"本当の声を聞かせておくれよ"まりねえさん【松本サポインタビュー】
100年史だと「暗黒の時代」って書かれるかも
ーよろしくお願いします!
よろしくお願いします。
ーJ3・・今年も大変でしたね(笑)
ハッハッハ、いやなんかウチが空回りしてるだけなんじゃないか?って思っていて(笑)
ーそういう見え方なんですね今のところは
そうですね。なんだろうなあ。まあ、結果が出ないマイナスな雰囲気にサポーターも巻き込まれ、応えたいのにと思っているチームも巻き込まれ、っていうのをずっと繰り返していて。負のスパイラルにハマってる感が自分には思えましたね。
ー巻き込まれるっていうのはよくない流れみたいなことですか?
ですね。良くない雰囲気を良くしよう!って思ってサポーターとかもがんばって声出してるんですけど。それを継続しきれないうちに我慢できなくなって、ちょっとキレちゃったりする人がいたり。そうすると周りの雰囲気もピリピリしてきて。なかなか前向きな声も出しづらい空気感が出て。プレーもあんまりよくない感じが続いたりすると、さらによくない空気が助長されちゃうというか。そういう感じなのかなあ?っていう風に私には見えてましたね。
ーじゃあ雰囲気的に昔と変わってきてるところもありますか?
あぁー、変わりましたね。なんかおおらかさがちょっとなくなったなっていうか。”強いクラブ”って思い込みすぎちゃってる感じがすごく。自分には感じられて。「いや、うちのクラブそんなんじゃないじゃーん」みたいに思いながら見てるみたいな。そう考えると、「これ別にヤバイ!とか思わなくてもいいんじゃない?」って私とかは見てるし。悪かったら悪かったなりに「この歴史をちゃんと見とこう」みたいな。ものすごい引いた目線というか。
ーいやー、わかりますわかります
歴史全体で見ていて、100年史書いたときに「ここ暗黒の時代」みたいに書かれるんだろうなくらいの。なんかそういう風に思えるとラクなのかなって思うんですけど。意外と他のサポーターのみなさんはもっと前のめりで、一年単位で見てる人が多いんだなってところはすごく感じますね。
ーまりねえさん的には松本山雅にはこのくらいの位置にはいてほしいみたいなそういう期待みたいなものってありますか?
そうですね。自分自身がいてほしいっていうよりも、いろいろ総合的に考えるとJ2ぐらいにいられたらいいんじゃないかな?とは思います。ただ、私の中で感じているのが地域の経済規模みたいなところ?
ーうんうん
で、考えたときにJ1定着する、それを支えるようなスポンサーがなかなか・・・EPSONさんはいてもらってるんですけど。仮にEPSONさんが結構ヤバイってなったときに、じゃあ次にどなたか出てきてくれそうか?っていうと。松本っていう地域にはちょっと少ないんじゃないかな?っていう風には思っていて。
ーなるほど
もし、次に大きいスポンサーさんが出てきてくれるっていうことになる際には、ほんとにマーケティング的にデータとかを全部出して効果とかをきっちり検証できる状態にして。そうじゃないとスポンサーが決済できなくて、絶対に成り立たないっていう。今の山雅の体制よりもさらにレベルアップしないと成り立たないんじゃないかなっていう気がしているので。
ーJ1定着っていうと相当なテコ入れが必要ってわけですね。ところで、サポーターっていろんなタイプの人がいるじゃないですか?まりねえさん的にはどういう風なサポーター活動をされていますか?箱推しとか、個サポとか
「箱推し」ってことなんでしょうね。うーん、なんですかねえ。でもやっぱ一歩引いてみてるところはあるのかなあ。東京とか離れたところにいて、そこから地元が頑張っているのを心から応援しているし。でも、アルウィンにいったら私は跳ねないけど声は出し続けるみたいな感じです。結構空気を読まずに前向きな声を出すっていう(笑)それは努力してやってます。
ー今、お住まいは東京で。ご出身は松本ってことですよね?
