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水街道

水というのは現代詩ではお馴染み いささか手
垢のついたテーマで 水に託して抒情のさまを
書くというのはど真ん中 外れのないテーマだ
テーマとして外れないことと作品の出来はまた
別物だというのは言うまでもない と真ん中の
ものは書かれつくしているので 目新しくしよう
とすると手ごわい 水 流れる 降る 雨 反射
する 屈折する 透き通る 濁る 凍る 冷たい
温かい 濡れる 

ほら 行き詰った 水は手ごわい 実際でも
そうだ 灌漑治水 知っているようで知らなかっ
た 熊本に行ったときに加藤清正を今でも皆が
讃えていて その一つには治水事業での功績
が大きくて現代にいたるまで皆が感謝している
という 歴史上の人物か今も生きている土地
というのは日本のあちこちにあるようだが た
とえば千葉は 千葉という豪族に由来するよう
だが実際知ったのはつい最近で それは無教養
過ぎると言われればそれは仕方ない しかし
そういう先人に感謝のない土地で生まれ育つ
というのはやはり風土文化に対する人のスタンス
に他との微妙な違いがきっとあるという事だろう

江戸川と利根川は分岐して二つの河川になり
鬼怒川は確か他の川に合流する 水海道と
いう町が茨城にあって 駅からしばらく行くと
利根川を渡る 細かい石の河原で 浅そうに
見えて所々深い 何年か前 氾濫して一帯が
水浸しになった 電柱にしがみついて救助を
待つ人がヘリコプターから撮影され 風圧で
水に波紋が激しく立った そのような水害を
防ぐ そうならないようにするのが治水防水と
いう事だそうで ならば灌漑利水というのは
水を引き入れ 水を農や飲み水に使うという
事なんだそうだ

水海道という市は今無くなって常総市と改名
されている 父母の実家は水海道からしばらく
北に上った所に位置する みつかいどう と読む
みずかいどう と読ませない みずかいどう と
打ってみたら水街道と出て この下りを音読する
と何を言ってるのか みずかいどうみずかいどう
いっていておかしい ある種 川沿いの水街道
という道がいくつもあって 街道という事は町と
町をつなぐ道なのだろうと当然のことを書き連ね
何だか思考がぐるぐるする さらりと書いたが
父母の家は百メートルほどの近所で 近所での
男女の組み合わせあいで夫婦になったという
経過がある 田舎の 昔の結婚形態だ 小作と
地主の組み合わせ 父は小作の五男坊だ

与作は木を切り小作は米を作る つくった米を
地主に納めるか小作料を支払うのか いずれ
小作の五男などは町場に出るくらいしか食い扶持
もなく 今の地に居ついて私の子で三代目だ
三代続けばもうその土地の人間と誰にくさされる
ことなくいい張れてしかし川が流れ人が行きかう
何の変哲もないありふれた地では お前は
骨の髄までありきたりだ と言った俳優が川を
挟んだ対岸をいつも眩しく見晴らしていた その
眼下には川があり 川というからに水が流れ
風もつよく勢いよく 私の子らが駆けおりていっ

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