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禅的思考とビジネスの親和性(3)

前回は暗黙知である「真我」(=本来の自分)を理解し、意識しなければSECIモデルを回せないという話をしました。
「本来の自分」理解して意識する、これ簡単そうに思えるかもしれませんが、結構大変なんです。
私自身、「本来の自分」そのものの存在に気がついておらず、いや正確に言うと存在を忘れており、表出している「自我」の部分だけが「自分」だと思って疑いも持っていませんでした。これはなぜなのか・・・

皆さんだいぶ記憶は薄れているとは思いますが、幼稚園くらいの記憶を辿ってみてください。あの頃の自分は今の自分と比べてみてどうでしょうか?
もちろん知識や知能レベルは今より断然劣っているかもしれませんが、自分らしさと言う点ではどうでしたでしょうか?
五感と直感を使って、好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、泣きたい時はギャーギャー泣く、笑いたい時は大笑いする。こんな感じではなかったですか?

実は「真我」(=本来の自分)は大人になっていくにつれ、どんどんぼやけてくるものではないかと考えています。(そうではない純粋な人ももちろんいます)
例えば、会議で先輩のAさんが発言したことに対し、違和感を持ったとしましょう。そのままズバリ言う人もいるでしょうが、以下のようにやり過ごす人も少なくないと思います。
・自分の発言がみんなからバカにされるかもしれない
・あの本にはAさんが言ったことが書いてあったから正しいに違いない
・違う意見を言ったらAさんからの覚えが悪くなって給料が上がらないかも
・この場の空気を乱さないようにするのが大人の対応だからやめておこう

上述したような何かへの執着であったり、単なる知識であったり、自分で思い込んでいる常識であったり、プライドや見栄などが、自分の真我=本来の自分=暗黙知の周りに蓄積していき、どんどん見えなくしてしまっているのです。

誤解ないようにして頂きたいのですが、なんでもかんでも自分の感情のままに言えばいいのね?と言うことではありません。上述の場合、その場をよく見極めた対応がもちろん必要です。
肝心なポイントは違和感を持ったことをしっかりと認識することです。
「私はこういうことに違和感を持つんだ」と言う意識で十分です。そこに「なぜ」と言う理由づけを無理にする必要はありません。

前置きが随分と長くなりましたが、この違和感を持つためのアンテナを磨き、高くするために「禅」が有効なのです。
「禅」と言えば坐禅を想像する方が多いと思います。
坐禅をすることで自分の五感が研ぎ澄まされ、アンテナも磨かれそうであることはイメージもしやすいと思いますし、すでに瞑想含め実践されている方も感覚的にご理解頂けると思います。
ここでは詳しく触れませんが、科学的にも色々なエビデンスが出てきており、坐禅や瞑想の効果が裏付けされてもいます。
私も坐禅暦が日々積み重なっていく過程で、自分の経験として自信を持って効果ありと言えます。

が、坐禅や瞑想だけしていれば良いかと言えば、実はそうではなく、しっかりと「禅」への理解を深めていくことが、「本来の自分」により早く近づいていけることになります。

〜 つづく 〜

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