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本とは恋人のようなもの

本とは恋人のようなもの
本とは恋人のようなものらしい。

確かにそうかもしれない。だが、僕の中ではそれは少し違う。自分で探し出して手に入れたものに限られる。その中で何度も短期的に読み直した本こそ、恋人のようなものになり得ると思うのだ。

図書館で借りた本や、誕生日とかクリスマスにプレゼントされた本では、どうにも遊びに来てくれた親戚の子や交換留学生みたいな気持ちになってしまう。

なぜか?

今回はそれを考えてみたい。

例えば僕は冒険モノが好きだ。その中でもいくつかのジャンルがある。史実や実体験を元にした冒険譚、剣と魔法の異世界ファンタジー、人のいない終末世界、超古代文明が遺した遺跡、おいしそうな匂いを漂わせる街の風景etc...。探せば無限に出てくるが、どれも心が躍る。

まずはその中から適当にとって、パラパラと適当に頁をめくる。そこにいるのは誰だ?

インドの屋台飯を食べてお腹を壊した男が、1000年生きる魔法使いのエルフが、バイクに乗った少女とアンドロイドが、鞭を持った考古学者が、お腹を空かせたサラリーマンetc...。どんな物語にも、核となる主人公がいる。

主人公がいればヒロインやライバル、友達、強大な敵、色々なキャラクターが出てきて、地の文に合わせて情景と共に動き回る。旅の初日にスマホと財布を紛失し、勇者と共に魔王を討ち、誰もいない世界で人間を探し、ナチスや悪の組織と秘宝を巡って死闘を繰り広げ、空いた時間においしい定食を食べる。

そこには主人公が見た世界が広がっていて、彼らが見ているものを文章が、絵が脳内に再現してくれる。この瞬間がなんともいえない感情に浸ることができる。

これを自分に置き換えるなら、まず本屋に行く。沢山の本棚に配架された無数の本から、読んでみたいと思う本を探す。まずここから僕を主人公にしたワクワクドキドキの大冒険がもう始まっている。

舞台は薄暗い白熱灯がチカチカ瞬き、古い紙の匂いが充満した小さく狭い古本屋でも、白いLEDが明るく照らし、流行りの音楽がかかる広い大型書店でもいい。なんの気無しに立ち寄った本屋で出会う、1冊の本。

これこそまさに恋人が見つかるのと同じではないか。

手に汗握る様な劇的な出会いなんてものはないし、なんなら、たまたま取ろうとした本の隣の本に間違えて手をかけて見つけたくらいのものだってある。題名、表紙、あらすじを見て興味を持てば、もうそれは運命だ。ならばもう読むしかないだろう。ちょっと立ち読みしてみよう。お前、目が合ったな?これでお前とも縁が結ばれた。

レジを通って家に帰るまでの信号待ちの間に、耐えきれずちょっとだけ読んだりしちゃう。もうこの時点で本と自分の薬指に糸が結ばれちゃった様なものだ。あとはこれが赤色になるかどうか。それが肝心。

家に帰ってちゃんと最初から読んでみる。面白くて時間も忘れて読了する。読み終わって満足して本棚に直してずっと放置しまうと、それはただの友達みたいな本で終わってしまう。何日かかかっても2回、3回と読み直していると、どんどん結ばれた糸が赤くなってくる。こうなったらもう恋人と言っても差し支えないのではないだろうか?

一度本棚にしまって、短期的なスパンでまた読み直す。次第に本は手垢で塗れていく。綺麗だった装丁がヨレてきたりする。そこまできたらもう恋人超えて結婚しているかもしれない。アツいねぇ。

ただ、恋人というからにはそのくらいでないといけない気がするのだ。だから、図書館で借りたり、誰かにプレゼントされたものではそうなりにくいのだと思う。

もちろん、これは個人の見解なので、他の人の意見は違うかもしれない。だから、とりあえず君も本屋で自分の読んでみたいと思う本を見つけてみないか?きっといい出会いがあるよ。

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