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デニッシュマン

デニッシュマン

時折、房総半島一周の業務回りをした。私よりずっと年上の、専任担当の人とともに、いろいろな話をしながら二日ほどかけて。

年末の挨拶を兼ねて挨拶するときが一番気楽だった。年末の挨拶をすると今年あったいろいろなことがリセットされ、今年は今年、来年は仕切り直し、と勝手に様々な出来事を脇へ追いやる。

その人はいろいろな職業を経験してきた人だった。農業高校からM大に進学し、農業の勉強をしていた。トマトを新規に扱う会社として当時まだメジャーな調味料ではなかったトマトケチャップのD社に就職する予定が、どう言うわけかパン会社に就職することとなった。

そこで、担当したのが、当時、日本に輸入されたばかりの機械でこれまた当時、まだ市販もされていなかったデニッシュパンを商品べースに乗せることだった。

機械とともに技師が来て、わずかな講習をしただけで帰ってしまった。そこで、彼は、どの温度で何時間発酵させ、どのように生地を折り重ねて行けばいいか、試行錯誤を繰り返し、ようやくデニッシュの発売にこぎ着けた。もちろん、日本初だ。今ではいろいろなパンメーカーがデニッシュを発売しているが、食べ比べるとやはり元祖がスーパーに並ぶ量産品では一番おいしい。本当か嘘か知らないが、私は人の話を真に受ける口なのでいつも食べてるあれの製品化に成功したというその人を素直に凄いと思った。

その後、不本意にも営業に回され、自ら経営者になったり、株で儲けたり損したり、アパートを持ったりタクシーの運転手になったりと忙しい人生を経て、私の部署の専任担当となり、私が部署を離れた後にいつの間にかやめてしまった。

気取ったところのない、しかし、我々を見ていて、甘ちゃんだと心の中ではおそらく思っていたと思われる話好きのおじさんだった。インテリと下世話をうまく併せ持った不思議な人だった。

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