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カイタロが死んだ日

今日、カイタロが死んだ。
カイタロは最後のホモ・サピエンス・サピエンス種つまり人類だ。
カイタロを看取る者はもう誰も居ない。
悲しんでくれる人ももう居ない。
ジャングルにほど近い洞穴でぐったりと横たわるカイタロが最後に思ったのは「眠いなあ おなかが少し減ったなあ」だった。

どんな生物もやがて絶滅を迎える。
私たち人類が登場する前にも私たちが「旧人類(ホモ・エレクトゥス)」と名付けた同種の類人猿が何種も現れては消えている。
彼ら旧人類は人類と同じ様に二足歩行し、大きな大脳を持っていた。同じように大陸を広く移動定住した。
彼ら旧人類はそれぞれおよそ50~100万年の間繁殖しやがてそれぞれ絶滅したと、2020年代時点の化石発掘で推測されている。

その後私たち人類が現れる。
現代の西暦記法で表せば紀元前200,000年頃、生誕場所はアフリカの現コンゴ・ウガンダ・南スーダン付近のジャングル。
同類のチンパンジーやゴリラがジャングルに留まりフルーツイーターで生存する戦略をとったのに対し、私たち人類はサバンナへ出て肉も穀類・豆類もフルーツも食べる雑食として生き延びることにした。
大脳の大きかった人類は好奇心が旺盛だった。遙かむこうに霞んで見える山影をぼんやり見つめ「あの山の向こうには何があるんだろう?」と、トボトボと歩き出した。
後年、人類が地上じゅうに繁殖することになる記念すべき歩みだ。


それから19万年をかけ、人類は地上のあちこちへ拡散してゆく。
およその拡散経路も2020年代現在では化石から推定できている。
19万年間、狩猟と採取で人類は子孫を残し続けた。
人類は非力で空も飛べなかったが、体毛が薄く発汗に優れた皮膚を持っていて体温が上がらず、持久力で長時間獲物を追い詰め狩る方法を得意とした。
群生で大脳が大きく他動物よりも記憶力が良く、採取食糧を加工する知恵も少しずつ蓄えた。
19万年もの長い時間――人類有史は僅か1万年しかない!――人類は狩猟と採取で生き延び続ける。

紀元前5000年頃のことだ。
定住し採集物を毎年1度収穫できると気づいた人類は、やがて大集団の群生を覚える。
村落、小都市、やがて都市...と群生の規模を少しずつ大きくし始める。
農作物を育てやすかった肥沃な大河の河川敷で都市国家を作り始めた。



それからおよそ200世代/1万年が経ち、このテキストを読んでいるあなたの時代に辿り着く。
地上には数えられるだけでおよそ80億匹の人類が棲息している。



それから人類はごちゃごちゃと小理屈をこね語り合い、何100万匹を何度も何度も大量殺戮し、食糧難で何1000万匹が餓死しながらもかなり長い期間生き永らえる。
月や火星から鉱物資源を持ち込み始める。
火星をテラフォーミングするものの採算に合わず、かと言って他ハビタブル惑星は移住するには遠過ぎ、地球上で繁殖し続ける。
温暖化や寒冷化のときにもなんとか頭数を減らし生息地を狭めたり広げたりしながら、生き延びる。


幾多の旧人類がそうであったように、やがて人類も頭数が次第に減り始める。
原因がここ数100年の寒冷化のせいか去年落ちた巨大隕石のせいか、あるいは100年ほど前から生じる地軸のブレなのか、それらすべてが原因なのかはよくわからない。
とにかく数1000年~1万年およそ200世代ほどで、人類はどんどん減る。
大がかりなインフラは維持できなくなり、30万年ほど前のように温暖な地域での都市国家で暮らすのが精一杯なところまで、頭数がみるみる減ってゆく。



やがて採取物を1年に1度収穫する定住群生も維持できなくなった。
かつてのように狩猟と採取だけの小集団で移動しながら生き延びるようになる。
もうずっと昔沢山のことを考え語り合い実現した多くの爺さん婆さんのことも忘れてしまう。
かつて量子まで操作していたのが嘘だったかのように。もう人類は量子が何なのかも知らない。

それでもまだ人口が減り続ける。
やがて木の実や果実が豊富で狩りもし易いジャングルにほど近い平地の洞穴や平地に、数1000匹だけが点在し棲息する。
頭髪もヒゲも陰毛も伸び放題だし、温暖多湿なジャングルでは衣類もまとわない。
体毛の薄い猿が火を起こし石を削った道具で過ごす。
仲間の間での簡単なコミュニケーションはまだ行えるらしい。


カイタロが生まれたのも、この洞穴だった。
カイタロの父親も母親も、お爺ちゃんもお婆ちゃんも、その前の祖先もその前の祖先もずっとここで暮らしていた...らしい。
カイタロは遠い先祖のことを知らない。
かつて地上に大勢の先祖が居たことも、夜空に昇る月へ行った先祖が居たことも、数多くの先祖が昔沢山喋りあっていたことも、もう知らない。
父は随分随分前に狩りに行ったまま帰って来ない。
母は妹を産むときに死んだ。
カイタロは死んだ母の遺骸をジャングルへ捨てたあとは、自分と同じ種を見たことがない。


カイタロの意識が次第に朦朧として来た。
「眠いなあ おなかが少し減ったなあ」
それが最後の人類が思ったことだ。


こうして地上から全ての人類 ホモ・サピエンス・サピエンス種は絶滅した。
カイタロが死んでも、ジャングルの鳥はさえずり樹々はいつものように風にそよぎザワザワと音をたてる。
きっと明日も明後日も来年も、この風景が続く。そう。あと何1000万年も数億年も続くのだろう、人類が地上に生息した時間よりもずっとずっと長く。

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