「プロコーチ、はじめました。」
2021年は、「プロコーチ」として活動することにしました。
コーチングと私の歴史は、意外と長く、それなりの物語があります。
2012年にはじめて学び、2018年にORSCというコーチング資格を取得しました。2012年以後は、ちょいちょいコーチングをツールとして、顧客との商談、部下との打ち合わせ、キャリアカウンセリング、1on1面談、リーダーシップ開発、組織開発の場面で活用してきました。
でも、私は自分自身が「コーチである」ことを否定してきました。
「コーチである」ことを否定し続けた8年間
ツールとして使いながらも、一度たりとも、「私はコーチです」と名乗ったことがない。それを名乗ることには、ゾワゾワする感覚があった。他から「コーチですか?」と聞かれると、猛烈な勢いで「違います!」と反応したり、「ま〜、コーチみたいな〜、コンサルタントみたいな〜、なんかよくわからないです」と、はぐらかす。「コーチング好き?」という好き嫌いの質問ですら、「ん〜〜〜〜〜、わからない。」と濁す始末。
自分の中にあった、コーチを名乗らない理由としては…
…なんて思っていました。
でも、心の中のどこかで気付いていました。
これが「逃げ」だということを。
クライアントから逃げるコーチ
私は、コーチであることの使命、責任、重圧から逃げ回って、時に都合よくコーチングの技術を使っていただけでした。
例えるなら…
…のようなものです。これが中途半端に終わる(もしくは最悪の事態になる)ことを想像するのは、容易だと思う。
コーチングとは、個人やチームの変容を起こすためにクライアントと伴走する仕事だと思っている。変容の先には、今のクライアントにとって想像を絶する別世界があったりする。しかし、そこまでの旅路は、時に過去の「痛み」に真正面から向き合うような難しい場面もある。
そんな難しい場面で、「私は、コーチだ」というスタンスで臨むコーチングと「まっ、私は、コーチではないから」というスタンスで臨むコーチングでは、雲泥の差がある。
2012年にコーチングを学び始め、8年間経って、やっと気付くことができました。根本のところで、自分がコーチである使命・責任・重圧を受け入れていない以上、何をやっても小手先のテクニックに走っているだけだということに。
本田宗一郎の格言で、以下のようなものがあります。
理念・哲学という次元のものではないかもしれないが、「まっ、私はコーチではないから」というスタンスから、コーチングしていた私の行為は、「凶器」だったのかもしれないです。
恩師の言葉: "私は、プロコーチをしています。"
これは、私の恩師であり、尊敬する人が、自己紹介の時に使う言葉です。
推定身長155cm?華奢な体格?どちらかというと地味目のおっとり和風美人顔。街で見かけたら、ちっちゃ目のお茶目なおばちゃん。
声は、穏やかなのですが、この方のこの言葉からは、数々のクライアントの前に立ち尽くし続け…
…を感じる。重みが全く違う。
心が震えるのだ。
最近、似た体験があった。
映画「鬼滅の刃 〜無限列車編〜」での煉獄杏寿郎さんが放った一言。
この煉獄さんのシーンと、同じ心の震えを感じました。煉獄さんの気迫と共に、風が舞うように、この自己紹介の言葉には、物凄い気迫があるんです。
彼女に、その自己紹介の真意を確認したことはない。
私がどう受け取ったかが、今の私には大事。そんな私はこう解釈している。
私は、このシンプルな自己紹介から感じる、プロ意識が凄いと思う。
エセの「プロコーチ、はじめます。」
私は、コーチになりたいのかは、わからない。
コーチングとは何で、コーチとは何か?も、うまく言語化できない。
コーチになって、何がしたいのか?も、うまく言語化できない。
でも、コーチであることを放棄しながら、「コーチになりたいのか?」「コーチングとは何か?」「コーチとは何か?」「コーチになって何がしたいのか?」を、向こう岸にあるテーマについて、ああでもないこうでもないと評論家のように考えることに、全く真実味もないし、クソ飽き飽きしてきた。
私はコーチであることを否定しながらも、8年間ずっとコーチングの技術や考え方を中心に過ごした。付かず離れずにいた。その事実を、客観的に捉えた時、自分の愚かさが見えてきた。
だから、その役割を全うすることにした。
手にずっと強く握っておくのではなく、コーチの使命・責任・重圧を鎧のように着てみる。
エセコーチだと思われるかもしれない。
いや、むしろエセコーチなんです。
だって、コーチングはやったことあるけど、コーチになったことないですもん。
自分がエセコーチであるかもしれないことを、受け入れます。
その責任を取ります。
エセコーチかもしれません。それでも、お金はもらいます。何か?
ここから始めるしかない。
まだまだ駆け出し中。借りてきた猫のような違和感もある。その重圧もよくわからない。その責任もよくわからない。でも、いつか自分にも馴染むかもしれない。もっとしっくりくる言葉があるかもしれない。
それでも、この先1年は、パクります。
"私は、プロコーチです。"
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"つながりをアップデートする"
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