マルクスやレーニンだといった思想に浸かっていましたが、「農民こそ大事である」という思想にたどり着きます。

これが「原始共産主義」です。
つまり、みんなで原始時代のレベルまで戻れば良いじゃないか。そうしたら貧富の格差などない世界になる。という感じです。

そのころ、カンボジアのお隣のベトナムではベトナム戦争が勃発します。
当時、ベトナムは共産主義の北ベトナムと資本主義の南ベトナムに分かれて争っていました。アメリカは資本主義を掲げる南ベトナムに介入します。

この時、カンボジアは北ベトナムを応援していたのですが、アメリカはカンボジア国内で資本主義に傾倒していたロン・ノルという首相に目を付けます。ロン・ノルに多額の援助を行い、クーデターを起こさせ、シアヌーク政権を倒してアメリカの味方になるロン・ノル政権を作りました。

ロン・ノル政権は反ベトナムを掲げ、カンボジア国内に居るとされるベトナム人を倒すためにアメリカ軍に国内を空爆させました。アメリカの言いなりだったわけです。自国の大統領が自国を空爆させるなんてアホだろ!
なんて国内では当時の政権への不満は高まり、反政府の機運が高まります。

ここで現れたのがサロト・サル率いるクメール・ルージュです。
クメール・ルージュは共産主義を掲げる過激派反政府勢力であり、北ベトナムの支援を受けて、カンボジア国内で内戦状態になります。
また、シアヌーク派からの支援も得ていたそうです。
過去、弾圧した共産主義団体に支援するほどシアヌーク派も必死だったわけです。

その後、国民の支持を多く受けたクメール・ルージュが勝利し、サロト・サルが実権を握ることとなります。このころ、国民の英雄となったサロト・サルは名前を変えたそうです。

ポル・ポトに・・・

クメール・ルージュが行ったこと

ポル・ポトは原始共産主義を掲げ、都市文明を排除していきました。
都市部の住民は、地方に強制移住させられ、農業に従事させられました。
原始時代はお金など無かった。ということで資産はすべて剥奪されました。
医療機関などの近代的なものは全て廃止。
医師、技術者、教師などのインテリは全員処刑されました。
原始時代に知識は不要という理由と、反逆を恐れていたのではと言われています。
また、メガネをかけているものは知識人なので処刑、本を持っているものも知識人なので処刑、手がキレイな物は農作業をしていないので処刑・・・などなど、明らかにおかしい政治が行われました。

そんな無茶な政策が通るの?と思うかもしれませんが、ポル・ポトに異を唱える政治家が居た場合、拷問のうえ処刑されたそうです。
また、政府に異を唱える国民が居れば即座に処刑され、その家族までも処刑されました。
これは留学時代に読んだスターリンの著書に影響されたと言われています。
スターリンは共産主義を実行するために、邪魔するものは排除すべきであると唱えていました。

さて、みんなで原始時代に戻ろうよ。という思想の原始共産主義でしたが、もちろん農業生産性は格段に落ちます
近代農業を廃止し、全てを手作業で行うのだから当たり前です。
化学肥料も使用を禁じられていました
一方でクメール・ルージュは農業輸出を検討しており、当初の計画よりも遥かに下回る生産量だったため、農民の食料を奪い取る形で輸出を行いました。飢餓輸出です。その結果、多くの農民は餓死したとされています。

余談ですが、クメール・ルージュ内部に農業の専門家は居なかったそうです。

そんな状態ですから、カンボジアからベトナムに逃げる人も居ました。
無論、クメール・ルージュがそんなことを許すはずもなく、ベトナムに逃げた先で現地人もろとも処刑したそうです。

これに怒ったベトナムはカンボジアへの圧力を高めます。
カンボジア側も抵抗・・・できませんでした。
当たり前です。生産性の低い農業により国民は疲弊しきっています。
外貨を獲得することも難しく、武器はありません。
ポル・ポト政権はあっけなく終わりを告げました。

クメール・ルージュから学ぼう

日本でこんなことが起きるはずはありません。
ですが、こういう歴史があったことを覚えておくことは重要ではないでしょうか?

最近、みんなで農業をしよう。という思想が流行っているように思います。
それは良いことだと思います。農業・・・つまり食料生産に従事する人が増えることはとても良いことです。

ですが、自然栽培など無農薬や化学肥料を使わずに育てようとするパターンが多いと思います。
農業生産性が減ることがどれほど怖いか、クメール・ルージュのやった結果を考えればわかると思います。大勢の国民が生産性の低い農法に従事する場合、社会全体の生産性が低下するのです。

というかそもそも、食料生産の前に、エネルギー政策の方が大事です。
ガソリンや電気が無ければそもそも農業はできません。
よく、食料自給率などやり玉にあがりますが、国防という考えの場合、着眼点がちょっと違うのです。エネルギーの方が大事です。もっと言うと日本はエネルギーを自給できないので、外貨獲得手段の方がもっと大事です。
円安はマジでヤバいんです。

私は自然派の台頭が決して悪いことではないと思います。
皆さんが農業を重要と考えてくれているからこその意見だと思うからです。
ですが、0か100かの議論はもう止めにしませんか?
お互いに将来の日本を案じるのであれば50の議論をしませんか?

今回の記事が、あなたのお役に立てたら幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?