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八重洲からふらふらと

何故か本屋で店員に本のありかを聞くことが
恥ずかしくて聞けない 八重洲ブックセンターの
閉店に関するニュースを見ていて思い当たった
たしか 入り口はいって半地下になっているとこ
ろが詩関連書のこーなーになっていて 大手
版元の詩集は一通りそろっていた覚えがある
そういえば 詩書といえば思潮社 いつかは
思潮社から詩集 とあこがれの思潮社社主
小田久郎氏の訃報をみた 奥付に書かれた
小田久郎の文字は嫌というほど目にしたが
昭和の伝説のような人が次々に亡くなる 天沢
退二郎も亡くなった 各分野に伝説のような
人がいて たとえばフライス盤の第一人者と
いった局部的伝説の人も令和をまたいでどん
どんなくなっているのだろう 私が若い頃親し
だ作家が仕事盛りだったのはもう30から40
年前の話だ

八重洲ブックセンターでよく覚えているのは純
文学の棚に見慣れない作家の本が結構ならん
でいたことだ たしか 結城信一なんか ここで
新刊で買った気がする 六興出版というちょっと
小ぶりなハードカバーで 好みの本をぽつぽつ
出していた本元があって その中の一冊だった
かもしれない 内田百閒 サラサーテの盤 を
出していた 映画では大谷直子が大きなこんに
ゃくを延々とちぎって鍋に投げ込んでいた いや
大谷直子が思い浮かばなかった 大谷良子
かと勘違いしていた 誰

それから小嵐久八郎の本がやけにそろっていた
のが印象に残っている 小嵐の名前を思い出す
のにも骨が要った しかし 小嵐の著作はまった
く読んでいない ざっと略歴を見てみたら元新左翼
でムショに入っていたとあった 社青同解放派
とある 中核 革マル 学生の頃ごくまれに耳に
したいわゆるセクトの名がふと浮かんだ 私の
頃はとっくに革命熱は退いていた

トイレから戻って立ちついでに窓の外の道路を
見下ろすと桜の花びらがはらはらしていて少し
風があるのかなと思う 釣りに行こうか考えて
頭が少し重いので躊躇する 風も強ければ口実
となって今日はやめにしておこうかとも思う 桜
は散るのが好きだから 来週くらいまでは楽しめ
る 人も退いて静かに散るところを楽しめる 心
あたりの一本桜がいくつかある 俳句遊びしたい
今春 したいことの一つ

人におすすめの本を訊ねたことがない とくに
この本 と人に勧めることもほぼない 老舗の
書店員に聞くと 傾向からおすすめの作家を
紹介してもらえたかもしれないが そのような
発想はなかった 本のありかすら恥ずかしく
て聞けないのはねじれた自意識と頭の中を直に
人にさらすような羞恥なのだろうかとほんのり
分析してみるが どうして聞くのに恥ずかしい事
とそうは思わないことがあるのだろう たとえば
まちがったメニューが運ばれてきても割とがまん
してしまうのはなんだろうか

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