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第137回MMS(2016/09/16対談)「1996年からネット活用したり自社製品開発にも積極的に挑戦する、川崎の町工場」前編 佐々木工機株式会社 代表取締役 佐々木政仁さん

本記事は2016年に対談したものです。情報はその当時のものですので、ご了承ください。

●enmonoとの出会い

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enmono三木 はい、皆さんこんにちは。株式会社enmono三木でございます。マイクロモノづくりストリーミング第137回をお送りしたいと思います。本日は川崎の高津区にあります佐々木工機株式会社にお邪魔しまして、佐々木社長に色々お話を伺いたいと思います。
三木 基本的に省力化機器の開発をされているんですけども、最近は自社商品の開発も様々にされているということで非常にマイクロモノづくり的な、自社で開発して自社で販売をするという動きをされております。今日はどうもありがとうございます。

佐々木 ありがとうございます。

三木 あと、いつもの声の出演で――。

enmono宇都宮 宇都宮です。よろしくお願いします。

三木 初めて訪問させていただいたのは2週間くらい前でしたね。

宇都宮 元々は川崎のワンデイコンサルで。

佐々木 そうですね。

三木 2年くらい前にワンデイコンサルというのでクラウドファンディングに関してちょっとお話をさせていただきまして、その時は御社がやっていることを私はあまり理解していなかったんですけど、2週間前くらいに訪問した時に色々自社商品も開発しているということで非常にお話が面白かったので、今回の取材ということになりました。

佐々木 はい、ありがとうございます。

●佐々木工機の成り立ち

三木 簡単に御社の自己紹介をしていただいてもよろしいでしょうか?

佐々木 こんにちは。佐々木工機のの佐々木と申します。今日はよろしくお願いします。弊社は業歴は結構50年くらい、私の父の代からなのでもう50年以上なんですけど。

宇都宮 この街でずっとですか?

佐々木 元々世田谷ですね。世田谷区世田谷というあたりでウチの父が秋田から上京してきて始めたんですけど。こっちへ来て45年くらいになるのかな。
佐々木 元々は部品加工がメインで、ウチの父が旋盤加工から始めて、それからフライスとか溶接という風にやり出してきまして、結構色々お客様に求められることがありまして、最近では装置とか色んな自動化/省力化の装置、あるいは大学の先生とかの研究に使うような研究装置とか道具とかを作らせていただいて……。
佐々木 基本は部品加工をやりながら、装置までできるみたいな。そういう中で自社製品も少しずつということで増やしていきたいなと思っています。

宇都宮 装置っていうと部品だけでは装置にはならないじゃないですか。風圧とか電気制御とか組立とか、そういうのもある程度されるようになったということですか?

佐々木 そういうのは全部やるとなると、ソフトとか色んなものが絡んできますので、その辺は仲間がいるのでそういうところで協力いただいて組み上げるという形で。そういうことをやり出してからもう結構年数が経つので、そういうのが自然とできてしまって、「これ、できそうだから請けますよ」というと

宇都宮 何人か頭に浮かんで「仕事来たから」みたいな感じで。

佐々木 はい。お願いして、協力していただいて。

宇都宮 結構無理を言い合える仲間という感じなんですか?

佐々木 そうですね。

宇都宮 メカ屋さんと電気屋さんって結構お互いがわからないじゃないですか。

佐々木 そこはなんというか、精通しているというか、そういう人たちと一緒にやっているというか。例えばいろんな設計といっても、ある人はブルドーザーの設計はできても、そのほかはできないとか、色々専門があると思うんですけど、そういう色んな分野に精通しているすごい仲間がいるので。

宇都宮 すごいですね、それ。

●ものづくり共和国というネットワーク

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三木 実はすごいネットワークなんですよね。モノづくりをしたい人にとっては羨ましいというか。

佐々木 加工に関しても、ウチでは切削加工が中心なんですけど、そのほかにも色々な加工ができるような仲間ももちろんいますし。

宇都宮 それはだいたいこの近くですか?

佐々木 全部というわけではないんですけど、この下野毛という町に下野毛協同組合という組合があるんですけど、ちっちゃい会社ばかりが集まって。一番多い時は140社くらいあったんですけど、今はリーマンショックあたりから減りつつあって80社くらいになっちゃってるんですけど。

三木 半分くらい。

佐々木 ただ、そういう会社の中というのはやっぱり2代目、3代目という会社が多くて、数は減ったんですけど残っている会社はみんな元気があるというか。

三木 ああ、いいですね。

佐々木 がんばっている人たちが多いので。

三木 そういう人たちが繋がって、ものづくり共和国というモノづくりのネットワークを作られたんですよね。

佐々木 そうですね。

三木 それを作られたのはどれくらい前ですか?

