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僕が外に出る時だけ雨降るのやめてください。
どうも、あなたの勇者ぜろ子でございます。

4月の初めから三年日記をはじめた。1ページに3年分書ける、去年の同じ日の出来事をすぐに振り替えられる、何より一日の文量が少なくて良い、ズボラの僕でも楽しく完走できそうだ。
noteみたいに不定期で思ったことを残すということを約1年続けてきたが、アウトプットの練習もしたいし、やっぱ紙に書きたいという気持ちが爆発してしまい購入に至った。実際かなり楽しい。早く2年目、3年目に突入したい。

そんな楽しい三年日記だが、長い文を書くのはあまり得意では無いので、最近ふと思った短文で収まらないことはnoteで公開することにした。僕の言葉を待つぜろこくんガールズもいるし、その辺のファンサは怠らない。

こんな世の中になってはや1年少し、20時以降の街は灯りも少なく以前の生活が幻のように感じる。
何かと自粛自粛で家にいることが増えた人も多いのではないか。ここまで長い期間、軟禁生活を送ることになると嫌でも『自分探し』や『過去を振り返る』ことが増えるのではないか。

そう言う僕もその1人で、自分って何なんだろとか言葉とは何なんだろとか、悶々と考える日々が増えた(気がする)。
『自分探し』とは言うが、それ自体も何なんだろう。海外を旅する?食べること?祈ること?それとも、恋をすること?
短時間だが考えた結果、僕にとって、それらの『自分探し』は余りにも虚しくて信じれないものになってしまった、と感じる。

何時間も何万時間も、何万も何億円も、かけて自分探しをしたところで自分の中身など一生見えない。
一生見えない、わからないものに取り憑かれ、有限なものを次々と吸い取られ、気が気じゃなくなる。だから、そんなことに時間や金をかけても無駄なんじゃないか。

こんなことを言ってしまったが、自分探しが悪いとは思わない。時には自分を見つめ直すことは大切だ。今年で、というか今月で25歳になる。10年前の僕が今の僕を見て大人になったと思うか。それとも思わないのか。
桜が咲いたと思ったら、知らぬ間に散っていった。花は咲かないと散れない。僕も咲き乱れて散りたいもんだ。

良い夜を

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