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見聞実話怪談7『黒い僧侶』

その日、裕美(ひろみ 仮名)は、眠ったばかりの娘を和室のベビー布団に寝かせ、友人の洋子(ようこ 仮名)と夕飯を摂ることにした。

生後5ヶ月になり、寝返りも打てるようになった我が子は可愛いが、乳飲み子は本当に手間がかかる。

実の母親とは疎遠であり、夫の両親は共働きで、なかなか育児の手伝いを頼めない裕美にとって、遊びがてらとはいえ、折を見て家事を手伝ってくれる洋子の存在は、とても心強かった。

裕美の夫は夜勤の仕事に就いており、帰宅するのは朝方だ。
洋子が遊びにきているときは、夫が帰宅するまでゆっくりするのが、裕美と洋子の習慣にもなっていた。

裕美が家族で暮らす、古いアパートは2DKで、決して広いわけでもないし、家計だって楽な訳ではない。
だが、家庭の温かさを知らずに育った裕美にとって、夫と娘との生活は、初めて知った家庭の温かさであり、裕福ではないが幸せな日々だったそうだ。

ダイニングに用意したこたつに入り、洋子と世間話をしながら、和気あいあいと食事を摂っていた裕美。
点けてあるテレビからは、バラエティ番組の笑い声。
窓の外には冷たい木枯らしが吹き、薄いガラスをカタカタと鳴らしている。
それは、冬が深くなり、これから冷え込むことを物語っているようだった。

隙間風のせいだろうか?
ふと、裕美は、背中がじんわり寒くなるのを感じた。
だから裕美は、こたつの向かいに座り、夕飯の鍋をつついている洋子に声をかけた。

『今日、なんか寒くない?こたつ、強にしていい?』

洋子は、鍋の具を吟味していた視線を上げて、裕美の顔を見ようとして…その動きを止めた。

箸を持ったまま、表情をこわばらせて、何かを言おうと口をパクパクさせている。
その視線は、キッチンの脇にある、玄関ドアに注がれていた。
洋子の表情が徐々に驚愕と恐怖に支配されていく。

『ひ、裕美っ…げ、げ、玄関…っ!
玄関…っ!』

震える声で叫ぶようにそう言った洋子。
裕美は、その言葉にきょとんとしながら、ゆっくりと背後にある玄関ドアを振り返る。

『っ…ひぃっ!?』

裕美は、声にならない短い悲鳴を上げた。
なんの変哲もない、極めて平和な日常だった筈なのに、その日常を崩すかのようにそこにいたのは…

黒い僧侶。

坊主頭に袈裟を着た、真っ黒い影のような僧侶が、後向きでそこに立っていたのだ。
夜の闇から伸び上がってきたようなその姿は、うっすら透けており、玄関のドアノブを透過している。
その異様な姿に、裕美は思わず叫んだ。
『ななな、なにあれぇぇっ!?
誰あれぇぇっっっ!?』

それに続くように、洋子も悲鳴を上げる。

『坊さん!
坊さんがいるぅぅぅ!!?』

女性二人が悲鳴を上げた瞬間、玄関先にいた黒い僧侶はぱっと姿を消してしまった。

目の前で起こった、その突然の出来事。
恐怖のあまり声が出せなくなった二人の間に、テレビから流れる陽気なバラエティ番組の音声だけが響いている。

はっと我に返った裕美は、同じく我に返ったばかりの洋子と目を合わせる。

『何…今の!?』
『わ…わかんない!!でも、あれ、ゆ、ゆ、幽霊だよね…?!』
『た、多分…??』

お互いに答えをすり合わせた結果、 お互いにゾッとして、その日はさっさと夕食を済ませると、生後5ヶ月の我が子と洋子と共に、裕美は早々に床に入った。

この出来事は、それで終わるかと思っていた…
だが、恐怖はまだ続くのだ。

次の日、朝方帰宅した夫を夕方に近くに起こし、裕美は、こたつに夫の食事を用意しながら、昨夜の出来事を話した。

『そんな訳あるかよぉ?
坊さんの幽霊??俺、そんなの見たことないよw』

夫は、鼻で笑ってそう言うと、最初は信じてもくれなかった。
裕美は、味噌汁の椀を夫の前に置くと、そんな夫の向かいに座りながら、怒った様子で言った。

『いや、ほんとなんだって!!
だって洋子も見たんだよ!?
そこにほんとに坊さんが立ってたの!!』

裕美がムキになって言った時、夫の視線が、ふと、裕美の背後にある玄関に向けられた。
瞬間。
夫は、左手に味噌󠄀汁の椀を持ち、右手に箸を持った姿勢で固まってしまった。

冬の夕方。
日が落ちるのは早い。
だが、まだ完全に暗くなっている訳ではない。
キッチンの窓からは、オレンジ色の夕日が差している。
光の隣には闇があり、夕日に曇って暗い色をした玄関ドア。
そして…

裕美の目の前で、突然、夫が目を見開いた。
箸を椀を持った手が、小刻み震え始める。

『ひ、裕美…う、後ろ…後ろっ…!』

日頃、男らしく豪胆で、それこそ幽霊も迷信も信じない夫が、急に声を掠れさせて小さくそう言った。
裕美は『えっ?!』と声を上げて、恐る恐る玄関を振り返る。

そこにいたのは…

闇から伸び上がって来たように、全身が真っ黒の僧侶の姿だった。
間違いなく、昨日、洋子と見たあの黒い僧侶だ。
だが、今日はその様相が少しだけ違っていた。
昨日は後ろ姿だったのに、今日は、まるでこちらを向きかけているように、斜め横を向いている。

