2024年、日本一周完結へ ~さよなら未踏破県、新たなステージへ~
2023年中に47都道府県回ることはできませんでしたが、どうにか2年分の遅れは取り戻せました。
めでたしめでたし・・・と言いたいところですが、今年度中には行けるかな?と考えだしていよいよ限界社会人になってきました(顔面グニャア)。
それはさておき、2024年一発目の県外は・・・なんと岐阜県。
実は昨年末、勉強のため出張にいかないかと上司から誘いを受け、快諾してしまったんですね。
まあその、空いた時間は好きにできるし、いっか!と軽い気持ちで引き受けたけどその後出勤した時に自分の業務がたくさんデスクに積まれてて鬱になりかけました(大袈裟)。
スーツ姿で金華山を上り、会う人々に恐怖を与えました(強者)。
・・・恐怖というより「なんだこいつ」というようなまなざしだったような気が。
さすがに下山は厳しかったので、帰りはロープウェーで帰りました。
登山は軽い気持ちで行っちゃダメ、絶対。
こんな山なので、所要時間短いじゃーん!と安易な気持ちで変なルートを選ばない方がいいです。なおこの日の午後から用務なのになんで遊んでいるんですかねえ(他人事のように困惑する)。
用務も無事終わり、ホテルに帰着。
後はゆっくりするだけ。
ダラダラして、すぐ眠りました。
翌日は土曜日なので、お仕事から解放されて東海・近畿圏内を朝から回れるとかいう絶好のチャンス。ということで朝早くに岐阜を出て京都に行きました。
前々から行きたかった三十三間堂へ。
めちゃくちゃ多くの仏像があって、圧巻でした。
お香を主食にする仏様がいて、「いやいや、あれは食えるにおいちゃうやろ」と思わずツッコミそうになりつつ、寺内を歩き回りました。
ここって、弓道の聖地でもあるんですね。
平家ゆかりの地というのは分かってたんですけども。
そうそう、近場に京都国立博物館があったので行こうと思ったんですけど新幹線に間に合わなかったらどうしようと思って行きませんでした。
新大阪まで出て、お昼を食べ、そして新幹線に乗車。
土曜日のお昼の便だったためかとても空いていました。
しかも車掌さんが車窓からの景色を紹介。
ん?なんか相当よくない?
というわけで早速県外に出たわけですが、もちろん1月中にも私的な旅行をしてきました。
・第二次東北遠征(1月)
二度目の東北。
いよいよ東北制覇が見えてきました。
まずは初日、山形空港に到着後奥羽本線で県庁所在地の山形を目指します。
そして最初に訪れたのは山形城。
雪の積もる中、滑らないように歩いていきます。
とても深い堀。水を張らなかったのは冬季に凍って城内への侵入を安易にしてしまうため?だから堀に水を入れなかったのかな?
お次は旧済生館。ここは現在資料館になっており、山形ゆかりの偉人(三島通庸やローレツ)についての展示がありました。
ここって実は病院だったんですね。昔の医療機器も展示されていました。
雪が降り始め、いよいよ寒さが厳しくなってきました(今更)。
寒いよ~と駅前の方に戻るも、特に何もすることもなくてぶらぶらしてました。
夕食も普段行かないモスバーガーへ。大分だったら駅前という立地ならまず混んでいてゆっくり食べることすらできません。なのに山形は空いていました。なんだこれ、ここは天国か?
それでも予定のチェックイン時刻まで相当時間がありました。
どうすっかな~せや!ホテル近くの商業施設で買い物でもすっか~!
山形交通の商業ビルでお買い物&アニメイト散策後、それでもなお余る時間に「もうホテルに突入してもいいのでは?」と思い、ホテルに向かいました。
そんなこんなで1日目は終了。
ちなみに地味に初めてのアパホテルで、VOD見放題に終始テンションMAXでした。最高かよ。
2日目は早朝から仙山線に揺られ、宮城の方へ向かいました。
奥羽山脈に近づくにつれ、雪が積もりまくって「ヤバいなあ」と考える中、どんどん宮城に近づくたび雪も減っていき、仙台に着くころには車窓から雪すら見えませんでした。
仙台で乗り換え。仙石線ってすぐにのりかえできないんですね(情弱)。
ここまでは予定通りでした。ところが!
どこかの駅を出発後、住宅街を走っている途中に列車は緊急停車。
どっかの駅で緊急停車ボタンが押されたようです。
この時自分は「終わった・・・」と思いましたが、ものの5分ほどで運転再開。内心ほっとしました。
30分ぐらいして着いたのは日本三景の一つ、松島の最寄り駅である松島海岸駅です。
ここからまた山道を歩いて展望台に行くと、絶景のオーシャンビューが待っています。
西行戻しの松を見たり、駅前に待機している遊覧船のおじさんたちを見たりと楽しませてもらいました。なお凍結した地面に滑りそうになりました。
そして仙台へ戻り、新幹線に乗って今度は南下。
目的地は会津若松です。
郡山駅まで東北新幹線、郡山から先は磐越西線で会津若松を目指します。
2両の普通列車にキャリーバッグを持った外国人観光客がたくさん乗ってきました。
どこで降りるんだろう・・・?と思っていましたが、猪苗代で結構降りていきました。会津までいかないのか・・・。
1時間30分ほど揺られて、無事に会津若松駅へ。
仙台ではあまり見なかった雪も、ここでは積もっています。
武士道の聖地(山鹿素行の故郷、白虎隊の悲劇、会津若松)に来れたこと、それは武士道を専門とする私からしたらとてもうれしいことです。
ようやく来れた・・・。
うれしすぎてついつい長居してしまい、乗る予定だった普通列車に乗れませんでしたが、それでも楽しかったのでヨシ!
