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田所諒選手とそのご家族に心から敬意を


横浜FC所属の田所諒選手が引退を表明しました。



2009年~2015年の長きにわたってファジアーノ岡山で活躍し、右肩上がりに成長を続けたクラブと歩みを同じくするようにスケールアップしていったその姿は、たくさんのサポーターの誇りでした。まさに”2010年代のファジアーノ岡山の象徴的存在”と言っても過言ではないでしょう。チームを離れてもなおサポーターの心に強い印象を残す選手です。


田所選手の岡山時代は挑戦と努力の日々であったように思います。左サイドを主戦場に豊富なスタミナと磨き上げたクロスでいくつもの勝利に貢献してきた彼でしたが、ポジションを確保するまでの道のりは決して平たんではありませんでした。

2011年では左サイドでアシストを量産していた小林優希選手が強力なライバル。なんとか途中からポジションを取ることに成功したものの翌2012年、広島で長く左サイドを務めていた”鉄人”服部公太選手が移籍加入してくることに。まるで彼を試すかのように強力なライバルが立ちふさがります。彼にとっては決しておもしろくない出来事だったことでしょう。クラブ首脳の考え方に反感を示すような言動もあったように記憶しています。


しかし、彼は腐らなかった。


服部公太選手の加入した2012年の春にポジションを奪取すると、2013、2014、2015年はほぼスタメンで出場しつづけ左WBのポジションを不動のものとします。専用練習場では黙々と居残り練習をつづける彼の姿が毎日のように語られ、試合で彼のクロスがアシストを記録するたびに「努力はほんとうに人を裏切らない」ことを証明してくれました。


その当時の彼についてこんな記事を書いたことがあります。


ひとつだけ自慢話をさせてください。


非常に光栄なことに、この記事を読んでくださった田所選手の奥様のご家族の方からメッセージをいただいたのです。いろんなことを心配される中この記事を読んでいただいて励みにしていただいたこと。今後ともよろしくお願いします。という内容だったと記憶しています。


いまはすばらしい書き手がたくさん出てきましたが、当時はこんな感じの記事を書く人が少なかったためか、たまたま目にしてくださったのだろうと思います。自分はこのメッセージを頂戴したとき、ひとりの発信者としてホッとしたことと一緒に気持ちの引き締まる思いだったことをよく覚えています。


サッカー選手は戦っている。

しかし、見えないところでそのご家族もまた戦っておられる。


サッカー選手とてひとりの社会人であり、その後ろには家族がいる。そんなことをしみじみと考えたことなんてありませんでした。人前に出る仕事であれば罵声を浴びることもあるかもしれません。でも、罵声を浴びる選手の向こうにはハラハラしながら見守っているご家族がいるんですよね。


無論、称賛と批判は避けられない世界ですし避ける必要もないと思います。いいものはいいし、ダメなものはダメでいい。しかし、最低限の敬意だけは忘れてはならない。そう心がけていたつもりでしたが、この出来事をきっかけにより一層強く心に刻みました。メッセージほんとうにありがとうございました。


きっとご家族も想像もつかない大変な日々を過ごされたことと思います。本当に長い間お疲れさまでした。どうかシーズンが終わったらゆっくりなさってください。




そしてタド。

ほんとうにお疲れさまでした。

あなたこそが自分の”ミスターファジアーノ”。

たくさんのすばらしいシーズンをありがとう。


Zerofagi


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