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初めて食べたモンブランの味

この前初めてモンブランを食べた。
どうも、あなたの勇者ぜろ子でございます。

図書館のカードを作り直して以来、読書欲が復活した。
それに伴って、自分の言いたいことが確実な形になって日々悶々とすることが増えたので、少しずつアウトプットしていこうと思う。

本を読んでて気づいたことは僕の考え(大きく出れば思想)は仏教的だった。
「人生は基本苦痛」という考えは一貫して変わらない。
しかし、苦痛しかない絶望的な人生観ではなくて、「闇があるから光がある」という希望的な部分もある。人生なんてものは基本痛くて苦しくて耐え難いものだが、たまに良いことがある。それが人間をそそのかして生かしてしまうのである。
人生を60分にするなら59分は苦痛で1分は快楽なのだ。極端な思想だね。

しかし、そう思わないかい?って僕の中のめんどくさい部分がみんなに語り掛ける。
人間は不思議なもので苦痛を味わうと現実がハッキリとした輪郭を持って目の前に現れる。苦痛を味わう前の自分は幻だったんじゃないかと思うぐらいの現実が現れる。
人間は苦痛を味わうことで初めてこの世に生まれることになる。

苦痛と言っても大怪我をする、愛する人が死ぬ、会社をクビになる……人によって様々なものがある。他人から見て大きい小さいは関係なく、自分にとって苦痛と感じたらそれが現実になる。
きっと目が覚めてない人はほとんどいないだろうけど、まだ微睡んでいる人は幻に酔うのはやめて、現実に醒めてほしい。

ここまでくると僕だけが苦しむのはなんか平等じゃない!みたいになるね。
みんなも一緒に苦しもう!

それはそうと、人生は(また主語がデカい)『海上を走る船に乗ってる船員』のようなもので、生まれた時点でもう既に大海原に放り出されている状態なんだと考える。
走っているうちに甲板が剥がれたり、舵取りが効かなくなったり、様々なトラブルが起きると思う。しかし、それをただ眺めて沈むのを待っている人は少ないと思う。
最適な船を造船所でゆったりと作り上げてから海に出る、というような人生はない。(相当実家が太ければ可能性は多少あるかもしれないが)
だから、誰しもが恵まれない状態で生まれ、苦痛にまみれ生きてしまい、そして死ぬのである。

僕はこんなふうに考えながら生きてしまっている。こう考えないとやってらんないからね。
多分、この先も良いこと悪いこと沢山あるし悪いことしかないかもしれないが、それでも必死に船を修理して死ぬまで走り続ける。
僕は別に死は救済なんて思っていないが、『生きていけば死ねる。死ぬために生きないといけない。』と考えてしまう。それだけが希望なのかもしれない。

悲観主義でネガティブ思考が拗れるとだんだん楽観的になるのである。

良い夜を

偉大なお告げ / sacoyan

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