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白やまぶき

寺に行ったときは辛うじて桜が残っていたのだ
けれど そこかしこに見上げると氾濫している
桜の花にやや飽いて 視線を下ろし気味に
歩いて行くと 白い苺のような花が群れ咲いて
いるのを見つけた 花は細かい苺のような雌蕊
なのか まつげが取り巻いているような中心を
持ち 苺のような筋の細かいというより目のつ
まった葉脈をもった薄くのこぎりのすり減った
形の葉を細い茎から伸ばしている 何の花だ
ろうと妻に問いかけるとスマホで花を撮りその
場で 白やまぶき と教えてくれた 

苺の花に似ていると思ったのは近所の土手に
自生している野いちごを毎年見ているからで
何かぶか引き抜いて実家の裏に植え替えてみ
たものの いずれもニ三日で枯れてしまった
しんなりと湯がいたように茎が垂れ そのまま
乾いてカサカサになった それで雨の日 その
土手を探してみると今年も野いちごは新芽を
つけていたけれど 年々地表に出る数が少なく
なっていると感じる 身近な植物についての
著述はいかにも私小説といった流れで それが
嫌いではないものだからこのような内容は考え
を文字に写して心地がいい

やまぶきの妖かしに雨をしのぐ武士を描いた
美しい掌編小説をこちらのサイトで読んで きの
う上げた写真の中身が白と黄色のやまぶきだ
ったので偶然に驚いた と同時にやまぶきは
春の花だとしっかり意識されたのが今年の春
だったと記憶しようと しかし来年も改めてやま
ぶきは春の花だと気が付いて そのときやまぶき
の話を読んだ記憶をまた思い出すのだろうと思う

寺に行ったときには薄曇りだが雨は降らず む
しろ時間とともに晴れて来て 写した写真の色味
を極端にしてみると実際には薄い青空が夏の
濃い色に変わり 写っているものは変わらなくて
も印象はいくらでも後からいじれると思った な
らばいじって 元と似ても似つかぬものにしてし
まう そういう機械のいたずらみたいな 偽とか
えせなど むしろ進んで面白がって そうこう
しているうちに早隠居も六年が過ぎた

雨が降ったとしても 寺には軒先が沢山あった
不意の雨で軒を借りる などという事は今めっ
きり私にはなくなったが そういう経験は以前
何度もしているけれど小説のように借りた軒先
で誰かと出会うなどという事はなかった たまたま
軒を同じにしても気やすく誰かと言葉を交わす
などと思いもよらなかったからだけれども もう
いい加減自意識で身を固めてうわずっている
年齢でもないので 通りすがりならば気楽な
言葉の二三ことも自然に交わせるようになりたく
もある マスクの威を借りて人に自分を開こうか

などと厚かましい事を内心にしてもきっとそうは
ふるまえないだろう その場限りの淡いやり取り
でかかわりは充分だけれど 妻は先に行っては
時折振り返り 私がいることを確認してはまた
先に行く すっかり太って歩くのがおっくうにな
った私に付き合いきれないという急ぎ足で 私
は何をどの範囲で切り取って どう撮ろうか考え
てると追いついて言う 堂から堂へ渡された
橋の廊下は屋根と床だけで素通しだが雨の日
に濡れるままにしておくのだろうかといや長い事
渡されているからもう濡れても濡れて乾いてを
繰り返して木の内部は枯れ切っているから平気
なのだろうと思う やまぶきは固くなった枯れ
茎を 浮子の素材に使うのだそうだ

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