そうですね、松本らへんです。松本市の横っちょにあるちっちゃい村なんですけど。おそらくそういう小さな自治体でホームタウンに登録しているところはほぼないんじゃないか?っていう段階で、うちの村が山雅のホームタウンに登録するために必要な算段をしたのがうちの父親だったんですね。
ーあ!そうなんですか
そうなんです。
ーじゃあお父様もその時点で松本山雅に関わられていたんですね
いえいえ、ただの村民です。役場勤めだったので、村長とも話をする機会があるというか。それとクラブの役員だった人にうちの村出身の人がいたので、「じゃあちょっと一回そういう話し合いの場を作ろう」と勝手に思ったらしくって。で、村に電話をかけ、山雅のオフィスに電話をかけ、両者のセッティングをやったっていう。
ーそれって何年ぐらいのことですか?
それはたぶん2012年か2013年ぐらいじゃないですかねえ。
ーJ2にあがって1年、2年ぐらいですよね
そうですね。なんというか、やっぱり機運が盛り上がってきていて。村でも検討する段階に持っていくのでも、すごく少数のひとたちだけが応援しているのではなく、広く認められるべきものというか。みんなこれで山雅を一つのきっかけやツールにして村の力を発揮できるとか。そういうことにつなげていけたらって考えていたんじゃないかな?って思います。
ーその当時はまりねえさんはすでに東京におられたんですよね?
あ、そうですね。私は、大学入学のときも上京して、もうずっとそのままなので。もう30年とか経ちましたね。
松本という地域性
ーさっきの話に関連してなんですが、松本には地域みんなで諸手を挙げて応援しよう!みたいな空気感があるんですかね?
私のイメージですけど、もともとは松本ってあんまり盛り上がったりとかしないっていうか。ちょっと、なんていうんですかね・・・県庁所在地じゃないってちょっと引け目を感じちゃうっていうか
ーはいはいはい!例のやつ(vs長野感)ですね(笑)
例のやつですね(笑)で、それがあって。でも松本を自慢できるネタが「パルコあるし!」とか「城あるし!」みたいな。松本山雅が現れたことによって勝手に優位に立てたみたいなイメージっていうんですかねえ。2008年の天皇杯で湘南に勝ったこととか、その翌年に浦和に勝ったり。その年にJFLに上がって、その2年目に松田直樹が来て。
ーありましたねえ
あのとき松田直樹が来たのって、今例えば「稲本が南葛にいる」っていうレベルじゃないぐらいの感じで。
ーレベルじゃないっすねえ。現役感バリバリあるタイミングでしたし
衝撃的で。ちゃんと試合も出ててめちゃくちゃ年俸もらってたのに、それがどんなにカテゴリー下がっても絶対サッカーやりたいっていう。あの松田直樹のインタビューの映像とかって時々出るじゃないですか?
ーマリノスの退団のときのやつですか?
そうですね。それをみたときの衝撃っていうのが。「そんな切られ方あるのか?」って感じて。日本でこんな切られ方するんだ?っていう。私別にマリノスファンじゃないけどそんな衝撃を受けてたところに、ウチのクラブにくるってなって。「はい??」っていう(笑)
ーまあ「はい??」としか言えないですよねそれは(笑)
で、もう本当に「行き先決まってよかったよね」っていうのと、あとそれがまさか「ウチのクラブに来てくれるなんて」っていう(笑)
ーふってわいたような話ですよねまさに
はい、もうびっくりしまくって。まだYahooニュースも今ほど充実してないころにその一報を仕事場で見つけて、思わず声が出ちゃったぐらいで。
ー「えええっ!?」っていう(笑)
文字で見た瞬間「は!??」っていう。ちょうど取引先でマリノスのサポーターの人がいて、仕事の件で電話がかかってきたときに「そういえばまりねえさん、直樹よろしくお願いしますね!」みたいに言われて。「いやー、もうほんとに!すみません!」みたいな(笑)「でも、絶対100%で応援します!」って宣言して。その後お会いした時にサッカーでやるような握手して「ありがとうございます!がんばります!」みたいな感じになったりして。で、その衝撃的な一件から移籍会見で彼が「山雅を全国区に」と言ったことで、山雅のサポーターもちゃんと意識し始めたきっかけだったのかなぁって。
ーあー、なるほど!
