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田村の店主

お茶の水田村書店 あの有名な といっても
古本好きの間で あの有名な おっかない店主
として あの方がちょうど一年前に亡くなってい
たというのをつい最近知った 今 田村書店の
品ぞろえがどうなっているのだろう と調べてい
て知った 奥平晃一氏 田村さんではない

おそらく初めてあの界隈をうろつくようになった
のは中学の時だから45年ほど前か まだ ディ
スクユニオンが今のように商売を広げる前の事
思えば 中古品を買う という事に抵抗がない
のはお年玉で 新品レコード一枚の値段でと
もすれば三枚買える中古レコードに味を占めた
からかもしれない そこから坂を下って 明治
大学のトゲトゲして古い石造りの校舎を横目に
駿河台の交差点を右へ 左のスポーツ店街は
まだなかったかと思う 石井スポーツというのは
そこだったか知らないが有名だった ひととき
テレビCMもやっていた アイシーアイ

中学の時は文庫川村で止まって本格的な古本
街まで下らなかったと思う 店の路地側にある
一冊50円の文庫を買いあさった といって星
新一の本 かなり揃えた そろわないものだけ
新刊で買った お年玉をもらうとお茶の水 高校
に入ってからは楽器屋巡りが加わった スカイ
ブルーのロゴが入ったラディックのヒッコリーで
できたドラムスティック 高くて本当にいい音が
する けれども柔らかくてすぐ削れて折れる あ
の少し光る粒子が入った青い文字が懐かしい

田村はそれと知らずに予備校の前に寄った い
ろいろな本が舗道に面した露台に並べられて
いた その時買った本の一冊 ソビエト新時代
NHK編 というのが実家の勉強机の上で色褪
せしている 当時 共産主義に興味を持ってい

主に外棚での付き合いだった田村書店 現代詩
の詩集が充実していた 外棚に200円300円
で思潮社の詩集が叩き売られていた 豊富に
出ているときと ほとんど目当てがない時と だ
からひととき毎週のように通っていた もう勤め
ていた 外棚のところに人がいなかったから
店の中に本を持っていったら 外棚の本は外で
買って とぶっきらぼうに言われた まだ私は
その程度で済んでいる グーグルの評価では
日本一客に厳しい書店 と書かれていて苦笑い
した 予測変換では 田村書店 店主 怖い
とか 田村書店 怖い とか ホラーか何かと

おつりのないように小銭を用意しなければなら
なかった 外棚の本のあさり方に工夫が要った
ひととき 田村の外棚あさりではプロ級と自認
した時期がある 箱に本が二重に重ねられて
いるので 下の本を見るには上の本をどかさな
ければならない その際 他の客にも下の本が
見えるように本をあさる これがプロ 何のプロ
ひとりで外棚をじっくり見るのは野暮 素人 盆
暗 田舎者 あの本屋は客も玄人揃いだった
ふらっとトウシロがうろつける店ではなかった

店内には店主が鎮座してどことなく緊張感が
あった 店主ではなくショートカットの女性が
店番をしていることがあって そんなときは何と
なく緊張が解けた 入り口向かって真ん中の本棚
左側が詩歌 日本文学小説で そのほかには
評論などの茶色い箱入りの大きな本がそろって
いた H氏賞詩集や著名詩人の初期の本 芥川
賞受賞小説などが揃えてあった それほど目玉
が飛び出るような値付けではない 中にはそう
いうものも混ざっていた

一度だけ店主と話をしたことがある 店内の詩
集の一角に松本圭二の詩集を見つけた 詩篇
と銘打たれていたかもしれない 題名がない
後に詩集 工都 と変名され普及版が刊行され
たかと思う その前の あまり流通していない
版を見つけて たしか3000円程度で買った
その時に ちょっと聞きたいんだけど と言われ
このひとさ どういう詩人なの知ってる? と問い
かけられたのだった 私が彼について知るとこ
ろをやや緊張しつつ上ずりながらしゃべると
ああそう いやさ ふざけた値段の詩集だからさ
幾らつければいいかわからなくてさ と店主は
苦笑いした 定価の数値は一万何千とも十万
何千ともとれる微妙な字組で打たれていたから
だった

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