快速に乗って(東北にもあるんだ!?)、郡山に行き、そして新幹線に乗って山形へ帰ったのでした。
3日目は山形県内をゆっくりと回りました。
仙山線で山寺駅へ。
朝早くなのに、外国人観光客がいて少しびっくり。
雪が相当積もっていて、滑らないように上るのキツかった・・・。
でも眺めは最高。さながら雪舟の水墨画のようでした。
大仏殿まで向かいましたが、ここは冬季の間、解放されていません。
大仏殿の前で手を合わせ、またいつか夏の間に行こうと思うのでした。
降りていく途中、空が段々と明るくなっていきました。
すっかり青空が見えるようになっていました。
さて、ここからもっと楽しむぞ~!と思っていた矢先、事件は起きました。
なんと自分が乗る列車が遅れていたのです。
そこまではまだいい・・・と呑気にそう思っていましたが、スケジュール表を見ると思わず叫びたくなってしまいました。
そう、乗り換え時間が2分しかない!羽前千歳で乗り換えができない場合、それはスケジュールの大幅な変更を意味します。
そして無慈悲にも車掌さんから告げられたのは「羽前千歳で奥羽本線の列車は待ってくれない」とのこと。
参ったな~。目的地の天童へ向かう列車は便数が少ないんですよ。
羽前千歳で待つこと1時間半(その間テンション爆上げな女子高生?集団や太極拳披露おばあさんなど見つつ)、ようやく来た列車に乗りました。
そして天童で下車。
天童といえば将棋。ここ天童は人間将棋の会場があることでも有名。
将棋の町ですもんね。
「三月のライオン」の聖地?でもあるみたいです。
楽しかったな~と駅へと戻ると、既に空港方面へと向かう普通列車は発車してしまったようです。新幹線もない様子。
まあいいや・・・で次の便は・・・、あ!?少しギリギリってこと(意味不明)。駅から急いでいけば間に合うかな。
と余裕ぶっていましたがここで追い打ちをかけるような事態が起きました。
乗る予定の列車が遅延。
ようやく到着したかと思ったらまさかの満員で人をかき分けて乗車。
降りるときも一苦労。
やばいやばい、急いで空港行かなきゃ。走っても間に合わないため、タクシーに乗りました。背に腹は代えられない(迫真)。
気さくな運転手と会話を楽しみ、どうにか空港へ滑り込みましたがロビーには外国人がたくさん!
タクシーの運転手の方が教えてくれたのですが、台湾からの飛行機が飛んできているみたいです。ええ・・・(困惑)。
人並みの中をかき分け、壁伝いには歩かずに荷物検査を受けようとしたら「出発20分前なので、1階で手続してきてください」と言われ、急いで手続してもらいました。今回はどうにか乗せてもらえるとのことで、本当ご迷惑をおかけしました。
ハプニング続出だった今回の旅行。新年一発目からとんでもなかったですが、無事家に帰れたのでそれでヨシ!ということにしますw。
・関東甲信遠征(2月)
1月の第二次東北遠征により、東北地方を制覇することができました。
地方の制覇順としては、北海道(高校生時、修学旅行で)→九州地方(大学3年生の頃、宮崎県踏破後)→四国地方(社会人3年目を迎える前、高知県踏破後)→近畿地方(和歌山県制覇後)→中国地方(鳥取県制覇後)→東北地方、という流れ。
つまりまだこの時点で中部地方(残り長野・山梨)と関東地方(ほぼ全部)が残っているわけです。まあほぼ関東なんですが。
そんなわけで、まずは中部地方制覇を目標に、ついでに関東にも行ってあらかた日本一周にリーチをかけるのが目的。
さて、新幹線と飛行機、どちらを使おう?と考えた時、新幹線も飛行機も同じくらいだったんですよね。もちろん、羽田利用の場合は料金が跳ね上がりますが成田空港利用の格安航空であれば新幹線利用と比較して大差ありません。
そんなわけで2度の東北遠征で利用したJALではなく、今回はJetstarを利用しました。さすが東京行きだけあって、客席数も多かったです。
そして成田空港に到着後、昼食を食べて、案内に沿って駅を目指します。
無事にたどり着いた後は、切符を購入しました。券売機付近には多くの外国人観光客が。操作に慣れず、苦戦していました。ただ券売機付近には駅員さんがいたので、割とスムーズに列は流れていきました。
さあ、最初に乗るのは成田エクスプレス。これで東京まで向かいます。
外国人観光客の多い客席に1人、正直心細かった・・・。
東京到着後、大宮方面に向かう列車に乗り込んで埼玉県のある場所を目指します。
行田駅で下車後、歩きに歩いて向かったのは「のぼうの城」で知られた忍城。かつて周囲は沼地で石田三成も攻めあぐねたほどの堅城です。
郷土博物館が併設されていて、写真に写っている御三階櫓内も資料が展示されてあります。
ただ戦国時代・江戸時代の展示は少なめで、古代・近代の展示が多いという印象。それでも満足しました。
行田といえば足袋とゼリーフライ。
歩いていると確かにそこかしこにゼリーフライののぼりとお店があったような。
お土産屋さんの方から「大分からよくお越しになりました」とねぎらいの言葉をかけていただき、とてもうれしくなりました。東北・関東は九州からめっちゃ離れているので、そう言っていただけるだけで疲れも吹き飛びます。
帰りも行田駅・・・は疲れるので秩父鉄道の行田市駅を利用し、熊谷で降ります。そして熊谷からJRで南下。
途中、飲み会(にしては早い午後6時台の方々)の帰りの御一行や無邪気なクソガキ小中学生が乗り込んできたりと賑やかでした。
が、ここでハプニングが起きます。乗っていた電車、なんと乗換駅を通過してしまったんです!
