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1980年5月

1980年5月某日
夕方
君は教室にいきなり入ってきた
僕はなったばかりの友達と
教室の後ろで
くだらない話に興じていた
白いカーテンが
オレンジに透かされる時間帯
遅い春の靄がかすかに匂う

君は怒っていた
もしくは悲しみをこらえていた
そう見えた
なったばかりなのに
友達には彼女が気にかかっていることを
話していた
奴が肘でつついてくる
チャンスだと
今だと

彼女は僕らの存在を意識から外して
音をたてて木とスチールの
軽い机を探している
本なのか
ポーチなのか
その音はけたたましく
僕の耳に聞こえた
何かを探し当てると
こちらには目もくれず教室から出て行った
肘でつつかれた腕に
僕はわずかに痛みを感じた

一日の終わるほんの数分
何でいつまでも
こんなことを覚えているのか

高校を卒業してから数年
人づてにあの日を彼女が覚えていたことを
聞いた
とても嫌なことがあって覚えていたと
僕たちがいたことも覚えていると

今となっては
SNSで大抵の旧友は見つかる
フォローこそしないが
元の彼女も
簡単に見つかった
しかし君は見つからない
人づての話も入ってこない

見つかっても
1980年5月某日
夕方
頬を染めて腹を立てていた
君ではない

僕もあの日の
僕ではない
いろいろな回り道をして
家庭を持って
あの時の君の
一つ下の娘も持った
そして
本当に書きたかったことを

2021年3月  
こうして書いてる
ろくな推敲もなしに
三十年もかかった
書きたいことを書けるまで

誰もが引っかかっているようなことを
書いてみた
歌ってみた
と同じような軽いきもちと
わずかでもない後悔を感じて

ベランダに洗濯物が揺れる
娘のブラウスが乾いてゆく
毎年のことである
桜の花が咲いている

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