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神秘的なものには惹かれがちじゃない?

1999年7の月に世界は終わってしまうのかしら、と気になっていたのは、小6ぐらいだったのかな。後藤勉の『ノストラダムスの大予言』という本がテレビを巻き込んで相当に盛り上がって、もちろん私もそれに大いに釣られた次第。もっとも、大人になるということを思い描けてさえいない小学生には1999年はあまりに遠く、リアリティは感じられていなかったけどね。
元から空想癖が強いというか妄想のようなものに囚われやすかった私ですが、4年生ぐらいからは特に神秘的なことやら超能力やらというものにずんずん引っ張られていきました。その一方で、サッカーにもはまっていたし、自転車やらローラースケートやらルパンやら蝶やらフォークやら紙飛行機やら江夏やら、いろいろとはまるものがあったわけで、小学生の毎日はさぞせわしなかったんだろうなあ。そんなに忙しかったという記憶はないんだけれども。

以前書いたように「かーねーこーくーん、あーそーびーまーしょ」なんてんで、金やんちに乗り込んで一緒にコロッケを喰って……というのは、彼の家は大通りの側を貸し店にしていて、当時入っていたのが肉屋さんだったんですね。で、出来立てのやつをおやつとしてもらって熱がりながら食べるってのが定番だったのです。んで、金やんとふたりして橋本健の『超能力入門」なんぞを読んだり、ESPカードってなものをあれこれしてみたり、「こっくりさん」をやってみたり。
テレビではユリ・ゲラーや川口浩で沸いていたし、世の中全体がそういうものに惹かれていた時代だったのかもしれない。例によって、調べものをさぼっているんで、実際には時期が多少ちがっていたりするかもだけれども、まあ、話の大筋には関係ないからいいとしよう。

東田中学のサッカー部はなかなか忙しく、平日の放課後は練習、週末は試合、みたいな感じで拘束された。洋楽にどはまりしはじめた私は、家では音楽を聴きまくりギターを頻々といじるようになった。念願だった塾ってのにも行くようになったもので、帰りはゲーセンに寄ったり、夜の巷をうろついたりでかなり遅い時間まで遊び歩かないとならなくなった。いやあ、中学時代も毎日忙しかったんだな。えらいな。そんなわけで、すっかりオカルト離れしちゃった感じでしたね。申し訳ありません……って、誰に対して申し訳ないんだかわからんけれども。
中二でヘッセの『デミアン』を読んでから、またしばらく神秘的なものに取り憑かれた感があったとはいえ、サッカーや音楽や女の子などなどの魅力的なものにも囲まれていたわけで、日々はさっさと流れていった。

中学ではひどい遅刻の連続だとはいえほぼほぼ毎日学校に通っていたものだけれど、高校に入ると毎日行くこともないかなって感覚にかわり、その分の時間を音楽や映画や麻雀なんぞに吸い取られるようになったのでした。いやいや、そういうことは推奨しないよ。というか、今の時代ならNGだろう。煙草も吸うし酒も飲むし、ろくなもんじゃない。なんだけれども、当時の都立高はそんな感じでOKだったんですよ。
家に帰らなくても大事になるわけじゃないんで、友だちんちや喫茶店や呑み屋で夜を過ごし、ってなことが多くなる。特にね、小宮(仮名)のお母さんには大変世話になった。ここで改めて御礼申し上げる。本当にありがとうございました……って、何の話だよ。
高三のクラスは音大・美大受験の人々、あとは授業数を極力少なく申請したたるんだ人間を寄せ集めた結果、とぼけたクラスになった。女子が多くなったのでほんわかした感じもあったけれども、1/3しかいない男子には変わり者が多かったね。
5月の連休明けぐらいだったかな。インドのバグワン・シュリ・ラジニーシのアシュラムから数ヶ月振りに日本に帰ってきたんだって男が登場した。オレンジのインド服を身に纏い、髪も髭も伸びて、インド期のジョン・レノンみたいな雰囲気だったと言えなくもない。神秘思想に傾倒しその手の知識も豊富だっただけでなく、なかなかに優秀なドラマーでもあったので、音楽も一緒にやったね。その彼にあれこれとすすめられて、バグワン、ウスペンスキー、シュタイナー、グルジェフなんぞをぐいぐい読みあさり、流れでアレスター・クロウリーやクリシュナムルティ、ついでに、ユングやフロイトを再読、みたいな。
情報としては神秘思想界隈のものにそんな具合に触れてきた十代でやんした。ざっくり括りすぎ?

で、さて、体験としてってことを考えるとどうかというと、まず思い出されるのが、小学校のときのソフトボール。守備の時に、ああ、ここにボールが飛んでくるんだなってそこにグローブを出しているとすぽっとボールが入ってくるということが、ある日、二度あった。ほんのごくわずかな時間差なんだけれど、ボールがバットに当たる前にもう飛んでくるのがわかっていてそこに手を出している、みたいな。ちなみに、私は手でボールを扱うスポーツはそんなに得意じゃないんで、取れなかったとしてもおかしくないぐらいのライナーだったんだけど、すぽっとボールの方から飛び込んできたような感じ。これね、実際のところ、打ったのを見て身体が反応したんじゃないのかなってふりかえってみても、いや、やっぱり打つより先にここに来るってわかってたよな、という自分の中での結論となっております。その日の、しかも、二度だけ。その前にもそのあとにもない。何というか、ショートスパンの予知とでもいうのか。あれは不思議だった。

その次に不思議な感覚にとらえられたのは、中学一年の終わり頃だったか、ピアノを弾いていたときのこと。覚えてる人もいるんじゃないかな、シンコー・ミュージックのビートルズのアルバム単位になっているでかくて白いピアノ譜のシリーズ。ホワイトアルバムは白地にピンクだったかな。それをにらみながらぱらぱら練習していたんですよ。「While My Guitar Gently Weeps」にトライしていたら、右手が勝手にいろいろなメロディーを弾きはじめたんですよ。左手はコードのルートを押さえて。自分の手なので弾こうと思って弾いているわけなんだけれども、よく言われる何かが降りてきたような、というか何というのか。意識はちょっと別なところにあるのに、音が勝手にどんどん湧いてくるというのか。かれこれ20分ほどもそんな状態が続いたんじゃないかな。あれも不思議な体験でありました。
その日から、ギターでもピアノでもアドリブができるようになったんですよ。上手い下手ってことで言えば下手っぴぃではありますが、とにもかくにも、バックグラウンドに合わせて勝手に弾けるようになった。

おいおい、だらだら書いてたらまた長くなりすぎたじゃん。ここで一旦ストップしよう。中途半端ですまん。が、まあ、それが私のライフスタイルと言えなくもない。ふむ。

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