見出し画像

それ 美味しいの

妻が疲れ切っている エアコンの取り付け工事
に際して 子供たちのノートやおもちゃ 受験
に関するあれこれ 例えば大学案内など それ
から工作で作ったお面とか 子供たちがかなり
最近まで二人で遊んでいた ふくろうのまち と
言う遊びに使っていた指人形やミニチュアの
テーブル 小さくノート状に書かれたまちの掟
それから床に貼ってある地図 それらをすべて
整理した むすことむすめがガラスでできた小さい
ふくろうの置物を使って 声色を変えてふくろう
のまちのやり取りをしているのは聞いていて面白
かった 時に思いがけない言葉 訴えますよ
とか聞こえて来て何のやり取りなのか いつかは
積み木で祭壇が作られてレゴ人形が寝かされ
それを無数の指人形が取り囲んでいたりして
何の儀式か 息子と娘は何となく互いに距離を
置いているように見えてその遊びの時だけは
とても楽しそうにしていたので そんなやりとりを
好ましく聞きながら時に口をはさんだりして夜を
過ごした それらすべてをまっさらにして ふくろう
遊び 好きだったんだけど と息子に言うと いや
もう子供じゃないから と至極まっとうに返され
そりゃそうだ と言ったものの 一通りの子育て
の名残を取り払ったようで少し感傷的になった

このごろ兄がふくろうで遊んでくれないと言って
いた高校生になっていた娘もここ数日ずっと
リビングのテーブルで何やら勉強をしている
大学も二年 関西風に言えば二回生というのか
近代文学の短篇について何かを読んで批評を
プレゼンするという課題が迫っているとのことで
テーブルの上にあった 近代文学の短篇 という
本を見て 何やるの 近松秋江とか と聞いたら
そのものずばりだったので驚いた ただし 私は
近松アキエ だと思っていたので シュウコウと
娘が言いなおしてせっかく父の知識を見せられた
かと思えば台無しになった となると他は正宗
白鳥とか泉鏡花とかか ときくとうなずいて一矢
報いたような気になった ちなみに近松も正宗
も読んでいない 泉鏡花は若い頃読んだ 幻想
文学の文脈でもてはやされていた 遡れば石田
秋成とか あとは近代では他に小泉八雲とか

部屋が片付くと明らかに気分が変わる 私の場合
はなんとなく前向きな気になった といってもさあ
なにか始めるぞとかそういう威勢のいいことでは
なくて 今までの事に一つ薄っすら区切りがついた
と言った程度の感覚ではある 何か さあやるぞ
と張切れるものがあればその方が幸せなのだろ
うけれど そのようなことが特にないというのも平穏
と言えばその通りで 波乱よりも無事を是と希望
しつつ何かしら余計事で煩わしくなる来し方だった
がそれもまた流れの内なので身を任せると結局
はそうなった 死ぬこと以外かすり傷というが
結局は死もかすり傷も流れの中でままならない
物だと思われる

そうだ 妻が疲れ切っていたのだった 夕食に
妻の作った冷やし中華を一家で食べた 私が
皿の脇にマヨネーズをひと絞り盛り上げたのを見
て いつもそうするので今までも見ていたはず
だが それ 美味しいの と聞いてきたのでやって
みたら と言うと 疲れていたからか素直に試し
て 酸味が和らぐ気がする と言った



なんだかつらつらと書き連ねてしまう 飽きられてしまうと思っても書いてしまう もう習慣になっている しかし そろそろネタ切れ といって何だか書いてしまう書いてしまう詐欺 今日は上げまいと思ったが上げずにいられなかった 完全に自己満足 と言って内容に満足しているわけではないが

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?