・・・いや、これは完全にこちらの落ち度で。というのも関東の鉄道網、複雑で路線が違うと停車する駅も違うらしいんです。ここら辺よくわからず適当に乗っちゃったんでですね。
赤羽に到着後、南浦和を目指し北上。その後武蔵野線で新秋津駅へと向かいました。
そして夕食。普段から食はあまりその土地のものを食べないのですが、東京泊の場合は別に気にしなくてもって感じですよね。
なので空いているなか卯で食べました。・・・駅チカなのになんで数人しかいないんですかね・・・?(京都の時も結構人が少なかった)
そして西武鉄道に乗り換えて、東久留米駅へ。
めちゃくちゃ空いてました。気兼ねすることもなく、堂々着席。
思ったんですが東京、23区の外なら私でも住めそう・・・?
2日目、西武鉄道に乗って秋津へ。電車の中で話す人は私の目の前に座っていた外国人くらい。とても静かでした。
そして新秋津から西国分寺、そこから中央本線に乗って立川でいったん下車。
春まだ浅い信濃路へ向かう人の利用する特急、あずさ号で長野県の松本へ行きます。車内に入って、さあ座るぞ!と思ったら車内アナウンスを聞いて絶望してしまいました。
「指定席は満席です。あらかじめご了承ください」
ああ・・・もう終わったよ。
デッキで立ちっぱなし。トイレはひっきりなしに多くの人が利用し、空いている時間の方が少ない。このまま松本までずっと立ちっぱなし?
と思ったら茅野で多くの人が降りていきました。スキー目的の人が多いのか、登山とかの人なのか、とにかく大荷物の人が次々降りて行ったのです。
やったー!ようやく座れる!
こうしてようやく座れたかと思ったら塩尻を過ぎてすぐ松本。
雪こそ積もっていなかったものの、2月の信濃はやはり寒い。
手袋着用率が高い。
国宝にして現存12天守の1つ、松本城に到着。
3連休の中日だけあって、人が多かったです。
現存12天守の中では姫路城、彦根城と同じくらい(あるいはそれ以上)に人が多い。やはり人気なんですね。
ちなみに天守閣での見学も列ができており、しかも急こう配の階段(斜度40度)のため高齢者や子どもが結構大変そうでした。
展示は鉄砲が多めで、続いて城内やその周辺で見つかった物等。
人が多いので、天守閣からの眺望も前の人に続いてぐるっと一周。
その後は階段を下るのですが、すれ違いもとにかく大変。なんで階段付近で写真撮影ダメなんだろ?
現存12天守、結構大変。
天守閣近くにはこんな灯篭も。姉妹都市である高山市から寄贈だそうで。
ちなみにお城あるある「他の有名どころのお城の写真」は天守閣内ではなく、写真奥に見えるように城外に展示されてあります。
城内の看板、ついつい撮っちゃいました。
いや、日本語初学者の中国人が勘違いしそうだな、と。
日本語初学者の中国人「お城で春節?マジ!?」って・・・。
時間があったので時計博物館に寄ろうと思ったのですが、残念ながら閉館していました。なんでも改装工事中なんだとか。
時計、水のきれいなところじゃないと作れませんもんね。松本ならではの所なだけに入れないのはちょっと残念です。
長野、そば有名ですもんね。
だしの自販機があってもおかしくはない。
松本駅前にはこんな像が。
なんでも槍ヶ岳を初めて登頂した人なのだとか。
日本の有名な山々が連なる長野県の、都市の駅前にふさわしい像ですね。
駅弁とお土産を買って、また特急あずさに乗ります。
甲府方面へと戻ります。
駅弁を購入しました。
雪を見ながら駅弁を食べるの、めちゃくちゃ最高!!!!!
甲府駅に到着後、まずしたことは武田信玄像の撮影でした。
そしてその後は甲府城へ。
稲荷櫓にはちょっとした展示がありました。
出土品からパネル展示まで見れて、無料。2階だけなので、すぐに見終えました。
何に感謝してるのかというと、明治時代に天皇から森林を恩賜されたということに対してですね。
水害で荒廃してしまった甲府の森の復興のために下賜されたのだとか。
・・・これ地震起きたら大変そう。
まだまだ時間があったので今度は駅北口からまーーーーーーーーっすぐ伸びるゆるやかな坂道を上り、武田神社に行きました。
近くの信玄ミュージアムにも行きました。
無料で見れる所と有料でしか見れない所がありました。
自分は無料で見れる所しか回りませんでした。無料展示はパネル展示が主。そりゃ無料ですよね。
隣接する旧堀田古城園にも足を運びました。
近くにカフェがあるみたいで、グルメを楽しみながら庭園も見れるなんて贅沢だなあ・・・と思いながら(少し羨ましく思いながら)自分はそのまま甲府駅へと戻りました。
戻りながら途中の山梨大学を見て思ったんですが、そういや大学入試やってたんですよね!2次試験の時期、受験生の皆さん頑張れ!と思いながら大学前を通過していきました。
3日目、この日は武蔵野線を北上し大宮から上越新幹線に乗ってさらに北へと向かいました。
さすがに新潟の方までは行かず、高崎駅で下車。
鉄道会社のキャラクターと列車。
群馬はこんにゃくが名産だから、スポンサーはマンナンライフなのか?
