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荒川洋治の読書からつながって

今 荒川洋治を読んでいる おそらく未読の二冊
それ以外は詩も散文も読んだ 荒川洋治は小説
を書いていない しかし 忘れられた作家を何人
か掘り起こした 田畑修一郎 小山清 他にも
いたが忘れてしまった せっかく掘り起こしてもら
ったのに 葉山嘉樹の セメント樽の中の手紙
は私は確か散文詩として読んだのではなかったか

霧中の読書 と言う本に以前よく見た荒川節を
久々に見た 震災で一躍名士になった詩人 こ
器用にいろいろな人 物を評論し 詩まで書いて
書いてしまった評論家 その 往復書簡 これは
W氏とW氏の事だな とわかった ダブルW氏
しかし 以前 前者の詩人からは同人誌を頂いた
ことがあるので印象は悪くない そんな淡い関係
が一度っきりなのでどういう人か知らない 真面目
そうに見えるけれど テレビや雑誌で見た限り

今回 詩と散文についての興味深い考察が目を
ひいた 何が詩で 何が散文なのか という内容
だが 言葉の意味に拠るのが散文 価値に拠る
のが詩 
ということが書かれていた 誰かの言葉
の引用だったかと思う(吉本隆明でした) それをまた私が引用して
いる 現代詩は意味より価値 私がそこから考え
たのは 言葉の繰り出し方を含めた散文的意味
からの解放 自由 という事だった そう考えると
現代詩が難解になるのも半ば不可抗力と納得
できる だがしかし そこまで深く思考を凝らしな
がら詩作をしている詩人がどれほどか とも思っ
た 私は詩人を自認しないが もっと表面的 し
かし本能的かと自分に引き合わせた なんか
現代詩 いたずらに難解だと思って 以前の難解
詩人の形だけ真似ているような 表面でそれっ
ぽく書いているような まあ 面白ければいいけど

散文というくだりについては 意味に拠る では
散文詩 というのはどういう位置づけにすればい
いのだろうか 私の誤読かもしれないが 散文
的な流れの中に いくつか 詩を思わせるフレ
ーズが含まれていること を一つの条件とする
といったことが書かれていたように読んだ なんと
簡単な定義かとも思うが私の早合点かもしれな
い 志賀直哉にはそのようにフレーズはあまり
ないが 書かれたものを読んで散文詩を感じ
てしまう 梶井基次郎はそれらの宝庫だが 一応
小説家とされている 古井由吉の山躁賦 という
小説は完全に詩の文体で書かれていると思う
近頃で言えば 山下澄人の文体にそれを感じる

では 韻文的な散文が集められた時にそれは
散文詩集なのか 小説なのか 連作散文詩集
と言えるケースもあるだろうし 連作短篇と言える
かもしれない 何をもってしてそこに線引きをす
るのか という問いに対しては 線引きが必要か
という問いで返すだろう そして それが 文学
なのか 芸術なのか とりわけ 言語で作るアー
ト作品なのか という線引きもよくわからないし
こだわりがいるのか とも感じる それが昔から
ある既成の作品よりやや違って見えるなら そ
れは大きな刺激になるだろうと思う そのような
作品には滅多に出会うことはないけれども





     


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