わたしは人生で一度だけ、マジなトーンで「神様の思し召しですね」と言われたことがある
前回の記事はこちら。
30近い認可保育園に落ち、とうとう月額13万円の無認可保育園に娘を預けて復職するしか道が無くなったわたしと娘のその後のお話。
そういうわけで自宅からその当時勤務していた新宿方面の病院の間にあるすべての認可保育園に落ちた我が家であるが、奇跡的に少し離れたところにある無認可保育園に申し込むことができた。
そこは新設、オープンは娘の育児休暇がリミットを迎える3月後半。1、2歳児限定でかなりの小規模であるが、着替えやオムツを持参する必要はなくすべて園で用意、食事や環境にもこだわった素晴らしい設備の園であった。
そう、利用料が8時〜18時のフルで利用すると月に13万円かかるという点を除いては…
別にセレブ向けの無認可保育園ではない。断じて違う。先生も園児も英語で話すとか、体育に力を入れているとか、有名な社長が経営しているとか、そういう類ではない。ごく普通のビルのワンルームに子どもたちがたくさんいて、遊んだりご飯を食べたりお昼寝をしたりするなだけだ。
そう、世田谷区の無認可保育園は、ごく普通の保育をしているだけでも簡単に月に10万円を超える利用料が発生する。
「とりあえず1年、無認可保育園に通っていれば、次の4月でまたチャンスはあるし点数も高くなるから通うしかないよね」
「時短で働けば手取りは減るから、わたしが働いても月の利益は3、4万程度にしかならないけど、背に腹は変えられないものね」
同じような状況に陥ったママ友とした会話は今でも忘れない。
そうするしかないし、あの当時の先輩ママたちはみんなそうしてきた。だからわたしもそうするしかない。プラカードを持って役所の前で「保育園を作ってください!」と叫んだところで、すぐにできるものではないのだ、保育園は。デイサービスを作るよりずっと許可が降りにくいのだ、保育園は。
※ちなみに現在は育休期間が1年から2年に延長、近所に認可保育園も随分と増えたのでもう少し改善されてると思います。
たぶん、3月の初めごろだったと思う。なんかよくわからないけど、まあ4月から復職できるし、手取りは少ないから今より収入はぐんと減るけどまあいいじゃないか復職できるんだから、とよくわからない理論で無理やり自分を納得させて、わたしは気持ちを落ち着けた。
で、そんな折、『定期利用』という仕組みを知った。
4月からオープンする認可保育園がある。通常、認可保育園に申し込みが殺到するのは0、1、2歳児で、3〜5歳児のクラスは定員割れする。そうすると必然的に教諭が過剰となる。過剰となるので、その分で1、2歳児の枠を増やし「1年間限定で入園してもいいですよ」、というのが『定期利用』のシステムだ。
定期利用で入園できる園児はくじ引きで決まる。“くじ引き”で決まるのだ。
「当然、無理でしょ。わたしの子だし…」と思いながらも、チャンスの神様は前髪しかないという言葉を信じて、すぐさま『定期利用』に申し込んだ。家から電動自転車で10分、バスを使っても20分かからない好立地、キリスト教系の幼稚園に併設された保育園で母体もしっかりとしている、何より新しくできた施設なのでとても綺麗。条件は申し分ない。
そして発表当日。当選した園児の保護者には17時頃、電話にて連絡が入る。高鳴る鼓動を必死に抑えていつも通りに過ごしながら、いないいないばぁを見て、お母さんと一緒を見て、みぃつけたを見た。
時計の針が17時を指す。しかし、電話は鳴らない。にほんごで遊ぼうを見てもはながっぱを見ても、チャンネルをNews everyに変えても電話は鳴らない。
そのときの気持ちは今でもありありと思い出すけど、何もする気になれず、夕食の支度をする気にもならなかった。夫の帰りもいつものように遅かった。
「ああ、ダメだ。でも、まあいいか、無認可に入れるんだし」と自分に言い聞かせて重い腰を上げ、溢れる涙を必死に堪えて「わたしはなんの為に働くんだろう、稼いだ給料の半分以上が保育料に消えるなんて、馬鹿みたいじゃないか」と絶望する自分を必死に騙して、なんとかして夕方の家事に取り掛かろうとしたその瞬間だった。
電話が鳴った。
見知らぬ番号、張り裂けそうになる鼓動を抑えながら電話に出る。たぶん声は震えていたし「おめでとうございます」の言葉を聞いた次の瞬間には「ありがとうございまーす」と涙声になっていた。
外は雨、時刻は19時になろうとしていたが、手続きの都合上、今すぐに園に来て欲しいという無理難題を快諾し、まだ歩き始めたばかりの娘を抱っこ紐に入れてすぐさまバスに飛び乗った。ものすごく寒くて足元も悪くて娘も重くて、通常のわたしならピーピー文句を言っていたところだが、なんとか保育園にたどり着き満面の笑みを浮かべた園長と対面、無事に書類を受け取った。
この度は本当に…、と深々とわたしが頭を下げると、園長が言った。
「神様の思し召しですね。」
キリスト教というものがどういうものかよくわからない。結果的に一年間、その園には娘がお世話になったにも関わらず、食事の前に「アーメン」と呟くのと、クリスマスのときにやたらと張り切る以外にそれっぽい特徴がわからない。遠藤周作の『沈黙』は少し前に読んだけど、「つべこべ言わずに、いいから踏んどけばいいがや!」という低俗な感想しか抱けなかったわたしには、宗教という概念はすこし難しい。
難しいしわからないけど、あのときのわたしは心から神様に感謝した。
あとで聞けば応募があったのは19人、そのうち娘を含めた2人がくじに当選し、入園することになったのだという。
本当に、有難いことだと思う。
定期利用で通ったその園はとても良い園で、3月生まれでほぼ赤ちゃんの娘を丁寧に保育してくださり、言葉を話し始めた頃には「こんなことを言っていましたよ」と笑顔で教えてくれたし、夏祭りや子ども会などの行事も盛大に執り行ってくれた。
これはあくまでうちの娘とわたしの運が良かっただけのお話で、兎にも角にもまあなんとかなったのだ。
1歳の娘を保育園に預けていると話していると、「まだ小さいのに、お母さんと離れて過ごすなんてかわいそう」とよく言われた。でも、それはたぶん呪いみたいなものだと思う。子どもは親だけで育てても良いし、みんなで育てても良い。子育てに、正解などというものは存在しない。
ただひとつ、彼ら彼女らを取り巻く環境に、「こんなはずじゃなかった」とか「このままじゃダメだ」とか、悪意や呪いに満ちた黒いものができるだけ存在しないよう、取り除いたり取り替えたりする。それが保護者の役割なのではないかと思う。
あの日、わたしは『働く』ことを選択した。それは他でもないわたしのための選択である。しかし、わたしがわたしの為に選択したことによって生み出す余裕は、娘のための余裕である。わたしの幸福は、わたしの家族に伝染するのだ。
世の中には様々なべき論が溢れている。“母親たる者かくあるべき”なんて数えたらきりがないけれど、わたしはもう惑わされたくないし、社会で悪戦苦闘する母親たちにも惑わされて欲しくない。昭和に比べたら随分と自由になったわたしたちだが、そこにはまだ分厚いガラスの天井も重い鎖も残っている。そこから解き放たれようともがき、闘ってきたことで得られる権利や選択肢もまた、ひょっとすると自分という“神様”からの思し召しなのではないかと、今になってしみじみと思う。
読んでいただきありがとうございます。まだまだ修行中ですが、感想など教えていただけると嬉しいです。