一時期狂ったようにこんにゃくゼリー食べてたことがありましたが(自己紹介)。
そして上州富岡駅で下車後、世界遺産富岡製糸場に行きました。
でっ、でかい(小並感)。
右半分(1階)は展示スペースとして貸し出されているのだそう。
雨が降る中でも24時間労働することを強いられたお富ちゃん。
明治時代の女工さんよりもブラック・・・wwwww。
雨が雪になりつつある中、再び上信電鉄で高崎へ行きましてそこから新幹線で東京へ。
が、出口を探せども見つからない。
乗り換え改札口から出ても、本当の出口が分からない。
え、どこ?と迷いながらぐるぐるしていたらようやく改札口らしき所があって、よかったー!と思ったらなんかよく分からん出口でした。
チキショー!(心の中の小梅太夫が発狂)
ふらふらと歩いていると資本主義の父、渋沢栄一の像がありました。
富岡製糸場と言い、渋沢栄一と言い、今日は経営史の勉強でもしにきたのかというぐらい日本の経営史要素が詰まっている感じですけども。
これが見たくて迷子になりながらも歩き続けたんですよ!
丸の内方面からみた東京駅駅舎。
すごくおしゃれ。
・・・なんて思いながらも帰る時間が迫っていたのでしょうがないと早めに改札口へ行きました。
成田空港、千葉方面だから・・・あれ、これどこのホームに行けばいいんだ?
あ、そっか。千葉方面だから幕張の方行けばいいのか(不正解)。
そして案の定外れで、右往左往しながらようやく案内通りに進んで成田エクスプレスの発車する地下ホームへと行くことができました。
油断、ダメ、絶対。
ここまでくればもう大丈夫!
あとは成田空港行って飛行機乗るだけだし!
・・・そう思っていた時期がありました。ところがです。
成田空港駅に着いたはいいものの、Jetstarの受付が見当たらない。
ANAとPeach?おかしいなあ。
調べたらJetstarは第3ターミナル、しかももう駅から離れていたので今更駅には戻りたくない、と意地を張った結果、めちゃくちゃ歩く羽目になりました。しかも保安検査場も長蛇の列。さらに搭乗ゲートまでも相当な距離。初めての成田空港で、都会の空港の恐ろしさを知ってしまったのでした。
間違ったと思ったら、引き返して交通機関を頼ろう、というのと、慢心してはいけない、本当。
羽田空港を利用したい人生でした(ただし高額過ぎて財布がお亡くなり)。
・関東遠征(3月)
3月は出会いと別れの季節。
私もいよいよ北関東を制覇します。まだ見ぬ北関東とは別れを告げるわけですね・・・!(←何言ってるんですかねえ)
そんなわけで先月同様、Jetstarで成田空港へ。
そういえば行きの飛行機の中で大瀧詠一とJetstarのコラボステッカーが無料配布されてました。
なんかそういうキャンペーンあったみたいですね。大瀧詠一といえば、「君は天然色」が思い浮かびますが、皆さんはどうでしょう?
・・・それはともかく。
成田空港第二ビルから成田駅、成田駅から我孫子と乗り換えを繰り返し、我孫子から土浦方面に向かう普通列車へ乗車。
常磐線、何となく車窓から見える景色が大分市郊外みたいな感じでしたが、気のせいでしょうか?
牛久大仏で有名な牛久には下車せず、そのまま乗車し続け茨城県の県庁所在地である水戸へ。
水戸城大手門。デカすぎる。
駅から数分で行けるお城の中で、結構な規模の大手門があるお城なんてそんなになかったはず・・・。
水戸城二の丸展示館には大日本史が展示されていました。
水戸黄門こと徳川光圀が編纂したという文書ですね。
水戸から今度は偕楽園へ。列車ではなく徒歩で向かうことにしました。
と、ここで事件が起こります。
なんと、スマホのホームボタンが固くなっていて押せない!
故障!?と思っていたら・・・ただの充電切れ。
確か前列車内で見た時には充電70パーセント台だったはず・・・なのに・・・?
スマホ、そろそろ買い替え時ですかね。
川沿いをひたすら歩き、地図を見て迷いながらどうにか偕楽園へ到着します。
静かな林道を抜けると、たくさんの梅が我々を出迎えてくれます。
外国人の方も結構いました。日本の花といえば桜・・・ですが梅も外国人の方に人気なようですね。
品種も様々で、幹がパックリ割れてたり健康状態が心配な梅の木もありました。生命力半端ない。
そういえば園内、きれいな笛の音が聞こえたんですよね。
あ~あるあるですね。観光地って何かしらの音楽流して雰囲気良くしてるっていう所、ありますもんね。
梅を見終え、林に囲まれた道を歩いていると音源に近づいた気がして、CDプレイヤーがどこかにないかきょろきょろ見回したんですよ。そしたら林の中に人が1人突っ立っていて、「えっ?」ってなってしまいました。
CDじゃなくて奏者の方がちゃんと演奏していたんですね。失礼いたしました。
夕暮れ迫る中、偕楽園駅へ向かいますがなんと営業終了。
臨時駅だし、便数はそんなに多くない。
参ったな~と思いながら歩いていると逆方向だったり、近道しようとして失敗したりしながら真っ暗な中ようやく水戸駅に到着。
夕飯を食べ終え、小山に向かう列車へ乗車。
乗客もまばら。土曜の茨城~栃木ってこんなに空いてるのか。
小山~宇都宮間もそんなに混んでなかったです。
うーん、北関東はやはり田舎だったのか?
