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ジャズ喫茶

ジャズ喫茶

以前、私の住んでいる町にもジャズ喫茶があった。今、ジャズはにわかに流行っているというか市民権を得たのか、分からないがいろいろなところにジャズ喫茶、ジャズを流す居酒屋、生演奏を楽しめる場所(聴く、演る)場所ができているけれど、そのころのジャズ喫茶は私語厳禁とまできつくはないがまあ、あまりメジャーな感じではなかった。

その店は赤茶煉瓦の雑居ビルの二階にあった。窓はふつうにあいていて明るく、ボックス席が四つほどの小さな店だった。マスターは痩せた、気の弱そうな長髪の男性で、たまに中年の女性がいることもあった。多分、中本マリと思われる大きな写真パネルがかかっていた。機材は、その当時あまり興味がなかったのでよく分からない。

いつもピラフセットを頼んだ。どうということもないふつうのピラフで、バターの風味がきいていた。特に忘れられない味というわけでもないが今も覚えている。話をするにはすこしつらいぐらい、だが馬鹿みたいな大音量というわけでもなくジャズが鳴っていた。

当時、ジャズには全く興味がなかったのでどんな曲がかかっていたのか覚えていないが、おそらく、ビルエバンスあたりがかかっていたのではないか。今から思うに、ふつうのバップ系のジャズがかかっていたと思う。ピアノの音がきらきらと今風のクリアな音ではなかった。

といっても全部で五回程度しか行っていない。よく覚えているのは高校生の時、何らかの鬱屈があって学校に行きたくない日があった。店に行ってみると午前11時からのオープンで、それまで、近くの公園で時間をつぶしていた。冬のオレンジ色がかった斜め陽の日だったかもしれない。一人で過ごす数時間はとてつもなく長く、手持ちぶさたで困り果てたのを覚えている。

そして、ようやく開店時間となり、店に入った。マスターはちょっと、お?みたいな顔をしたが、いらっしゃいませ、と注文を聞いた。私はいつものピラフセットを頼み、窓からオレンジ色の斜め陽が差しているのを見ていた。ガラスに薄く色が付いていたので冬の陽の色になるのだ。

そこに、中年の太ったサラリーマンとおぼしき男が入ってきた。紺のスーツを着て、営業途中だったのだろうか。男もピラフセットを頼んだ。今思い出したが、ピラフにカレー粉を混ぜたカレーピラフというメニューもあった気がする。私は一番隅のお気に入りの席について、男はその対角線上でちょうど距離をおいて向かう形になっていた。おまちどおさま、と運ばれてきたピラフをスプーンで口に運び、なんとなくちらちら男を見ていた。マスターは厨房に入っていた。そうだ、いつもジャズに混じってチーンと電子レンジの音がした。

そして、おまちどおさま、と男のところへピラフを運んだ。男はピラフをスプーンですくって、口に入れて咀嚼していた。何だか、彼方を見るような目をして、ゆっくりと咀嚼していた。そのとき、男が一人で何かを食べている姿は何だかもの悲しくて滑稽だな、と私は思った。

その思いはしばらく、一人で食事をしている人を見るとついて回ったが、自分でもよく一人で食事をする社会人を続けるに従いいつの間にか消えていった。たまに、そんな思いを私の食事する姿をみて、人に思わせるのかな、と微かに感じることもあるが。

その食事の光景を見て、なんだか、人恋しくなった。そして、午後から学校へ行った。その後、高校を出てからも何度か行ったが、行動圏が変わってしまったので自然と足が遠のいた。

今はもうとっくになくなり、別の店に変わっている。なくなってから二十五年くらい経つか。社会人何年目かに行って「テナント募集」となっていたから。中本マリと思われるぴちっとしたセーターの乳房の形がかっこいいパネル、あのパネルは捨てちゃったんだろうなと思う。あんな店を開いてみたいと思ったこともあった。

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