佐々木 もう20年くらい前ですけど(笑)。

三木 実は前に私がいたNCネットワークという会社でも非常に有名でして、多分何度か、前に私がいた会社にもご来社いただいてコミュニケーションとられたと思うんですけど。

佐々木 20年というと、始めたのが1996年の12月……何日だったかな、一応建国記念日なんです。共和国なので。その日を建国記念日として、その日からなのでもう少しで20年ですね。

三木 96年というと私が前にいた会社よりも古いですね。2年くらい。その頃ってインターネットってまだ出はじめたくらいというか、94年くらいが日本で出はじめた頃の。

佐々木 インターネットじゃなくて、NIFTY-Serveとかのパソコン通信みたいな、ああいうのが出はじめた頃で、あの頃すごく流行ってた言葉がマルチメディアとかいう言葉がすごく流行っていて。

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宇都宮 佐々木さんはコンピュータには関心がおありだったんですか?

佐々木 私はそんな得意ではなかったんですけど、メンバーに……。

宇都宮 身近にいたんですね。

佐々木 はい。得意なメンバーがいまして、ホームページを起ちあげたのが1996年の建国記念日。

宇都宮 早いですね。

佐々木 それがなぜか嗅ぎつけてきた新聞記者さんがいて、我々は特になにやってるというわけではないんですけど、一応製造業の2代目たちがネットを使ってなにかやろうとしているよというような記事にしてくれたんですね。それを結構全国紙とかに取りあげていただいて、京都とか色々なところから若者の団体とかがありまして。

三木 京都には試作ネットワークという……。

佐々木 そうですね。試作ネットさんとその下部団体というか――下部団体って言ったら怒られちゃうかな――仲間の団体で機青連(きせいれん)さんという

三木 ああ、ありますね。

佐々木 京都機械金属中小企業青年連絡会です。

三木 コマ大戦にも出ていますね。

佐々木 そうですね。当時、新聞に載って機青連(きせいれん)さん以外にも長野とか東大阪の……。

三木 長野にもありますよね。大橋さんがやってらっしゃる。

佐々木 あ、大橋さんです。よくご存じで。

三木 私は95年の時にSFCという大学院にいて、インターネットでモノを購買するという研究をしていたんですよ。Fパンという大企業の購買担当者のメーリングリストみたいなのがあって、そこに大橋さんもいらっしゃって色々と情報を交換させていただいて。

佐々木 インダストリーネットワーク!

三木 あ、そうですね。

佐々木 インダストリーネットワークですね。大橋さんね。それで、その関係でNCネットワークの内原さんとかも「なにか一緒にできませんか?」と連絡いただいたりして。

三木 その時ってモノづくりとインターネットっていったら本当に日本に3~4件しかなくて、その中でも一番古い団体の一つですよね。

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宇都宮 30歳頃ですかね。

佐々木 30ちょい過ぎくらいですね。一応、建国って言ったのが96年なんですけど、その数年前から下地っていうか、メンバーが知り合って、どうやってそうなっていったかっていう下地があるわけですよ。
佐々木 元々、川崎の商工会議所の若手後継者研修会っていうのがありまして、そこへたまたま参加したんですね。その時に下野毛からも2代目の若手が参加して。その頃っていうのは我々も朝から晩まで工場にカンヅメ状態で。
佐々木 私その当時工場の上に住んでいたので、朝起きて階段降りてきて仕事して、途中お昼ごはんを食べて、仕事終わって、上がってごはん食べてお風呂入って寝てっていう、もうカンヅメ状態で上と下しか行かないみたいな(笑)。
佐々木 そんな感じでやってて、我々の父というか社長連中はそういう工業会だとか言って出ていくので、近所の皆さんよく知ってるんですけど、2代目の人たちって全然そういう交流がなくて。で、そういう後継者研修会というのがありまして、そこへ行ったら結構2代目の人が出てきて、そこで初めて知り合ったんです。
佐々木 そういう研修会が毎年あったので、毎年参加していくとまた同じ顔があって、そこでせっかく知り合ったんだから、なんかみんなでやりたいねっていう話になって、それがそういう形になったんです。

三木 この「ものづくり共和国」という名前をつけた方はどなたなんですか?

佐々木 当時神奈川県の職員の方で増田さんという方がいまして、たまたまマルチメディアっていう言葉が流行っていた頃だったので、川崎市の市役所の方が「じゃあ、パソコンの勉強会やりましょう」って開いてくれたんです、というか我々がお願いしてやってくれたんですね。
佐々木 その時に市の若手の方たちとか県の方たちとかが、たまたま来ていただいて、みんなでどんなことできるかね~みたいな会合をしていただいて、その時に県の増田さんという方が「君たち名前なんていうんだ?」と言って、その時に名前はあったんですよ。それが蒼龍会っていうちょっと怖い感じの。
佐々木 それはメンバーにいた女性の発案だったんですが、そういうのでどう? という状態だった中で、増田さんが「君たちの名前どうなってるの?」「ものづくり共和国とか、なんかそういう面白い名前がいいんじゃない?」という形でポロッと言われたんです。

三木 いいですよね。語感がすごく柔らかい感じで。

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佐々木 その時はみんなただ聞き流してたんですけど、それから数日後みんなで会った時に「そういえばあの人いいこと言ったよね」という話になって「じゃあ、いただいちゃおう」と増田さんからいただいて。
佐々木 今は県もお辞めになって、その後大学の先生になられて、大学の先生もお辞めになって、今はまた違った活動をされてるんですよね。

三木 素晴らしい名付け親ですね。

●ものづくり共和国がやってきたこと

三木 当時共和国はどういう活動をされていたんですか?