想像したより小規模な宇都宮駅近くのホテルで1泊しました。
翌日。晴れ晴れとした空。
やけにレトロな宇都宮駅日光線ホームから、普通列車に乗って日光に向かいます。
日光駅から徒歩で日光東照宮まで行きます。
さすがに日光までくると3月でも寒い。
吹く風がひんやりとしていて、冬の空気です。
時間があったので輪王寺へ。
日光東照宮の開門前までまだまだ時間があったので、二荒山神社にも行ってきました。
縁結びができるみたいです(白目)。
昨年出雲神社に行きましたが、やはり縁を結ぶ動物といえばうさぎなんですかね・・・。
二荒山神社を歩き回っていると、東照宮開門まであと少し。
じゃあ東照宮へ戻りますか・・・と歩いて入場券の券売機まで行くと、朝なのに結構並んでいました。ヤバいな。
入っていくと最初に見るであろう有名なものは「三猿」でしょうね。
「見ざる、言わざる、聞かざる」の彫刻が神厩で見れます。
早速観光客(私も含む)達が写真をパシャパシャ。
道なりに進んで鳥居をくぐります。
あ~これだこれだ!!!!!
見たかったものが見れた喜びに語彙力が消失してしまいました。
別名「日暮の門」。確かに1日中見ていても飽きません。
完成したものには魔が差すという思想から、陽明門にはあえて逆さに立てられた柱があります。
神輿社には徳川家康、豊臣秀吉、源頼朝の神輿があります。
奥宮には拝殿・鋳抜門・御宝塔がありました。写真は手前から拝殿・鋳抜門・御宝塔。
階段を相当上っていかないとたどり着きません。
他、眠り猫等、見どころたっぷりの東照宮でした。
再びレトロな日光駅へ戻りました。
戻る途中、多くの方々が歩いて日光の社寺の方面へ行くのを見て、安心しました(歩いて向かうのは自分くらいだと思っていたため)。
日光駅にもたくさんの外国人観光客がいました。
ちなみに関東圏では青春18きっぱーのために専用改札が設けられており、私が日光を訪れた時も、日光駅に専用改札がありました。すごいな関東・・・!
日光から宇都宮に戻り、新幹線で小山まで行きました。
お昼を食べようと駅周辺をブラブラしていました。本当は栃木まで来たなら餃子食べたかったんですが、近くの中華のお店は混雑していたので結局いつものスタイル(駅構内でお弁当を食べる)になりました。
次の新幹線を待つ間、近くに座っていた親子の会話が聞こえてきました。
通過する新幹線に心を躍らせる子どもとそれを見守る親。いい歳こいて一人旅してふらふらする若者(←私)。そろそろ人生の階段を一歩上がらなきゃですね(焦り)。
なすのに乗り、上野で降りた後、千葉方面に向かうため在来線のホームへ。
エレベーターに乗っていて思ったのが「風強くない?」ってこと。
そして少しの間迷子になったものの、どうにか目的地に向かう列車を見つけることができました。
そして途中下車したのが、両国!
駅を降りて、相撲の町なんだな・・・と思うぐらい駅構内・駅周辺の相撲愛溢れる展示に驚きました。
その後千葉駅でも途中下車して、駅周辺を歩きました。駅前は再開発中(?)のようで、工事をしていました。
ちーばくんを目撃するなどした後、千葉を去りました。
今回は普通列車で成田まで帰ります。NEXでもいいんですが、ゆっくり帰るのも悪くないな、と。
余裕をもって成田空港に着き、チェックインを済ますことができました。
が、しかし。
「遅れにより出発時間が遅れます」のアナウンス。
時間があったので以前ゆっくり回れなかったJetstarの待合室を堪能しました。ボッチ専用席あって草生えました。
いよいよ、関東制覇まであと1県(神奈川)となりました。
春はもう、すぐそこです。
・本州最後の未踏破県、神奈川遠征(4月)
2月の旅行の時は、神奈川県北部を特急あずさで突っ切った(通過)しただけ。実は神奈川県に訪れることはできたはずなんですが、無理してしまっては折角の旅行が台無しになるだろうということで神奈川だけ後回しにしたんですよね。
というわけでメンタルがゴリゴリ削られていく繁忙期、4月。
旅行でメンタルを回復すべく桜が散りゆく4月中旬、例によって安いという理由だけで成田空港着のJetstarを利用するのでした。
さて、成田エクスプレスで品川まで行き、東海道新幹線で小田原を目指します。正直、在来線でもいいかなと思っていましたが時間がとてもかかることが予定段階で分かったので新幹線を利用することに。
想像以上に品川駅は混雑していませんでした。あれ、こんなもん・・・?
