見出し画像

『伝説巨神イデオン』と富野由悠季監督

画像1

先日「富野由悠季の世界」展に行ってきたよ報告をしましたが、それから数日後の11/1(金)兵庫県美のすぐ近くにある109シネマズHAT神戸で『伝説巨神イデオン 接触編/発動編』の上映+富野監督のトークイベントという重厚なイベントにも行ってきましたので、ちょっと書きます。

トークイベント付きの18:00~回はsold outだったそうでスクリーンは満席、イデの力を実感しました。まず初めに上映前に富野監督と兵庫県美の(見た目がちょっとZガンダムのバスク・オム大佐似の)学芸員さんとのトークが25分ほどあり、随所に飛び出す「富野節」で観客の笑いを誘い、締めるところはビシッと締めるという、カジュアルでありながらも威厳のある、エンタメアカデミックなトークを堪能。『イデオン』という作品が、放送公開から40年たった現在に至っても尚、人々の心をとらえて離さない理由について、作り手視点からの冷静かつ鋭い分析を聴くことが出来ました。

「条件付けをされると、人間というものは仕事をすることができる」

『イデオン』があそこまでの壮大なテーマ持つハードSFとなった経緯について、「玩具メーカーとタイアップしたTVアニメ番組の監督」という自身の立ち位置を押さえた上で、与えられた条件や制約の中で作劇をしていくというスタンス。これまではwikipediaや雑誌上の情報でしか触れることができなかった富野監督のアニメ監督としての矜持、仕事論というものを、ご本人の言葉でダイレクトに聴くことが出来ただけでも、チケ代の2,000円は安い、安すぎだと思いました。

トーク終了後ほどなくして『接触編/発動編』の上映となったわけですが、イデオンについては既に語りつくされていると思うのでここでは多く語りません。しかしそうはいってもやはり『発動編』。何度観ても、後頭部をハンマーで殴られた(我ながら陳腐な表現で嫌だ)ような感覚になります。戦闘中というある種の極限状態で登場人物が露にする人間の生っぽい部分(これまで胸に秘めていた思いをぶちまけたり、死を目の前にした時のそれぞれの言動など)には毎回胸を打たれてしまいます。同時に新たな発見もあり、終盤に「業(ごう)」や「因果」といった仏教的な思想が散りばめられていることに気付いたりもしました。これからも何度も観る映画だと思います。

最後に、富野監督の人物像について。「富野由悠季の世界展」と『伝説巨神イデオン』に触れた直後だからなんとなく判ったのですが、富野監督は、欺瞞というものを嫌う、凄く謙虚で正直な人なのではないでしょうか。右とか左とか、善とか悪という二元論を持ち出さず、シャープに人間世界を静かに見ているような人なのではないかと。

そしてここからは偏見というか、単純に好みの話になってくる訳ですが、偉そうなことを言ってしまいましょう。富野監督は、宮崎駿ほどポリティカルでもアートでもないところ、そして宮崎駿よりもずっと男子好きのするところが最高なんです。もちろん、もちろんその要素は多分にお持ちなのですが、単純に教養のあるなしという話ではなく、上記でも触れたように、仕事人・職業人としてのあのスタイルが、凄くカッコいいわけです。クリント・イーストウッド的な美学や、スピルバーグ的な意地悪さというか悪戯っぽさも男児心にブッ刺さります。めちゃくちゃご本人に怒られそうなことばかり書きましたし、こんなファンを望んじゃいないこともなんとなく分かっているのですが、やっぱり宮崎駿や新海誠なんかよりも、ボクらは富野監督が良いのです。だから、ずっと好きで居させてください、カントク!!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?