『うわぁぁぁ!!』

裕美と夫は、二人同時に声を上げた。
すると、黒い僧侶は、まるで夕日がの影に溶けるように、すうっと消えて行ったのだ。

2日連続で黒い僧侶を見て恐怖を覚えた裕美は、夫を仕事に送り出した後、慌てて洋子に電話をかけた。
ちょうど仕事が終わった帰りだという洋子は、その足で裕美の家に来てくれたそうだ。

ほんの少し安心したのはいいが、なぜ2日連続で、あんな得体を知れない 黒い坊さんが玄関先に立っていたのか、裕美には全く理由がわからなかった。

そもそも生まれてこの方、幽霊なんて見たこともない。
だが、その黒い僧侶は、きっと幻覚などではないのだろう。
何故なら、裕美の夫も、そして裕美の友人である洋子も、はっきりとその姿を見ていたからだ。

裕美の心の中に、黒いモヤのような不安感が、広い袖を広げ始める。

次の日の朝、夫が帰宅すると同時に、洋子は、裕美の家から仕事に行った。
今日も来てくれないかと洋子に頼んだが、生憎今日は、婚約者の家に行くことになっているのだそうだ。

裕美の不安と胸騒ぎは、夜が近づくにつれてどんどん大きくなる。

夕方、裕美は、いつものように夫を仕事に送り出す。

『黒い坊さんが出るのが怖いから、仕事休んでくれないかな?』

とは流石に、夫には言えなかったという。

夜。

裕美は、いつもの様に娘を和室のベビー布団に寝かせると、夕飯の片付けを始めた。
不安と恐怖で落ち着かないので、テレビはつけっぱなしにして、風呂の電気も、トイレの電気も全部つけっぱなしにした。

今日はさっさと寝てしまおう…

そう思った時だった。
一筋の冷たい風が、家の中に吹き込んだような気がしたという。

住んでいたアパートはかなり古く、そっちこっちから隙間風が入ってくるのは、いつもの事だった。
だが、その時感じた風は、異様なほどに冷たかった。

裕美の背筋に悪寒が走る。
じんわりと滲み出した恐怖に、鼓動が早くなる。

嫌な予感と気配…

裕美は、恐る恐る、ゆっくりゆっくり、玄関ドアを振り返った。

とたん、ぶわっと全身に鳥肌が立ち、その一瞬で裕美の全身は凍りついた。

まるで、闇の中から伸び上がったような黒い僧侶の姿が、裕美の目の前にあった。
その手に数珠を持ち、袈裟を着た姿で、裕美の正面に立つ僧侶。
影のような漆黒を纏うその僧侶は、今夜、あろうことか真正面を向いて、まっすぐに裕美を見ていたそうだ。

部屋の中に響いていたテレビの音が、一瞬、止まったような気がした。

『ひ……っ!』

真正面から見たはずの僧侶の顔が、どんな顔立ちだった、裕美は、全く覚えていないという。
恐怖で全身を震わせた裕美は、割れんばかりの悲鳴をあげた。

『きゃあああああ……っ!!』

その声があまりにも大きかったのか 、いつもは多少の騒音でも起きない 娘が、まるで火がついたように泣き出した。

次の瞬間、黒い僧侶は、まるで夜の闇と同化するようにすると消えてさしまったそうだ。

娘の泣き声を聞き、裕美は慌てて和室に飛び込むと、泣きじゃくる娘を腕に抱えて、布団をかぶりガタガタと震えていたそうだ。
どのぐらいの時間が経過してからだろう、裕美はいつの間にか、深く寝入ってしまった。

そして…

悲劇は、この朝に起こる。

裕美が、朝方になって目を覚ますと、それはまだ、夫が帰る前の時間だった。
カーテンの外は暗く、ひどく冷え込んだ朝。

裕美は、傍らで眠る我が子の異変に気がついた…

寝顔はいつもの可愛らしい顔だった。
だが、心なしか青白く、体も冷たくなりかけて、息もしていなかった…

乳幼児突然死症候群だったという。

裕美は、娘が亡くなった日のことを、あまり覚えていないそうだ。

幸せだった平凡な日常が、この日、一瞬で悲しみのどん底に突き落とされた。

だが、裕美の不幸はここでは終わらない。

そこから半年後、裕美は再び妊娠し、そして次の年には無事に子供を出産した。
生まれたのは、娘だったそうだ。

しかし、それと同時に夫の浮気が発覚。
再び娘を授かり、また幸せな日々に戻れると思ったのはつかの間。
あっという間に事態は悪転し、浮気発覚から半年も経たないうちに、夫とは離婚することになった。
挙句の果てに、親権は夫に取られてしまい、可愛い盛りの娘とは離れ離れになってしまった。

時を同じくして、友人の洋子が結婚し、まもなくして妊娠したのだが、洋子は、子供を流産してしまったそうだ。

そこからの裕美の人生は、どんどんどんどん、悪い方向に転がっていった…

この話は、以前働いていた職場で、女性ドライバーとして4t車に乗務していた同僚が、身の上話で聞かせてくれた話。

同僚だった裕美は、この話を聞かせてくれた直後に会社を辞め、行方不明になり、全く連絡が取れなくなってしまった。

人づてに聞いた話だと、悪い男に騙されて、借金を背負わされ、逃げるはめになったのだという…

彼女の人生の転落劇に、この黒い僧侶が関係あるのか、それとも、ないのかわからない…
でも、この話で不幸な目にあっているのが、全員、女性であることが、俺には気にかかった。

これを読んでいる女性の皆さん、玄関先に立つ黒い僧侶には、くれぐれもお気をつけて…


【おわり】

※不思議の館にて紹介させていただきました
文字に起こすにあたり、所々フェイクを入れました
不思議の館で、口頭にて紹介した時とは、若干 ニュアンスが異なるように感じるかもしれませんが、同じ話です

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