新幹線車内では「新幹線の速さはどれくらいでしょう?」と聞かれて「1000キロ!」と答える親子の会話が聞こえてきました。・・・もちろん、子どもの方が1000キロって言ったんですよ。
そんなに時間もかからず小田原駅へ到着。
駅に近い所には東海道の宿場町風建築のお店が並んでいたり、小田原城近くでは刀剣乱舞のコスプレをしている人がいたりと、早速歴史好きを楽しませてくれる要素満載の街です。
かつて関東の雄、北条氏が本拠地としていた小田原城。
駅から近いし、アクセスのよさは最高です。
刀剣乱舞のコスプレをしている人がいて、催しか何かがあるのかと思っていましたが、それらしいイベントはなくて?となりました。あんなに何人もコスプレしている人がいたら普通は何かしらのイベントがあってもおかしくはないだろうに。
もしかして、小田原って刀剣乱舞の聖地?
名の知れた名城だけあって、城内はたくさんの人でにぎわっていました。
歴女もいて感動。嬉しい限りです。
ちなみに天守閣最上部から相模湾と真鶴半島を見れるのですが、いい感じに風が吹いていて爽快感をとてつもない程に感じられました。
お城の敷地内には木や花もあって、季節によってはきれいなんだろうな・・・と思いました。
小田原城を出た後、マンホールカードを収集し、それでも少し時間があったので静岡まで足を伸ばしました。前々から気になっていた場所、それは・・・。
「Sayいっぱい!輝く!かがやーく!(脳内で響くクソデカボイス)」
・・・失礼しました。怒られるかもしれないけど、僕、アイマスとラ!の見分けがつかないんですよ。デレステ?とか、なんかよく理解できないので有識者の方はぜひ教えてください。
大学生の時、後輩がラ!のオタクで聖地である沼津に行きたいと話していたことを思い出したのと、私自身も聖地巡礼の研究を少しだけしていて興味があったので沼津まで来たのです。いやあしかし、駅といいバスといい、ラブライブじゃん。
沼津駅から少し歩くと、マンションの入り口に三枚橋城の石垣の遺構がありました。ちゃんとこういう感じで「ここにお城があったんだよ!」と残しているのは素晴らしいことだと思います。
御成橋の近くにはこんな石碑が。
有名な小説家である井上靖先生の文学の礎は、ここで築かれたものだったんですね。
こんな感じで、街をぶらぶらしてるとポスターとかいろいろな形でラブライブ関連のものを見るんですよね。官民、そして地域住民の協力あってここまで盛り上がっている、という論文や研究を肌で感じることができました。
沼津は近代的小学校発祥の地でもあったそうです。
これは初耳・・・。
居心地のいい空間をつくるプロジェクトでできたスペースなのだそうで、おしゃれでした。すごいなあ、沼津。
夕飯、静岡まで来たんだから海産物食べたいな、って思ったんですがお店の事前リサーチを全くしてなかったのと面倒だったので駅前マックで妥協しました。田舎、駅前ファストフード店がガラ空きでぼっちには優しくて涙が出そうになりますよ・・・。
ゆっくりしていたら夜も更けてきたので駅に戻りました。
偶然ここに来たのがこのキャラの誕生日だったので、こういうパネル展示がされているのですね。JR、年中ラブライブとコラボしてるのか?
帰りは在来線で本日のお宿のある平塚へ。
予定より長居してしまったので平塚で海をぼーっと眺めることはできませんでした。
電車内では眠ってスマホ落としニキや飲み会終わりの社会人がいましたがかなり空いていました。土曜日はこんなもんなんでしょうかね。
日頃の疲れからか寝過ごしてしまいましたが、起きたのが平塚発車後だったのが不幸中の幸い。茅ヶ崎ですぐ降りて引き返しました。
2日目、雨降らないといいけど、と平塚駅から列車に乗り東へと向かいます。
大船駅で乗り換え、横須賀線で鎌倉駅下車。
そこから江ノ電へと乗り換え・・・なのですが切符を買うのにてこずり(券売機探し)、目の前で列車が発車してしまい、次の便を待つ羽目になりました。とはいえ1時間待ちとかではないので苦痛ではないのですが。
江ノ電といえば、江ノ電外国人ニキは元気してるかな・・・と少し前の炎上騒動に思いをはせていたらあっという間に乗る予定の列車が来ました。
江ノ電、狭い所を走ってて迫力あるなあ・・・!
長谷で降りて少し歩くと、高徳院。
入ってすぐに大仏様が見えます。あれ、金閣寺の時と同じ、入ってすぐだからか少しだけ残念というか・・・(どう説明したらいいんだろう?)
もう少しだけ入口の方から歩かないと見えないのかと思っていたのですが。
外国人観光客もいました。
コロナ禍明け、インバウンドは観光地にとっては貴重な存在です。
ちなみに、某テレビ番組では大仏様の裏側についても撮っていたので私も大仏様の裏側を撮影しました。
背中から火を噴いてそのまま直進、爆走しそうと思ったのは私だけでしょうか?
結構人気の観光地かと思ったのですが、それほど観光客はいませんでした。
関東の人は修学旅行とかで行ってるからかな?
