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セラピストの仕事


#私の仕事

テーマの設定されたエッセイに初参加!

ワクワク。

文章力が大したことないので子供の時に将来の私になりきって書く形式の作文を思い出して書いてみる。

私の仕事はセラピストだ。漠然とした呼称だが、フリーランスで流動的にいくつかの仕事をしていて、その時々で職種や仕事先は異なっているので名前をつけにくい。その中で一貫性を持たせるならセラピストという呼び方が良いと思ったのだ。具体的には占い師とリラクゼーションの仕事をしている。占い師といっても、霊感、インスピレーションとカードなどを使って未来を予測したり相手の気持ちを見たりする意外に、お客様が本当に知りたいことが何なのか探ってゆくのは何となく易者のイメージの強い占い師というのは時々ずれてる感じもし、セラピストと言っている。

これは人それぞれだと思うが、自分の場合仕事はある程度お客様に求められることでないと仕事になって行かないと思っていて、出来ることが占いだったのだと感じている。

仕事をしながら、一見お客様に来て頂いているようでお互い様と感じる。私が必要としていて、お客様に必要として頂いて成り立っていて、失礼のないよう遠慮なくお金を頂き、頂いた以上のものを提供出来る様に努める。お客様が適正であると感じるかどうかは自分の努力とお客様の相性次第と感じている。

仕事をしていると、プロに徹していないようだけど自分の気付きになっている。1番自分の気付きになる、吸収できる容量が半端無いと思ったものが結局今の仕事になっている。そうでなかったものは続かなかったのでそういうものなのだろうと感じる。

多分職種が変わっても自分がやることはお客様の心、体の辛さに自分のエネルギーをフォーカスしていくことなのだと思う。

なおセラピストの主目的はお客様を癒すことだが、当たり前だけど自分が癒せる訳じゃなくてお客様がいないと自分の力は出て来ないしひとが自分で整っていく力に采配されているように感じる。

仕事が無かったらどうなっていたのだろう。多分自分がもっと大嫌いだった。なかなか好きになってあげられなくて、誰からも認めてもらえなくて悔しくて、本当は人が好きだし優しいのにね、と自分に声を掛けてあげられなかっただろう。

急に客観的だが、お客様というか他者のおかげでこう思えるのだから、自分もどこかでだれかの役に立つのではないかと思える。そう思えない心はとても苦しいから。自分が好きだと思えることがどんなに温かいか、仕事がなからば感じられなかっただろう。

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