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春はボルケーノ、ようよう上がりゆくバイブス

don't think, tweet.
どうも、あなたの勇者ぜろ子でございます。

キングボンビーのようにどこまでも付いてくる無能感を日々しっかりと感じながら生存している。ここまでくると悲観的にすらならない。たまにかなしいけどね。

僕と遊んだり話してくれたり、関わった人はみんな「ぜろこくんは面白い」と言ってくれる。これは本当に有難いし嬉しいことだが、僕自身は面白いなんて1ミリも思っていない。確かに自分オモロって思う瞬間はあるけど、基本的にユーモアもクソもないゴミ箱の隅のカスだと思っている。

そんなことを告白するとだいたいの人は「そんなことないよ」とも言ってくれる。本心だと思うけど、優しさでもあるなと。
でも、ごく稀に「一緒にいて何かするだけで面白いし楽しい」と言ってくれる人もいる。なんて純粋な言葉なんだろうと僕は勝手に拝んでしまうし、何か発言しないといけないという呪いから解放される。
解放された僕ができることはまた会うことだけ。
20半ばになっても高校生、大学生みたいな悩みを抱える僕のアホさ加減にも呆れる。が、そんなアホに純粋な言葉をかけてくれる人をこれからも大切にしていきたいなと強く思う。

以前のような希死念慮に襲われることはほぼなくなった。このまま一生来ないでほしい。多分僕はめちゃくちゃ長生きする。
他人に何か影響を与えたいとか無いしなりたくないけど、自分の趣味嗜好、思想が他人に入り込んでいる瞬間を見ると、傷跡を残せた自分の生を証明できたとキモい笑顔で喜んでしまう。心の底では影響を与えたいと思っているのだろう。
他人に傷跡を残すことは生きている者、死んでしまった者、どちらにとっても希望になりうるものだ。唯一の救いだと考えている。救いだがそれにしがみつくのはこの上ない苦痛であり、死んでも続く呪いだとも考えている。

こう考えている、やっぱ早くサイボーグになりたいなとなる。全てプログラム様やAI様に任せたい。


この間、見た夢が面白かった。天国に行く話なんだけど、その天国はなんか知らないけど熱すぎる温泉とか、やたら尖った足つぼマッサージとかが沢山あって天国って案外いい場所じゃないなって夢だった。
多分、世界にはユートピアなんてものはなくて何かしらの苦があるからバランスが取れているのだと思う。でも、僕は楽して生きていきたいな。大富豪になって庭になか卯とかスシロー建てたい。あと、出前取りたいかな。苦痛が必ずあるなら、電圧マッサージとかがいいな。
龍角散タブレットが意外と美味しい。


夜に散歩していたら近所の河津桜が葉桜になっていて、あぁもう冬は終わるんだなと悲しくなってしまった。春を感じる生ぬるい夜風は気持ち悪く、自分の輪郭をあいまいにしていく。体に突き刺さる冬の風は自分と外界をしっかり分けてくれてたのに春は何もかもあいまいにする。冬はないか冬はないかと探してやっと見つけたのが、自販機のコーンポタージュだった。これがなくなったら、今までの自分が一旦リセットされてしまうんだな。


良い夜を

utopia / 揺らぎ




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