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湾奥

私は千葉県の西端に生まれ育ち今もいる 千
葉という場所について 知っている人も知らない
人も 興味が全くない人もいるだろう 私自身
自分のすんでいる町に愛着を持ち始めたのは
ここ数年 仕事を辞した頃からで 私の住む町
については東京に行くのが近い という事だけ
が取り柄だと思っていた そのおかげで早くか
らお茶の水に上野に親しみ 秋葉原を徘徊した
今は全く行っていない もっぱら葛飾で釣りを
している

この千葉の西端の町から本来千葉という事で
誰もがイメージするだろう房総半島へは 鉄路
が開通していないために実を言うとあまり親しい
イメージがない 県庁所在地は千葉市だけれど
感覚としては他県の地方都市と言った印象で
千葉県での全体的な何か 例えば私の場合は
吹奏楽コンクールだった や運転免許の試験
やなにかで 本当に極まれに行く場所であって
それは大学卒業までそうだったが 何故か 東
京に就職するはずで 全く考慮していなかった
千葉県勤務ということに 一度ならず二度目の
職場でさえなって ついに東京に働くことなく
勤労をひとまず終えてしまった 友人が新橋の
どこそこの とか品川の何やら通り などと喋り
あっても私にはちんぷんかんぷんで 内房の
どこそこへ行く細い道の手彫りめいた短いトンネ
ルのことなどを思い浮かべると 彼らはたまに
遊びに行ったりしているからともすれば知識と
ては私より上で というよりそもそも私は地理に
興味がほとんどなくて 差して行ってみたい何処
かというのもなく 旅行はもっぱら想像ですま
せ じっと座椅子に根を張り動こうとしない

内房 などと思い立ったのは松浦寿輝の著作
から 波打ち際 保田 冨浦 などと地名が見
散されたからで ほた とみうら というとたしか
川崎長太郎の私小説で見たことのある地名だ
ったかとも思い 今は房総半島の先端 館山
近くまで通る高速道路が開通したからわざわざ
通ることもなくなった国道十六号からつながっ
ていく一車線で海沿いに下る細い国道を通ら
なくても時短に縦断できるようになったが 君津
富津 木更津 金谷 ゆっくりときに渋滞にまき
こまれて海沿いに不意にクランクしたり
古びた信用金庫の堅牢な建物などが散在する
海沿いの町を時折訪れたことなどを文字から
ありありと思いだした

職場にはそのような地域から千葉に登ってくる
人たちがいて 職場が早く退けたときなど 兼業
の農業をやり または近場である夜の港に夜釣
りなどに行っていた それは 内房 外房両側
同じことで 東京内湾か太平洋かの違いである
当然 釣れる魚も違うのだろうがどこにもいる
のが黒や平といった鱸で 80センチもあれば
切り身が何十人分とれるという よく夕べは
大鱸を釣った という話を雑談に聞いた

一度 釣り遊びに保田の漁港に行ったことが
ある 堤防で投げ釣りをしたが私は一尾も釣る
ことなく 誰かが青いワタリガニを釣った ヒイラ
ギという小魚とか 鯊 ふぐの小さいのが釣れた
ふぐはどこにでもいるが下手にさわれるもので
も無くて しかし海沿いの猛者などはひょいと皮
を剥いでささっと細かく切り身にして あれと言う
まに食べてしまったりする あまつさえ人に勧め
る 午後まで薄曇りの中釣りをして 富津の
同僚宅で七輪焼きなどをした 私は魚介が苦手
だから ピーマンやソーセージなどを食べた

確か以前書いた そのような集まりを何度か
持った時の夜 海の魚を釣ったことのない私の
ために 荒れた夜のテトラポットに風と波の打ち
つける人気が全くない堤防で 同僚と二人きり
で海面に闇雲に投げ竿をした 結局 荒れた
海に怖気づいてしまい私の方から好意を無に
してしまう結果となって 私はいまだに海で魚
を一匹も釣れたことがない 釣ったのは湾奥
からはるばる江戸川に上ってきたハゼ セイゴ
ボラなどでもはやそれらは川魚だ 湾奥という
言葉は私も最近覚えたのだけれど 東京湾から
陸に近いところを言うのだそうだ 千葉 東京
神奈川を囲んでひっくるめての湾奥であって
当然埼玉は海がないので除外される




2022は経済的にきつい年でした でもめげません 皆様良いお年をお迎えください 年末年始感なく通常投稿です余漏詩来!!!

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