さてさてお次は長谷寺。人の流れについていったら、違うお寺の朝市だったという凡ミス後、スマホで確認していざ長谷寺。
入口から早速美しい庭園。
心洗われますね。
少し前のJKなら、ここで「マジ卍」とか言いながら写真撮ってたんだろうな~などと妄想してました。
ちなみにこの池の横は千体のお地蔵様がいました。小さくて可愛らしいですよ。集合体恐怖症の人には地獄かもしれませんが。
上まで行くと本堂があって、たまたま行った日がなんかの催しと重なり、出店が所狭しと並んでいました。まあ出店と言っても食べ物だけではなかったのですが。
本堂からさらに上の方には、写真のようなきれいな鎌倉の風景を楽しめるスポットがあります。紫陽花の季節になればもっと映えるでしょうね。
洞窟の中の仏像や和み地蔵を帰りがけに見て、長谷寺を後にしました。
意外と知らないスポットもあるもんですね。
鎌倉に戻り、歩くこと十何分か。
多くの人が向かっている先に大きな鳥居が見えます。
そうです。鶴岡八幡宮。
源頼朝ゆかりの神社。
私も個人的に打ち勝ちたいものがあったので、祈願してきました。打倒ストレッサー!
警備員さんがいたので、やはり関東圏の参拝客の多い神社となると厳重に警備しなきゃいけないんだな、なんて思いました。
神社横の上り坂に抜ける出入り口があったのでそこから出て、坂をぐんぐん上りました。
建長寺へと抜ける坂を上りきると、巨福呂坂切通が見えます。
知っている人はここで写真撮っていました。
続いて訪れたのは建長寺。
伽藍配置がかなり特殊。
早速デカすぎる門と遭遇。
ちなみにこの門の下で休むこともできます。気軽に羅生門体験できますね(失礼)。
壮麗な唐門。もとはここにはなかったらしいのですが、仏殿とともに江戸から鎌倉に移築されたのだそうです。
きれいな庭園はかの蘭渓道隆が作庭したとのこと。
半僧坊まで行くのは大変そう・・・と思ったので庭園より先へは行きませんでした。
ちなみにこの日、建長寺では三門の触れる模型の完成記念式典があったようで、運よく参加できました!といっても参加したのはリハーサルですが。
下り坂を歩き、横須賀線と並行する道をまっすぐ行くと、次の目的地である円覚寺が見えます。
あーっ!!!!!円覚寺舎利殿!!!!!
日本史B履修者ならお分かりだと思いますが、唐様の建築物として有名です。これを見るためにここまで来たんだよ・・・!
ですが・・・・・。
観光地である前に、ここはお寺。
道場は部外者立ち入り禁止のため、遠くから見ました。
こればかりはしょうがないですね。
お腹がへったため、予定通り横浜へ。
ですが、お昼時はどこも混んでいます。迷いに迷った挙句、駅近くのロイヤルホストへ。お腹ペコペコだったので、お財布事情は考慮しません。本能に従うまでです。それに、たまに贅沢したって罰は当たりませんからね(正当化)。
横浜散策は駅前をブラっとするにとどまり、再び列車に乗って東京を目指します。
今日は迷わずに丸の内から抜けられました。
この間の遠征では見られなかった、あの場所へ。
そう、皇居。
江戸城の遺構を見たかったのです。
門の周辺には警察官がいました。
入れないのは当たり前ですよね・・・。
坂下門外の変、ここで起こったのかあ!
ちなみにさらにずーっと向こうには桜田門があったみたいなのですが、疲れ切っていた私は行きませんでした。
また今度、体力がフルの時に行こう・・・。
思うにここまで来るのに結構な月日がかかりました。
46都道府県、速足で駆け抜けてきましたがいよいよ残りあと1県。
関東も慣れてしまえば大したことないな(初の東京駅で数時間迷子になったのに!とツッコミを入れながら)、東京駅を眺めるのでした。
PS 帰りの飛行機、気流の影響で滅茶苦茶揺れまくって怖かった~。
あと成田空港でわざわざ人の目の前に座り、大股開きで座る自分と同年代の男がいて怖かったのと、どっか行ったと思ったら自分の後ろの席に座ってて、なんだこいつ!?となりました。
・最後の未踏破県、沖縄へ(5月)
大分から博多へ。
何度も往復してきましたが、今回ばかりはそわそわしてしまいました。
普段は行かない福岡空港へ。
九州一の大都会、その中心部からほど近い福岡空港はひっきりなしに飛行機が離着陸を繰り返しています。
余裕をもって空港でチェックイン後、展望台からの景色を楽しんだり、空港内の散策をしたりしました。
さすがに人が多くてびっくり。九州の玄関口と言われるだけのことはあります。
昼ご飯は保安検査後の待合室で食べました。
そして午後の便で沖縄へ。
・・・めちゃくちゃ空いてました。やはり沖縄に行くのなら午前中!ってことでしょうか?でも予約の段階では席が埋まってたんですけどね。
とてもゆったりできました。
乗っている飛行機が順番待ちをしている間に、着陸2回、離陸2回を見送りました。
窓際の席から望む沖縄の海、とてもきれいでした(が、写真を撮ろうとしたところ雲にさえぎられたりとシャッターチャンスを逃し続けます)。飛行機は九州を抜け、沖縄本島をいったん通過後に南から滑走路へと着陸しました。
着いたはいいものの・・・暑い!
え、もう夏?まだ5月中旬ですよ・・・。
空港内には修学旅行生らしき中学生?か高校生がいました。
到着したのか、はたまたこれから出発なのか。懐かしいなあ。
広い空港内を通り、2階からゆいレール乗り場へ向かいました。
見晴らしのいい車窓を楽しみながら首里を目指します。
首里駅から歩いて10分程でしょうか。首里城の石垣が見えてきました。
曲線美がまたなんとも・・・最高・・・!