そこまでJリーグなんてそう簡単にいけないし、何をどれぐらいチャレンジすればいいのかわからないみたいな気持ちだったときに松田直樹が来るってなって。「あ、なんか起きるのかな?」って予感させるみたいな。
ーうんうん、そういう兆しみたいなインパクト受けますよねえ
松田直樹に選んでもらった瞬間に、「ウチは選んでもらえたんだ」っていう。勘違いとかじゃなくて、上昇気流に乗ってるって感覚をちゃんと覚えられたし。でも、その一方で8月に倒れて・・・っていう。松田直樹が亡くなったっていうのを見るまで、やっぱウチのチームの力のなさっていうのを痛感させられるっていうんですかね。
ーうーん・・・そうかあ
練習環境も良くはなかったですし。一流のアスリートがウチでやろう!と思ったときに環境にギャップがありすぎて衝撃を受けていたってニュースの特集を5月ぐらいによく見ていたので。多くの人に愛されている一流の選手を、ウチのクラブで命を落とさせてしまうっていう。なんかそのこと自体もすごい悲しかったし、申し訳ないような気持ちがして。「ちゃんとしなきゃいけないな」ってすごく知らしめられた感じもあって。そこである意味覚悟ができたというか。上にちゃんとチャレンジするっていう、夢で終わらせちゃいけないっていう。その感覚がたぶん、クラブから、サポーターから、スポンサーから、そして地域全体から、全部が結集しよう!っていう。それぞれの力を集めようっていう力につながっていったのかな?っていう風にはすごく感じますね。
松本山雅を応援するきっかけ
ーまりねえさんご自身が明確に松本山雅を応援しよう!と思われたのはいつですか?
2009年の天皇杯を現地で見たんですよね。東京に住んでいたので、現地に行って見るところまでは想像していなかったんですけど、以前から結果はちゃんと気にしたりしていて。この天皇杯から帰省したときに見にいくことにして。次の年からはJFLに上がったので、関東近郊は応援に行けるから任せて!みたいな。
ーということは、北信越リーグ(地域リーグ)時代も一応認知はしていたけどってことですね
そうですね。存在を知ったのは2004年でしたね。Yahoo!ニュースでJリーグを目指すプロジェクトがはじまったっていう記事を見つけて。「へえ、そんな動きがあるんだあ」って。「たしかにあそこ使わないともったいないよね」って思ったっていう。
ーああ、アルウィンですね?
はい。だけど、そこまで本気で自分から応援しようみたいな気持ちはそんなに生まれてなくって。2006年にそれも天皇杯の1回戦のときに、たまたま松本に帰っていたので行くことにして。相手が同志社大学で。「もう、そんな遠くから来てお疲れ様です」みたいな(笑)
ー京都から松本まではるばる(笑)
そう!(笑)5,6人ぐらいの大学生の子たちが横断幕を出して手を叩いて応援していてみたいな。なんかそれを微笑ましく見て。試合の結果は全く覚えてないんですけど(笑)
ーむしろ松本にはるばるやってきた大学生の姿の方が記憶に残ってるという
そうですね。はい。そのときにほんと「こうやって遠くまで応援しに来てくれるんだなあ」っていう喜びや感動みたいなのを感じた記憶がありますね。
ー同志社大学とはいえアウェイ遠征カルチャーみたいなものに初めて触れるみたいな
そうですね。なんだろうな。そのときはホーム・アウェイっていうよりも、ただ単にスポーツを見に遠くまで行くこと自体がなんかシンプルに「すごーい!」って思うっていうんですかね。「来てくれたひとたちすごいなぁ」って思う感じですね。それが山雅の試合を見て一番最初に思ったことですかね。当時はまだ山雅の方も全然人少なかったし、私はゴール裏に行くなんて感覚は全くなかったので。あのエリアは心の底から応援している人しか行っちゃいけない場所なんだろうなみたいに思ってて。
ーあそこにいくには「純度がもとめられるぞ」みたいな
そうですね。本気で応援しにいかないとダメなんだよね?っていう、なんかそういううっすらとした知識はあったという感じだったので。
ーそんなまりねえさんが、芯が入るというか、「これは私のクラブ」って思えるというか。応援したいなって思い出すのはどのぐらいのタイミングだったんですか?
