SYNCHRONICITY24 WEG

どうも、ぜろ子です
SYNCHRONICITY24のWorld's End Girlfriendの感想をごく簡潔にまとめると壊されたです。
今回はそれを詳しく狂い記す。

僕はこれまで数え切れないほどのライブに足を運んで感動したり絶望したり虚無になったり様々な感情にされた経験があるが今回見たWEGはそれのどれにも当てはまらない、言わば踏み入れては行けない未知の領域だった。

まずは感覚的な感想から書き残したいと思う。

ライブ前、音出しの時点で僕はギターが出す高音ノイズとモジュラーシンセの発狂サウンドにウットリしていた。これから一体どんな景色を見せてくれるのだろう。
そのときはいつものライブと同じ感覚でワクワクしていた。
しかし、その感覚は始まった瞬間に破壊し尽くされた。
今まで体験したことがないような音の洪水、空間がそのまま襲いかかってくるような緊張感とたまに顔をのぞかせる優しさに度肝を抜かれた。
僕は踊ることをやめてただ空間の歪みに身を任せることにした。
どこまでも冷徹で残酷なノイズを耳をすまして聴いていたら途中から尖った輪郭が丸く甘い形になってきた。
体を優しく包み込んできたのだ。
ハーシュノイズウォールのライブで轟音の壁に包まれて臨死体験をしたことは何度もあるが、その感覚とは全く別種だった。
死では無い、しかし、生でも無い。
そこには死も生もなく、上も下も右も左もなく、デジタルもアナログもなく、リアルもフェイクもない。
ただ広大な空間が広がり優しく体を突き刺してきた。

今まで体験したことがないような重低音も凄まじかった。
僕は自称重低音ジャンキーだからその手のライブには足繁く通い、内臓をふるわせていた。
ニューロシス、ジェイムス・ブレイクやOPN、Merzbow、山塚アイ氏、彼らの重低音は文字通り地面を揺らし内臓をシェイクした。
しかし、WEGのそれは命を奪おうとする音だった。
これは比喩ではなく重低音で喉や肺を振るわせられ、締め付けられたのだ。首と心臓を鷲掴みにし全てを奪おうとする重低音。

そこに先程のノイズが現れる奪われ、与えられの繰り返し。
自分が一体どんな状態になっているのか一切わからない感覚不全に陥った。現に2回ほど意識を失いかけた。

ここまでのものに出会ってしまったらもう戻れない。戻れるはずがない。全てを破壊され全てを創り直された。再構築では無い、オブジェクト指向存在論的な別視点でもない、まだなんと言えば理解が追いついていない状態だが、『創り直された』という感覚はしっかりとある。

少しノイズの話もしたくなった。
僕がノイズの魅力に取り憑かれたのは、高校2年生、友人からRadioheadがいいらしいと勧められて地元のTSUTAYAに駆け込んだ時だ。
そのTSUTAYAの名盤百選のコーナーにRadioheadのAmnesiacがあった。今思えばおかしいチョイスだが、何も知らないぜろこ少年は「名盤コーナーにあるんだからこれ聴いときゃ間違いないだろ」と思い手に取ったのがノイズとの邂逅だった。
あまりにも衝撃的な音世界だった。
特にPulk / Pull Revolving Doors、この曲を聴いていたらノイズから美しく甘い瞬間を見つけた。
その甘美な瞬間にもう一度出会うために何度も何度も執拗に聴いていた。そうしている内に全ての音が美しく甘い音になっていった。
ノイズ(不要なもの)の先にあるのは甘美な平原であるとそこで確信した。僕はそこを今も見続けている。

WEGの話に戻るが、ノイズの甘美は基本的にこちらから見つけに行かないと出会えないものだが、WEGのノイズは向こうから一方的に向かってくる。脳に直接流し込んできたのだ!
こんな経験全くなかったから困惑した。ひたすら甘美の平原を脳みそに流し込まれ続け、冷酷に刻み続けられた。
そこは天国でもないが地獄でもない。
ひたすら受け続けるしかない甘い銃弾の嵐だった。

ここまで残酷に甘く優しいものがこの世に存在して良いのだろうか。しかし、経験してしまった。
僕はもうダメだろう。


感覚的にダメになったが、冷静にもなっていた。
ここから冷静な話(のつもり)
ライブを見ていてリンクした話がある。
坂本龍一のS(サウンド), N(ノイズ), M(ミュージック)だ。
サウンドとノイズはそのままの意味として捉えてもいい。Mは楽曲。さらに正確に言うと旋律やリズムといった要素を見出すことができ、楽曲として構成され、体裁が整えられたもの。
WEGのライブにはこの全ての要素があった。
サウンドでありノイズでありミュージックであった。 
ノイズの発狂が徐々にサウンドと同期していき、ミュージックになる。ズレが交差していきある一転で旋律としてリズムとしてバーストする。
このカタルシスがあった。
そして、ノイズ単体、サウンド単体を取っても幾重にもかなさり一定の感覚で拍動し、単体だけ聴いてもミュージックになっていた。

それに気づいたとき、自分の中にある全ての前提が白紙に戻された気がした。
曲がりなりにも音楽を作っている身として心をへし折られた。こんなものを見せられたら何も作れなくなる。
なんて美しく破滅的なんだ。求めていたものを見つけた。と放心した。

2月末に見たOPNのライブも僕の制作にとって大きすぎる影響を与えているが、WEGのライブは音楽を辞めてしまおうと思えるほどの影響がある。
しかし、僕にはvirgin babylon recordsを倒すという重すぎるレーベルへの愛があるから今のところ辞める気は無い。安心してほしい。

今回のライブで僕は新しいものを作ろうも考えている。
もう時期アルバム等の告知をするが、自作に向けて動いている。
白紙に戻しました。
全ての感覚を不全させるアルバムを作ります。

World's End Girlfriend、そしてvirgin babylon records
愛をこめて感謝を送ります。

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