佐々木 まず最初の活動っていうのは、ただ集まるだけでなにもしていなかったのに新聞に載せていただいたので、それへの対応がまず最初の活動になって(笑)。

宇都宮 メディア対応。

佐々木 メディア対応が最初の活動になってしまって、

宇都宮 どういうことを目的にしているのかと質問されるじゃないですか。それに対してはどう答えていたんですか?

佐々木 それで「なんかやらなきゃなぁ」と。結局みんな後付けでみたいな感じなんですけど商品開発やろうということで商品開発委員会を作ったりとかして、一応ちゃんと商品開発をやって。例えば病院から「こんなのできないか?」とパーティション製作の依頼がありました。
佐々木 病院って外部に検診に行くじゃないですか。役所とか小学校の体育館とかにテンポラリーな間仕切りで診察室を作りたい。そういう間仕切りを作ってくれないかという話がありまして、それをやったり。
佐々木 色々な方が来られて「特許持ってるんですけど、これってできないですか?」というよくいる発明おじさん。でも、お金はないみたいな。

三木 それは開発費はどうしていたんですか? みんな出していただくパターンですか?

佐々木 当時ウチは皆から会費で1社月々5千円ずつで、10社くらいいたので1ヶ月でだいたい5万円ずつ会費が集まっていって、それをプールしていったんです。

三木 その中からよさそうと思われるものに対して、みんなで集めたお金を……。

佐々木 そうですね。会社によってはお金もちゃんと払ってくれるというところもありました。そういう風に商品開発をしたり、皆で展示会に出たりとか。あとは本当に多様で色んなところからお声がかかって。

三木 その当時めずらしいですもんね。

佐々木 京都とかに呼ばれまして。

三木 試作の……?

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佐々木 機青連(きせいれん)さんの創立20周年式典に呼ばれて、そちらでパネルディスカッションをして私が出たんですけど、NCネットワークの安井さんもパネラーで、安井さんとそこで(笑)。

三木 安井さん見てますか~?

佐々木 あとは東大阪のグループ、難波企業団地さんとか。コーディネーターをやられたのは、今はもう有名になっちゃった「世界一受けたい授業」に出ている中村智彦先生。

三木 その頃からのお付き合いなんですね。

佐々木 そうです。

三木 その頃の人たちってNCネットワークもすごく成長したし、京都試作ネットワークも非常に活況というか大きな団体になっていますし。その頃はモノづくりとインターネットが本当に勃興期だったんですよね。
三木 それぞれ色んなことを模索してみんなでやっていたというのが。私もその端くれで研究者としていたんですけど。非常に懐かしいです。
三木 そういう中で作品というか、自社商品というのを色々やっていく中で、自分で企画をして自分で開発して自分で売っていくみたいな意識が、メンバーの中にも芽生えてきたんでしょうか?

佐々木 我々は図面をいただいて、それを元に加工して、その通りにやって当たり前みたいな中で、どこかで面白みを見つけたいなという部分もあったりとかして。
佐々木 やっぱり自社製品を持つというのが夢や目標があったと思うんですよね。

三木 開発する商品に対するニーズはどうやって探していったんですか?

佐々木 僕もものづくり共和国を通してすごく色んなことを学ばせていただいたんですけど、商品開発をする時の一番大事なところがそこにあるかなと思っていて。
佐々木 なにを作るかというのは、どれだけニーズがあるかは、実際に作って売れるのかというところに繋がってくると思うんですけど、そこが一番難しいところで。
佐々木 結局自分がいいと思っても、それが独りよがりになっちゃって売れないという形になってもアレなので、そこは本当に難しくていまだにわからないです。

三木 でも、とりあえず作ってみるみたいな。なんかピンと来たら作ってみる。

佐々木 我々のいいところというか、自分たちで作れちゃうから、アイデアあったら作ってみて、ダメならダメでアレですけど、そこまで作れちゃうんですよね。思い立ったら。

三木 普通はできないですからね。

佐々木 そこはすごく自分たちの仕事って面白いなというところではあるんですよね。

宇都宮 社員さんの中からもアイデアは出ることもあるんですか? 社長だけではなくて。

佐々木 アイデアとか出すのは意外とそういうのって、いい加減なアイデアが多いので、思いつきなんですよね。そこは社員にかかわらず色んな人が言うんですよ。「これ作ったらどう?」とか「近所のおじさんとかが僕のところへ来て「こういうの作ったら売れるよ」とか(笑)。

宇都宮 いい加減ですよね(笑)。

佐々木 そうそう(笑)。結構色々いるんですけど、色んなところから「こんなもの」という情報が集まって、その中からどういう風に選んでいくか。そこが一番難しいと思いますよね。

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⇒後編へ続く

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