2009年に浦和に勝った試合を見たときに、「あ、この試合見せられたらやっぱ応援しちゃうよね」ってなんか思って。
ーいやー、いいっすねえ(笑)まあ、そうなりますよね。だって囲まれるじゃないですか。浦和のサポーターがたくさんアルウィンに来るから
なんか、あの”壁ごと揺れる”みたいな感じじゃないですか?我々は動きがそんなにまとまってないんですよ。だけど、浦和の人たちみんなちゃんと同じリズムでマスゲームかのように動くじゃないですか。
ーそうですよね。あれはもう芸術品ですよね
はい。あれが衝撃で。「はーっ・・・」って家族みんなでなって。感心して見てましたね。で、そのクラブ相手に1点リードして、わーってみんな盛り上がってるけど、うちの家族は「1点取れることはある、1点はある」って言って。なんか冷静でいなきゃいけないぞって思ったみたいで(笑)で、2点目とったときに「やばーーい!」って喜んでジャンプした記憶があります。兄が嫁と友人を連れてきたんで、みんなでハイタッチをしてみたいな。
ーああ、じゃあもうご家族みなさんで松本山雅を応援されてるって感じで?
そうですね。みんな緑色になってます。
ーなんだろう。他の地域とかだと野球が根強かったりして「いや、サッカーなんて」みたいなことになったりとかするんですけど。そのあたり松本はどうですか?
そういう傾向は薄いと思いますね。そもそもJクラブのような、地域をスポーツを通じて応援するみたいな感覚はあまりなかったなと。あえて言えば、高校野球で松商学園が準優勝したときに地域みんな盛り上がった、って感じですかねえ。
ー岡山だと広島と神戸に挟まれていてカープとタイガースがあるけど、岡山にはなんもないって状況じゃないですか?
うんうん。なるほど。
ー言い方悪いんですが、ある種の借り物的に広島ファンではあるけど岡山に住んでますみたいな方も少なくないんですけど。岡山民からすると「わしら岡山を代表するチームはねーんじゃな」みたいな感覚があるんですよね。そこにファジアーノ岡山が来たのでやっと「わしらのチームじゃな!」って思えるというか。松本山雅が松本でそういう部分を担ってる感じってありますか?
そうですね。それで考えると、「うちらにはないし」みたいなことすら思わなくって。”長野県はサッカー不毛の地”って言われてたんですよね。だから、そういう存在が現れることを2002年とか2003年の段階では全く想像してなかったですね。高校サッカーとかでも「いや絶対1回戦で負けるし」みたいな。見るスポーツだとプロ野球で年1回ぐらい興行があって。あくまでスポーツ好きなひとが見るためのもの、みたいな感覚だったので。
ーうんうん
やっぱりこう、それよりは長野市と比べられたときに「いや、うちパルコあるし!」みたいな、ちょっと引け目メンタルみたいなのがある中で、急速に台頭してきた松本山雅という存在にみんなどんどん吸い込まれていくみたいな感覚だったんじゃないかなと思いますね。
ーやっぱ対抗意識に応えてくれるというか、プライドを満足させてくれる存在自体にニーズがあったんでしょうねえ
卑下してる段階で、みんな冷静でいようとしていたというか。あそこに勝てないけど勝ちたい気持ちとか。あそこに負けたくない気持ちが強いのかな。そこをうまい具合に刺激してくれて、素直にそれを出せる場、みたいな。
ーJFL時代だと映画『クラシコ』がすごく有名になったりとかして。J2に来る前からJ2サポの中でも「松本ってなんかすごいらしいね」ってすでにある程度知れ渡っていたっていう記憶があるんですけど。あのへんの松本の勢い、えげつないもんがありましたよね?
うん、でもやっぱり2008年、2009年の天皇杯でJクラブに2年連続で勝ったあたりから、間違いなく北信越リーグでも動員数とかは図抜けていて。
ーああ、地域リーグの段階で動員数はだいぶ伸びていたんですね?
あ、そうですね。私、なんかすごく覚えているのが地決?
ー全国地域サッカーリーグ決勝大会ですね
それですそれです。その大会で昇格を決めたときの観客数がたしか一万いくつ
ーええっ!???
