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無職と自転車

無職と自転車

遙か昔、一度勤めを辞めた。仕事にも慣れて、新しい上司が来たとき、格段に仕事が楽になった。知識でこちらが主導権を握れたからだ。それで辞めた。三十になったときのその職場での自分が想像できなかった。若気の至り。しかし、いまでも存続している企業であり、今後もまず倒産することはなさそうだ。就職時の着眼はよかったのだが。

そして、若くして無職になった。当時はニートも非正規もひきこもりと言う言葉もない。若い無職。職安、今はハローワークと言うのか、古い建屋のすすけた窓口に職を求めに行った。正直、あまりに昔で印象があまりない。国民年金の手続きだとか、認定日だとか、手続きはいろいろあったが大した手間ではない。平日に若い男がぶらぶらするという時代ではなかった。しかし暇だった。

自転車に乗った。ふつうのいわゆるママチャリだ。チェーンがカバーの中でカタカタ鳴り、変速も何もない。家にいるのが耐え難く自転車で出かけた。平日は後ろめたく、なんだか取り残されたような、放り出されたような気分でペダルを漕いだ。車は持っていなかった。移動範囲も限られたが、半径十キロぐらいのところをあちこち流した。

ああ、今自分は社会の何の役にもたっていない。うしろめたさとすがすがしさが感情に同居した。晴れて風が強い日も乗った。曇りのち雨の日もあった。いまより二十キロ痩せていた。職は決まらず、簿記を習うことになる二ヶ月程度のあいだ自転車に乗り続けた。

たばこを吸いながら、途中で買い食いしながら、職務質問を一度もうけず、ふらふらと自転車に乗った。平日に人は少なかった。ネットもケイタイもなかった。しかし商店街にシャッターは降りてなかった。ベンツやBMWが買えなくなった家の替わりに挙って買われて走っていた。仕事を選んだ。自転車に乗りながらいろいろなことを思った。大きな川の河口近く、草っぱらで、スタンドに立てた自転車をから漕ぎまでした。莫迦で、暇だった。

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このときからもう三十年も経ちます。決してあっという間には過ぎなかった。

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