見出し画像

「住」に携わって

ゼロノワ不動産スタッフとして日々精進している高山ですが

故郷札幌に暮らしていた若かりし頃は主に飲食店の接客をしていて、

コーヒーを運んだりケーキを売ったりしていました。

出産育児でしばらく子どもたちと一喜一憂の毎日を過ごしたのち

色々あって仙台に落ち着き、現在に至りますが


「食」にかかわる仕事から、

「住」にかかわる仕事に携わるようになった自分をふと思ったときに、

亡き父を思い出します。


配管工だった父はとにかく仕事人間で、時には早朝から深夜まで現場で作業することもありました。

口数は多くなく、自分の機嫌の良し悪しで家庭の雰囲気も変えてしまう、どちらかというと亭主関白な昭和の男でしたが

私が幼いころに立ち上げた設備会社で、ともに働く皆さんとその家族をとても大切にしていました。

このあたりは建築工房零の代表・小野に近いものを(勝手に)感じたりもします。


当時は父親の仕事の何たるかを全然理解していませんでしたし

あまり興味もなかったのが正直なところで、

長く勤めてくださっていた方に「いずれはゆかちゃんが継ぐんだべ?」と言われても

「えー、それはないでしょ」などと思っていたものです。


しかし、仕事に真剣な父の記憶は色褪せず、

図面とにらめっこしていたり、とんでもない早起きでも愚痴一つ言わずに出かけていく後ろ姿などを今でも覚えています。


不動産という「住」に関わる仕事をするようになり、ライフラインの重要性を再認識したときに

「もっと父からいろいろな話を聞いてみたかった」と深く思います。

なんせもともとの知識があまりに少ないので、学ぶのも人一倍、いやおそらく何十倍もかかるのです。


いまこうして、調査の中で私も図面を見たり水道のことを調べたりしているわけですが



ふとしたときに、当時の父の姿がよみがえってくる。



もっと仕事の話をしてみたかったな。


今日、3月22日は父の誕生日。

死んだら年取らなくなるのかもしれないけど、


おめでとう。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?