琉球のグスク(城)の石垣は特徴的で、このような曲線的なつくりとなっていて、沖縄以外ではあまり見ることはありません。
歓会門を抜けて、有料区域へと行きました。
琉球王朝時代の伝統衣装を着ている人とかいて、おおっ、となりました。
皆さんもご存じのとおり、首里城正殿は2019年10月に火災にあい、焼けてしまいました。現在は写真のように、復興の様子を間近で見れるようにしています。
東のアザナより、正殿方面を見ました。
復興したら、正殿全体を見ることができるんだろうなあ。
早くに来れなかったことが悔やまれますが、復興している様子を見れたことはよかったです。聞くところによると復興予定は2026年?らしいですね。
その時はまた、首里城へ行こうかな。
帰る途中に不思議な建物があったので行ってみました。
もとは朝鮮からの仏教経典を保存する所だったとか。
弁財天堂近くにはこんなカラフルな水鳥がいました。
自分が近寄っても全く逃げる気配はありませんでした。
バリケンという鳥で、カモみたいな鳥だそうです。
首里の次は浦添へ。
ここら辺は沖縄戦でも激戦となった場所らしいです。
首里城ほどではなかったですが、何人か観光客らしき人がいました。
地域の人の散歩コースにもなっているようですね。
お宿をとってある那覇へと戻り、さて福州園にでも行こうかと思いましたが・・・入口どこ?迷って歩き疲れて行く気が失せ、ついに諦めました。近くにあった高良食堂さんで夕食をいただくことに。
かつ丼セット・・・ってセットはもしやこのソーキそば!?
食べきれるかな・・・と一抹の不安を覚えながらも無事完食。
こんなに食べたの、いつぶりかな・・・。
お宿近くの海へ行きました。
沖縄といえば海・ソーキそば・ゆいレールですからね。
もっと近くで見よう!と少し降りてしゃがみ、ぼーっとした後戻ると看板には「この先立ち入り禁止」の看板が。
いや、無視したわけじゃないですよ・・・。見れてなかっただけ・・・。すみません。
2日目、優雅にホテルで朝食です。
シークヮーサージュースが予想していた以上に甘い!
ゴーヤチャンプルを食べれたので満足!これが本場の味!(苦かった・・・)
よ~し、2日目も頑張るぞ!・・・って暑っ!
そしてレンタカー借りるところに早く来すぎたということもあって、泊の港をぼんやりと眺めていました。
ここから大東島や久米島に行く船が出ているようです。
いつか乗ってみたい。
さて予約時間の少し前に入って手続きを済ませ、早速車を走らせます。
今日一番は、ここ!
そう、識名園!
庭園鑑賞部、沖縄でも活動しています。
朝一番ということもあって、人は少なかったです。
静寂に包まれた園内を一人、歩きます。
しかしどこからか騒がしい感じがするなあ・・・あ、ツアー客。
庭園の池の水源にもなっているらしい育徳泉。
ツアー客の一人がガイドさんに「飲んでもいいですか?」と聞いたところ、
「ダメです」との返答。ガイドさん曰く「多分自分の見ていない所でマニアは飲んでいると思いますが、ピロリ菌とかがあるかもしれないので、飲むなら自己責任で、ってところですね。聞かれたらNGを出しますけど」と言っていました。
まあそりゃそうでしょうなあ。
車を走らせて次なる目的地へ。
糸満の方へ行き、海が一面に広がる摩文仁まで来ました。
戦争の悲惨さ、沖縄の日本併合から今日に至るまで、色々と勉強させてもらいました。
展示を全部見終えた後、その先が太平洋を一望できる「海と礎の回廊」となっています。ああ、ここが沖縄本島の果ての果てなんだな、と。
もう一つ、沖縄に来たら行ってみたかった所があります。
そう、ひめゆりの塔です。
ここも有名な場所で、修学旅行生がたくさんいました。
ちなみにひめゆりの塔近くに商業施設があり、お昼も食べることができました。
おいしかった~!
ちなみにここのシークヮーサージュースは酸味が少しありました。
食後、一旦那覇と逆方向へ向かい、海の方へ。
平和創造公園の駐車場に車を停めました。
とても気持ちいい風に吹かれ、天候にも恵まれて47都道府県を踏破できました。せっかくなら、とレンタカーの後部座席をうまく使い、タイマー機能でどうにかこうにか写真撮影に成功。
ここまで長かった・・・。
帰りに琉球ガラス村へ寄り、ガラス細工高っ!と思いながら見学後、那覇へと戻るのでした。
よーし、あとは帰るだけだ!と思っていましたが、ぎりぎりのゆいレールに乗り、那覇空港駅では修学旅行の学生で混雑し、駆け込みでチェックインカウンターへ。山形の時と同じ状況・・・。
でもどうにか乗れました。
行きとは違い、やはり帰りは混雑していました。
お隣のお子さん連れの家族も大変そうで・・・(お気遣いありがとうございます。赤ちゃん、我慢出来てえらい!)
博多駅もなんかよく分からんけどイベントがあったのか混雑していて疲れましたが、楽しかった・・・!
改めて制県レベルを見てみるとこんな感じ。
もちろん、まだまだ旅は続けます。
47都道府県踏破、一区切り終えたので本稿の終わりに一言。
皆様、どうもありがとうございました。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
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