だったんですよ(笑)
ーえっぐ・・・!なんだその数字は(笑)
1万とんで何百とかそういう数だったので。さすがにそのときは「ああ、すごいなあ」って思いましたけど。でも、2008年とかでも信州ダービーとかだったら結構人も入ってたんじゃないですかね。私もその時代にちゃんと目の前でみていないので、しっかり把握できてはいないんですが。
ーすでにJFLにあがろうかという段階で観客動員も伸びていたんですね
そうですね。まあ、一万人入ったのはたぶん初めてだったと思うんですけど。わりかし、自分たちの中の”競る感覚”?
ーうん
あの人たちと競って負けない!っていう結集のしかたみたいなものがあったんだと思うんですよね。
ーいまちょっとピンと来たんですけど、相手に競りかけていくというか、あそこに負けたくない、みたいなところって松本の人たちの気質のひとつなんでしょうね。それを刺激するのが例のところであり、そういう対抗意識の中にどっぷり浸かってみんな育ってくるっていう
はい。はい。
ーなおかつ、その気持ちを受け止めてくれる松本山雅という存在があるという
そうですね。なんかあれなんですよ。私、表現でよく使うのが、長野市は寺の文化なんですよ。
ーほう
で、松本氏は武士の文化なんですよ。
ーうんうん
城があって。だから、戦う人たちと、それに対して穏やかな・・・穏やかなっていうかそんないい言葉使いたくないんですけど(笑)
ーハハッ(笑)
ウフフフ(笑)
ーいやー、遠慮なくどうぞ(笑)
たぶんどっちかっていうと血気盛んな方といえば、松本がそうだろうなって思います。あと商業でも、中山道のちょうど街道ぞいのところに塩尻があるんで、そういうところでも外から入ってきて行き交うみたいな場所だったんだろうなって思いますね。そういう意味で外に対しても愛想がいいし。だからみんな他のチームのサポーターさんが来たらやさしくしちゃう!みたいな。
ーああ、地理的に外から来る人を受け入れるみたいな文化というか風土というかそういう感じなんですね
だと思いますね。観光客を迎えたり、来てくれた人たちにいい思いをしてもらって。そのベースの上に、私たちが応援している松本山雅の見に来てくれるなんて!みたいな。そういうところに私たちが他所から来てくれる人たちにやさしくしたくなっちゃう要素がちりばめられているというか。JFLになって「あんなに遠くから来てくれて」「お疲れ様です。もうほんとよく来てくれましたー!」みたいな。ほんとそういう感じなんです。
ー同志社大学の学生たちが来ててまりねえさんが思ったのはまさにそれですね?
ハハハ(笑)そうかもしれないですね。全国からサッカーを通じて松本に来てくれて、それで「山雅のサポーターよくしてくれた」って言ってもらえると、また調子に乗っちゃうというか。気分良くなって、他のところから来てくれた人たちに対してもまたやりたくなっちゃったりとか。
「自分のクラブじゃない」
ーまりねえさんご自身は昔からそんなにサッカーに興味はなかったんですか?小さいころとか
はい、小さいころは全然そんな感じじゃなくて。やっぱ日本代表が注目されるようになっていくにしたがって、たぶん見るようになって。兄の影響ですね。
ーお兄さんはサッカーお好きだったんですね
中学生とか高校生になってからなのかな?あんまり私も彼がサッカー見るっていうのを知らなくって。最近実家で探し物する時に兄の部屋に入ってみたときに、「なんか昔のW杯のグッズがあるぞ?」みたいな。そんなに好きだったんだー?って感じで結構びっくりして。私もTVでですけどバレーボールとかゴルフとかいろんなスポーツを見るようになっていたので、さっかーも日本代表を見るようになって。フランスのW杯あたりとかは日本国内でも結構盛り上がってたじゃないですか?
ーそうですね
徐々に強くなってきた感があって。そのあたりから応援するようになって、日韓W杯を迎えるみたいな。そんな感じですかね。でも、かと言ってJリーグを見に行こう!みたいな気持ちにはならなくて。
ーわりかしライトな代表ファンみたいな
ライトもライト、ミーハー感覚で見にいくみたいな感じですかね。ドイツW杯のアジア予選なんかは割とミーハーな感じで見に行ってましたね。
ーああ、そうか。もう関東にお住まいだから見に行ける代表のホームゲームがありますもんね
あ、そうですね。
ーいいなあ。代表戦のホームゲーム見に行けるのいいなぁ(笑)
そう、なんか調子に乗って見に行ったりしてましたね。
ー代表戦は見に行かれて楽しかったですか?
