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「日本で1番、高校生が○○な場所」にしたい

習慣化が本当に苦手で、高校生と共に日々成長している清掃員の内藤です。
お久しぶりです。

「新しい高校といえばゼロ高だよね」「オンラインの教育といえばゼロ高だよね」という言葉を頂ける機会が多くなってきました。とてもありがたいことです。本当にありがとうございます。

地元の全日制高校になんとなく進学するんだろうな〜と考えていた子も、
新型コロナウイルスの影響で、否が応でも

「なぜ学校に行く必要があるのか」
「なぜ学ぶ必要があるのか」
「なぜその学校に行くべきなのか」

というめちゃくちゃ本質的な問題を考える機会が生まれたと思います。
通信制高校なんて考えられない、というご家族に向けて
今のこの世界で、ゼロ高って結局、何のために、何を解決しようとしてはじまったんだっけ?ということを今回は伝えたいと思います。

自分らしくいることが許されない世界

小学生に会うと、いつも元気になります。
忖度もなければ、未来に対して無垢な状態で、人の美しさという面で見ると、1番素晴らしい状態ではないでしょうか。

そんな美しかった、毎日ハイテンションだった姿も、中学校に入ると徐々にテンションは下がっていきます。

その理由は明白で、テストや評価によって「減点評価されること」「価値判断される」ことが多くなってきます。君は「理科ができない」「数学が苦手だね」などなど。

「できた」ことではなく「できなかった」ことを判断させられる機会が多くなっていきます。現在、教育現場で「ティーチングからコーチングへ」という言葉が叫ばれています。つまり、一方的に知識を詰め込むのではなく、その子の可能性を引き出すことが求められています。

「これができていない」「これが苦手だね」と評価することで、可能性は伸びるでしょうか?われわれは伸びないと考えています。
これが現在の国内の教育環境の問題です。

例えば、地域コミュニティが存在したり、教会などの学校以外での社会とのつながりがあれば少しはマシです。
学校で減点評価されても、近所のおねーさんが認めてくれたり、評価判断されない居場所があり、自分を受け入れてくれる環境があればまだ救われます。
しかし、最近ではそのつながりも難しくなっています。

生まれた時からみんな天才だった

全員に才能はある。どこかのタイミングでその才能を広げられた子もいれば、自分に合う場所を見つけた子もいる。きっかけさえあれば、続けてさえいれば、諦めさえしなければ。

人の能力は生まれた時で固定されるのではなく、機会や体験、挑戦を通じて必ず成長していく

わたしたちはこの可能性を信じています。そして、その価値観に共感してくれた、自分を信じる才能たちがゼロ高に集まってくれています。

(Creepy Nutsの新曲がそんな感じのことを伝えてくれています)

人の「不完全さ」を受け入れるやさしさを

成長の伸びしろがあるということは、その分不完全であります。

ゼロ高は日本で1番、社会や人の不完全さを許容するコミュニティでありたいと願っています。

これはゼロ高生も同じです。彼彼女たちは、
「不完全さを許容する」ことをとても大切にしています。

あれができない、これができない。言い出したらきりがないです。
実際、内藤自身も、決してロールモデルとして参考にすべき存在ではありません(脱いだ靴下を洗濯カゴに入れられない)。

詳しくはこちらの動画のエピソードを見てみてください🤣

ちがってもいいし、まちがってもいい

ゼロ高で、この不完全さを許容する世界をつくっているメンバーがいます。
ゼロ高にはコミュニティデザイナーというコーチがいます。

前回のnoteは、そのコミュニティデザイナーの三森さんが書いてくれました。

押し付けがましくもなく、否定するでもなく、ただあなたらしくて良い。
なにができなかったではなく、なにをやってみたいかを語りましょう。

🏫 説明会、毎週開催中

やさしさをつくりたい、と考えているゼロ高に興味のある中学生高校生のみなさま、毎週末説明会を開催中です。
転校するつもりがなくても全然大丈夫です。
日ごろの悩み相談でも大丈夫です。

ご連絡をお待ちしております😊


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