毒親の記憶 距離感

今回も毒親関連の話を、とくに距離感について。

専門学校に入学した18歳から職場の寮に入り実家を飛び出した。

最初の2,3日は電話やラインが鳴りっぱなしだった。

リュックとトートバック2個だけでフラッとでできました。

段々と電話攻撃が収まってきました。
居場所が分からないし、連絡手段はケータイだけ。

電話には出なかったです。
声を聴きたくなかったので。

親を捨てるのか、育ててやったのに、そんな事は世間様が許さないぞ。

これの繰り返し、焼き直し、言い換え

DV・モラハラ・虐待親父は世間体をとても大事にします。

半年から1年経ったあたりから年に数回は実家に帰ったり、ラインをするようになりました。
簡単に会えない距離に居た事、親は凸ろうにも私の居場所は分からない。

私の身の安全が確保されているから少しずつ解毒されて、当たり前な会話のやり取りができるようになってきました。
お互いの体調とか天気の話しはしてません。
帰ってこい、援助しろと言われて、それを拒否できる。それだけ。

物理的に、精神的にも距離を取って身を守ることから解毒は始まります。
たぶん。
youtubeで疲れたサイン、うつ症状についてまとめた動画を最近見たんですが当時はほぼすべて当てはまってました。

私が学生で、バイト代を少しだけ貯金出来たからこそ脱出できただけです。

バイト代や自分で買ったものなど全てを取り上げられてしまう場合は特に難しいと思います。

私は黒服をやって寮で暮らしながら専門学校に通ってました。

ホントにラッキーなパターンです。

暇な水曜日や木曜日にキャストさんから「家ないんでしょ?」と言われたことがあります。
お客さんが少なくて暇なときに、いきなり言われました。
母親の再婚相手がクズで夜行バスに乗って歌舞伎に来たみたいです。
独特の目付きがあるらしい。
「実家居たら死にそうだったんで出てきました。今は専門に通ってます。」
何も考えずに、正直に言いました。
その時に言われた事は今も指標になってます。
「親は他人だと思いな、事実他人なんだし。
こういう職業は期間と金額を決めて働きな。お金貯めて早く昼職に復帰しなね。
お金で買える物は20代のうちに全部買っときなよ。」
周りの大人の言葉よりも響きました。
子ども扱いしない人のアドバイスは大切だなと感じます。

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