そうですね、楽しかったです。なにが楽しかった・・・というとやっぱり勝ったからっていう。シンプルかもしれないですね。たぶん、オリンピック予選で出場が決まる試合を見に行ったんだと思うんですけど。昔の国立に。なんかそのときがすごい、めちゃくちゃ楽しかったな!って記憶がありますね。あの闘莉王がめちゃくちゃ走ったやつ。
ーあーはいはい!谷間の世代でしたかね
一番なんかいいときっていうか、おもしろいって感じがしていて。成長している過程を共にしている感覚もすごくあるっていうか。
ー代表のライトなウォッチャーから先ほどの松本山雅とのエピソードを経てって感じだったんですね
そうですね。そこにいくまでに、J1の優勝が最終節の上位4チームの結果で決まるっていうことがあったんですけど。それを横浜で見てたんですよ。それで、電光掲示板に他会場の結果が出てわー!ってなるのあるじゃないですか。
ーあー!ありますね
劇的な逆転で勝った流れがあって。その後興奮した状態の中、他会場の結果が表示されてマリノスが優勝して、「わーっ!」って喜んでたんですけど。私なんかそのときに「この周りですごく喜んでいる人たちと同じ気持ちのレベルじゃないな」ってなんか思ったんですよ。
ーなるほど・・・!
なんていうかその・・・あっ!って思ったのは、「自分のクラブじゃないな」って思ったっていう。
ーいいエピソードですねえ・・・。そのときはまりねえさんは一応マリノス側?の気持ちで応援してた感じですか?
そうですね。試合中はどっちかっていうかマリノス側。でもそれでいながら目の前で優勝が決まって、自分が心から喜ぶ、みたいな感じとはちょっと違うっていう。「この人たちの喜びかたは、私にはちょっとできないな」って思って。なんでか?って言ったら「あ、自分のクラブじゃないからだ」って言葉が頭に浮かんで。すごく納得して。そのあとになってから、山雅が自分の中で台頭してくるんですね。
ーそのきっかけを経て「私のクラブを探す」ってフェーズもありえたと思うんですね
うんうん。
ーそこで代表って選択肢もたぶんあったんじゃないか?と思うんですね
いやー、でも探す感覚、全くなかったですね。
ーああ、なかった
Jリーグには私が応援するクラブは別にないのかもしれないな、って思ったんですねそのときは。その気持ちは置いといて普段の生活をしていて・・・全然関係ないように思えるかもしれないんですが、バレーボールの話をしてもいいですか?
バレーボールで思い知った「地元を応援するということ」
ーああ、もちろん全然大丈夫です
私、バレーボールも応援していてこれもどっちかというと代表を応援している感じだったんですけど。ある日、突然とある選手を応援することになったんです。日本代表とポーランド代表の試合が松本であって。そのとき私ちょっと弱っていたんですけど。松本に帰ってバレーボールの試合を見にいったら、長野県に岡谷工業高校っていうバレーボールの強い高校があってそこ出身で在学中から代表に選ばれた選手がいたんですよ。「あ、そんなひといるんだすごーい」って思って、その試合を見たらもう魅了されて。「なんであんたはがんばってないんだよ?」みたいにぶん殴られたみたいな衝撃を受けて。
ーなるほどなあ・・
他の選手が結構心折れてる状態でその大会に臨まざるを得ないみたいな状況だったんですよ。アテネオリンピックの予選負けて、本戦には出れないってなった直後にこの大会があるから、気持ちが途切れている選手たちがまたすぐ招集されて、その試合に臨むっていうときに。その、私が応援することになった選手っていうのは代表には呼ばれていたけど、はじめて公式戦で出場するという状況で。他の選手はどうあれ俺は絶対にやり切る!みたいな。そういう感覚をたぶん持っていて。それがプレーに100%現れていて。
ープレーから伝わってきたんですね
はい。そういう風に私は観て。なんかそれを観ていたら「私も今の状況から脱しないといけないな!」って気合を入れてもらったみたいな感じになって。プレーが直接メッセージみたいに思えて「あんたがんばりどきなんじゃないの!?」って言われているみたいな感覚になって。
ー喝をいれられたというか
そう!喝を入れられた感じで。で、「あたしもがんばんなきゃ!」って思って、現実と向き合っていくみたいな。彼を応援していると数年後に、イタリアリーグ(2部)にチャレンジするってなって。そのイタリアデビュー戦の日、そのときちょうど私、会社で夏休み取ってなくて。「あれ?これがんばれば行けんじゃね?」って、急に思って。
ーおっほ!イタリアまで!
