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写真のしろい

写真のしろい

ワタナベアニさんという写真家、デザイナー、文筆家がいる。私は写真についてはとるのは好きだが、全くの素人で、アニさんがFBにアップしてくれる写真もただきれいだなあ、とかおもしろいなあ、としか見ることが出来なくて、技術的なこと、たとえば露光とかそういうことの詳細はよくわからない。

また、かなりの多筆家でその文章はなまなかなコラムなど目ではないほど面白く、視点がユニークで、示唆に富む刺激的なものだ。哲学から下ネタまでのふれ幅が大きいのも魅力の一つだ。

いつものようにアニさんの投稿を読んでいたら、こんなリクエストがアニさんにあったらしい。「何も写っていない写真を見たい」。といって白い壁を写したものではなくしっかり何らかの対象物は写っているのに何も写っていないように見える写真を見たい、というリクエストだ。

並んで語るのもまあおこがましくあるが、私もこんな事を以前書いた。しっかり文字が連なっているのに、読んだ結果何が書いてあるのか、何も書かれていないように思える文章を書いてみたいと。たとえば、極上の日本酒が清水に近しくなるような、岩本素白の言う「素湯のような話」と言った文章。

手法はいろいろあると思う。しかし、意味不明の文字の並び、という問題ではない。情報量が多すぎで過剰で、結果的に何も書かれていないように思える文章や逆に極端に情報が少なく、静かで、白紙に近い文章。私は前者を中原昌也、後者を高貝弘也に感じた。

となると、著名作家に並べて気恥ずかしくはあるが第三の路線を私は考えることになる。書いてあるのに白い文章。写しているのに白い写真。というより写真が白い。白いというのはもちろん比喩である。読んだそばから消えていきなにも残らない文章は可能だろうか。もはやそれは現代アートの領域かもしれない。

アニさんはアップしてくれるだろうか。何も写っていない写真。見たとたんに透き通るような、水に溶けるような写真。アニさんの解釈にとても興味がある。楽しみに待つ。

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