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突然ヘミングウェイに

文体について考える というのは散文の領域の
ことなのかもしれない 詩については 文体
というよりどちらかと言えば語のつなぎ方 修辞
の方に主眼が行くかと思う 倒置とか 言い換え
それらを文章の流れより重視 個人的に思う
ことだが

その作家を読むとき やはり文体 言い換えれば
その作家の癖 はまず目につく すっと頭にはい
ってくる人 何だか引っかかる人 こってりした
重厚な人 センテンスの長い人 短い人 凝る
人 何の気なしに書いているように見える人
大袈裟 簡素 控えめ 出しゃばり

志賀直哉はさっと読める 凝らないことに凝って
るのかもしれないが うまく書けた作文といった
イメージ 村上春樹はわかりやすいがやや回り
くどいというか説明的 簡素だが癖が潜む

車谷長吉はくどさから簡素へ だが癖は強い
露悪的な書き方 西村賢太は擬古典 大正風
村田紗耶香は簡素にして変 論理はわかりや
すいが変 少し文体論から逸れるか 

吉田拓郎の文庫本を読みさした 多分 拓郎
から話を聞いて ライターが構成し 書いた本だ
と思われるが 令和の今読むと 昭和軽薄文
体というかそれよりもちょっと古いか 
と思う僕なのです やるのぉ お主
なんだナ ナンチャッテ それは違うぜよ みた
いな感じで古臭くて読めたものではなかった
しかし ここで書いた みたいな感じ というのも
もう古臭いのかもしれない 書いている本人や
その時代にはわからない 独特な文体は時間
が経った時に読めたものではなくなる危険があ

しかし その時代の文体と言うのも気づきにくい
があるだろう 後から気が付く そういえば
あの頃はみんなそんな言葉遣いをしていたと
それを正確にとらえて文体をとり入れて物を
書く というのも充分アリだ 充分アリ もう古
びているか

とても好きな作家の本が今は読めない 何だか
自意識が文体に滲んで その作家が好きだっ
たときは普通に読めていたのに ちょっと離れ
れて しばらく経つとその部分がやたら目に付
く 人為的な文体より 今はニュートラルで素朴
な読み味が好きになっている

それも今後どうなるのかわからない 心境の
変化によって凝りに凝ったレトリックの文章が
たまらないようになるかもしれない 内容に
ついても 今は読めない時代小説にはまるか
もしれない

だから本は むやみに手放すことが出来ない
何かの拍子に 突然ヘミングウェイに夢中に
なるかもしれない だから いつか読もうと思っ
て勤め時代に買った文庫版短篇全集は廊下に
積読になっている


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