行くっていう(笑)
ーいや、いいっすねえ(笑)
はい。それまでもスポーツツーリズムでいろんなことを感じたりしてたんですけど、そこが弾けたのがそのイタリア行きで。
ーほう
イタリアはバレーボールが盛んで人気のスポーツなんですけど。
ーそうですよね
彼のデビュー戦に当たる試合がアウェイの試合だったんですよ。アウェイの試合だってわかってはいたんですけど、イタリアのアウェイってどんな感じなのかな?って思って行ってみたら、ほんとにサッカーの比率どころじゃないくらいのどアウェイで。
ーへえええ!
9割がたシーズンシートみたいな状態っていうんですかね。
ーええええ?
なんかシートに貼って押さえてあるんですよ。私、通じない英語で「どこ座れるんですか?」みたいな感じでスタッフの人に聞いて。「えーっと、まあ、ここらへんでいいんじゃない?」ってまたテキトーに教えられるんで(笑)
ーイタリアですからね(笑)
そうなんですよ(笑)えっと、結局ほんと端の一番上のうしろの方の席で。そこで見ていて。ほんとに強烈に自分たちの住んでる地域のクラブがバレーボールで相手を打ちのめすって信じて、もう、ほんとに身を乗り出さんばかりに。2階から落ちるぐらいの勢いで、若者が身を投げ出しながら応援しているっていう。
ーうんうん
「うわ、すごいな・・・これが地元を応援するってことなのか!」みたいな。
ー相手チームの応援するさまを見て
はい。それまでバレーボール見にいっても、日本じゃありえないわけですよ。実業団の応援動員みたいな人もいて、応援グッズを叩いたりとか、流れてる音楽に合わせてやったり、チアの人がわーって盛り上げて、楽しんでるっていう感じのものを見ていたので。こんな地域への愛情を全身で示して応援して、いいプレーにはすごい拍手するし。悪いプレーをしたり、微妙なジャッジがあったりするとブーイングしたりして。そういうのを目の当たりにして「これがバレーを通じて地元のチームを応援することなんだな」って思って。
ーうんうん
その帰りに、「あれ、ちょっと待って。あたしの地元にもなんかあったよな」って思って。「あ、山雅じゃん!」って思ったんですよ(笑)
ーおお、そこでつながってくるのか!
イタリアには2009年の9月に行って、そのころは山雅も浦和戦を前にだいぶ盛り上がってきていて。もちろん、それまでにすでに「山雅応援しよう」って決めてはいたんですけど、自分でどんな風に応援したらいいか?とか、どんなスタンスでいくか定まってないというか。私はゴール裏にいる人たちとは違うって思ってたんですけど。
ーああ、タイプ的にも
はい。そのゴール裏の人たちの感覚が全然わかんなかったところが、イタリアでアウェイでバレーを見たことが思い出されて。それがあって、「やっぱり山雅ちゃんと応援しよう、地元を応援したいじゃん」って至りましたね。
ーイタリアで応援を見て触発されたって話、めちゃくちゃ示唆深いですねえ
私は彼が所属していたチームを応援していたわけではないというか、彼が所属してるから応援してるだけなんですけど。
ーそうですね。ある種個サポ的なムーブというか
そうですね。うん。で、イタリア行って見たのは、チームを応援するとか、「なんでこのチームなんだ?」って言ったときに、「自分の地元だから」っていうとってもシンプルな理由で。目の前にいる人たちがほぼ奇声を上げているみたいな感じで応援していて。「あ、このことなんだ」って。「自分の地元を応援するってこういうことなんだ」っていう、その感覚を自分なりに体得したって感じでしたね。
J2に昇格した松本山雅
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