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日にほんの数ページ 富士日記を

今 書ける波が来ている こういう時にいくつも
短文を書いておく 質より量 人様の詩にたま
に批判めいたことなど書くからにはせめて量は
書かないと しかし いくら書いても向上させよ
うとしなければ向上しないのではないか とに
書く何らかの文字をひねり出す いずれ再構築
するかもしれない それにタイムラグもあるから
この後何も思いつかないでうがうがと寝返りを
繰り返している可能性もある この段階で米国
株式相場がまた弱気に転換してきている 辛い

井戸川射子が芥川賞をとった夜だ この人には
関心があった などと言うと後出し感否めず ま
ず 名前が不思議 それで 詩手帖か何かに
引用されていた詩の一部が 言葉の組み方が
とても変わっていて というか平たく言って変な
文だったから まとめて目を通したいと思ってい
た デパートの喪服売り場が舞台と言っていたが
普通に考えて礼服売り場ではないのか ああ
女性は喪服は慶事とは兼用されないから喪服
売り場でいいのか するってえとその店は女性
下着売り場のようなところなのだろうか 不要な
江戸弁など混ぜてみるところが浮かれている
証拠で

百合子がいい 小池でなく武田 日にほんの数
ページ 富士日記を読み進めている 昭和四十
一年になった 私が二歳の頃 その頃の山梨県
鳴沢のあたりか 河口湖か いずれにしろ多分
本栖みちのあたりから入った所の別荘地だろう
主にそこでの日々が綴られているのだが 私は
四十半ばで隣町の富士吉田市の事業所に左遷
されたので ちなみに そこで働いている人が
現にいるのだから 左遷という言葉は使うな と
上役からたしなめられた まあ左遷ですよ みじ
かいあいだかの地に暮らしたことがある 書いて
ある地名や出て来る人物の苗字 風景や人々
の様子など いずれも思い当たるような描写
ばかりで 短くて寒くてつらい暮らしではあった
けれど その当時をありありと思い起しながら
読めるのがいい

日記の中で 富士五湖地方の人々の話がその
まま引かれたりしているのだけれど 灯油缶は
二缶くらい持ってくずら とか そんなことないら
とか 訛りがここ最近と変わっていないのがお
もしろくまあ なまりはそもそも大きく変化しない
か よそ者の私としゃべる時に標準語をしゃべる
ひとと訛りのままの人がいてそんなこと今更
思い出すずら とか 外川という人物が出てくる
が あの地方にはよくある名字で 一番多い
のは渡辺だけれど 小佐野 舟久保 堀内
などと地の苗字として記憶に残るだ 

Sという珍しい苗字についての記載は特に興味
ふかく というのも多分付き合いの深かったS
さんと同じ苗字なのだと思うが その苗字には
二種類の系統があって同じ苗字でも紅組と
白組みたいなもんら と言っていたのと同じよう
なことが富士日記に記載されていた でSさん
は赤白どっち系統のSですか と聞いたら おれ
はどっちでもねえ 桃色ずら と言っていたのを
思い出した せっかちでおせっかいで何かして
いないと気が済まなくてちょこまかよく働いて
近所の話をよく知ってて人からもらったものを
そのまま私によくくれて酒が好きでお人よしで
言葉が悪くてだけど憎めない そういう感じの
人が昔も今もいる土地なのだと読んでいて感じ
るら

確か以前も書いた 五湖では西湖か本栖が
好きだ 地味で観光地化されてなくて おそらく
富士日記の頃とそれほど変化がないのでは
ないだろうか 夏に入る前には深い緑がむせる
ほど匂って濃厚な空気が垂れこめる地方 冬は
骨身から凍るように寒くて 水を細く出しておか
ないと水道管が凍ってしまう しかしながらいた
るところに側溝が下っていて そこを富士山から
の水が年中音をごうごう立てて流れている それ
らはそれほど幅の広くない川に流れ込んで そ
れらの川が合流する地点など激流で一晩中水
が轟音で響いていて 水の暴力をよく夕方に
仕事から事務所に戻る合間 立ちすくんで聞い
ていたものだった


波はひきました 半月前位のことです

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