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突飛な手紙

仮往生伝試文は後一章 富士日記上巻は数
ページ残すところまで読み進んた 仮往生を
読んでなんとなく書けるモードに入ってとなれば
書けるうちにたくさん書く 勢いだ 富士日記に
行商の話が出て来て 口が上手いと売れるのか
と言えばそうでもない 口下手で案外お得意を
抱えている人がいる というくだりを読んだ 私
は若い頃主に営業で色々な法人を回ったり
したが 口が上手い方ではなく お上手を言う
ほど世間慣れもなく 言われた物事を真に受け
て真剣になってしまうような感じだったが 何故
か結構得意先に気に入られた 一つの自覚は
得意先の意見を最重要として聞いてしまい こ
ちらの意見をきちんと通せなかった という事
なのだけれど それがかえって信用につながっ
たのかもしれないなどと今となって自惚れてみ
る 多少は苦労したのだろうか 学生の頃は
営業などとんでもないと思っていた

古井由吉は続けて杳子を読もう 富士日記は
中巻に進む それから松浦寿輝の随筆と古本
で買った阿修羅ガールを読み始める 今日届
いた阿修羅ガールの 封筒に何だか手紙には
厚くて硬い紙が同封されていた なんだろ と
みたら三月のカレンダーカードが何枚か入って
いて 今は何かをもらうことが極端になくなった
ので こういうちょっとしたものが素直に嬉しい
表は三月ひと月 うらは今年の暦が細かい
文字でぎっしりしている 素朴な手触りの紙
そういえば手紙などめっきり出さなくなった さ
ほど出しはしなかったけれど 若い頃は先生や
特別な人へ何回か手紙を書いた 直接手渡し
でも何度か手紙をもらった 大抵は結構当時と
しては重大な内容だったが 意外と何の気ない
手紙の方がもらって印象に残ったりしている
手紙を出してみようか 相手がいない 家族で
はなくて 返事も来なくて 出しっぱなしの どう
受け止められたかわからないような突飛な手紙

もうじき59回目の春だ 今年は花見に出かけて
見るか と言っても大騒ぎの名所にではなく
花も半ば散ったスイングトップ一枚でもう過ごせる
位の頃 ぽつぽつと広場に立っている一本桜
の根本にシートを敷いて 買ってまだ一度も使っ
ていないわっばの弁当箱に いろどりのご飯
たとえば豆ごはんとかまたは小俵に握った結び
とか 揚げ煮焼き漬け 一通りとりどりのおかず
と詰めて ステンレスボトルには熱い昆布茶と
かスープ代わりに なんとなく気分で ほんの
微量のアルコールの入ったノンアルコールビール
など持って行ってしまおうか 禁酒を破って と
いうより ビールの味の記憶だけで多分脳を
酔っていると勘違いさせることが出来る 以前
そういう経験をしたことがある

降りしきる桜の花びらが水辺で花筏になって
水いっぱいに敷き詰められると随分な重量に
なった 奥の方まで釣り歩いたとき 網ですくっ
て驚いた そんな絶えず散る止まない桜の下で
俳句のアンソロジーを読みながら 自塗りした
俳句板と俳句ペンで 全く桜でも葉もない俳句
などひねってみたい そもそも桜はあのぼおっ
としたピンクが寝巻みたいで好きでもない と
言って嫌いでもなく見事とは思う 五十九回目
の春は六十の手習いに雅とするか それは
俳句ではなく和歌か まあ そんなのどうでも
いいか

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