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読書感想文 ダンセイニ卿「芸術論」

【note向け序文】
この文章はダンセイニ卿の「芸術論」という本の感想文です。
芸術論は彼の創作論についての著述をまとめた本で、ダンセイニ卿に「芸術論」という著作があるわけではありません。
そういう意味では厳密には、訳者稲垣氏の編集意図を反映した本と言えなくもないでしょう。

この記事を作成するにあたって在庫を確認(2024年6月)したところ、販売元の盛林堂では品切れになってしました。
入手するにはオークションなどを活用するしかなさそうです。

ダンセイニ卿について
いまこの文章をお読みの方でダンセイニ卿をご存知でない方は残念ながらいないでしょう。
皆、元々興味がない事柄に関する記事は、はじめからスルーして読まないものです、私もそうです。
そういうわけでダンセイニアンしか読者はいないでしょうが、万に一つの望みをかけて軽くご紹介します。
ダンセイニ卿は20世紀初頭に活躍した英国系アイルランド人作家です。
卿(ロード)とあるように貴族です。お城で生活してました。
日本では荒俣宏が再発見し、紹介して、初期の創作神話や幻想的な短編小説が特に評価が高いです。

ファンタジーが好きな方へ2つお薦めしておきます。
・「サクノスを除いては破るあたわぬ堅砦」短編
・「エルフランドの王女」長編

私の文章なぞ読まなくて一向に構いませんので卿の作品を未読の方は是非とも一度読んでみてください。
卿についてもっと詳しく知りたい方は弾青娥(だんせいが)さんが書いた下記の記事をどうぞ。前半部分で一通り解説しています。

これからご覧いただく私の文章についても補足説明させてください。
稲垣氏へ「賢女の呪い」という本の注文メールをお送りした際に、芸術論について「衝撃を受けた」と軽く触れたところ、稲垣氏よりどんなところが衝撃だったのか問われました。
それを受けて「これはしっかりお答えせねばなるまい」との思いで書いた文章です。
要するに稲垣氏への個人的なメールとなります。
稲垣氏からは非常に真摯かつ丁寧な返信メールを長文でいただきましたが、ここでは当然取り上げません。
私はいつかどこかで公開しようと思って書きましたが先方はそうではないでしょうから。

前置きが長くなってしまいました。
以下、本文。


※ ※ ※

芸術論の感想は読了時にTwitterへ投稿しました。
2020年の2月のことです。
狭い世界のことゆえ稲垣様の目にも留まったのではないかとは思いますが、良い機会ですので改めて文章にまとめます。

【ダンセイニ卿の芸術論】

Twitterへ投稿した文からはじめる。
「まずダンセイニ卿の創作姿勢への認識を正された。
どうしても卿というと『羽ペン一発書き』のイメージが強く、霊感の赴くままある意味適当に書いていると思っていた。
全くそんなことはなく、本人の考える『作品はこうあるべき』という原則を貫いていたのがわかる」
付け加えると、ダンセイニ卿がその創作の方法論を自分で把握し、わかりやすい言葉で発信していたことに、私は驚いた。
平たく言えば全く期待していなかったところへ想定以上のものをぶつけられたので衝撃度が上がったのだ。

名のある作家でも自分の創作論についてここまで明快に語れる者はそう多くないのではなかろうか。
私は芸術論のあと、試しにスティーブンキングの「書くことについて」という本を読んでみたが、「作家になるにはたくさん書け」ぐらいしか納得できる言葉がなかった。
(もうひとつ、ラヴクラフトがセリフを書くのが下手なのは、彼が文通ばかりでまともに他人と会話したことがないからだ、と指摘していたのは面白かったが)
芸術論は卿の講演記録や雑誌掲載文等の寄せ集めであるにもかかわらず、芸術論全体でその創作への主張には矛盾がない。
少なくともこれらを発表するようになる頃には卿の創作の方法論は確立され、それが揺らぐことはなかったのだろう。

ダンセイニ卿は私が思い込んでいたような霊感のみに頼った作家ではなかった。
これは確かに私にとって衝撃の事実ではあった。
より重要なのは、卿の芸術論が100年後の日本人である私にも通じる内容だったということだ。
私がTwitterへ引用したのは以下の言葉。
「数学者は数式を完成させるために、適当な数字をいくつか加えたりしないものだ」、
「建築物をみて個々の煉瓦の仕上がりを褒める者はいない」、
「優れた芸術は詩と共に多くの読者を獲得していき、作者の生命を超える」、
芸術家の精神を水滴に喩えて「それは無限世界のほんの局所的な部分であるが、大空全体を映し出すのである。 私は芸術家の作品は、彼が世界から手に入れたものへの返礼であると感じてそれを敬うのである」、
いくらでも挙げられる。
卿は時代を超える普遍性についてかなり意識していたように思う。
優れた芸術は作者の生命を超えるという部分しかり、特定の時代にしか通じない言い回しを忌避する部分しかり。
卿が時間に勝利したかどうかは私の与り知るところではないが、少なくとも2022年の日本人が卿の作品を読んでいるということは、卿の主張は正しかったと認めざるを得ないだろう。
また、資本主義社会の都市生活を知っているという点で卿と私たちには共通があり、それが今もって卿の作品が受け入れられる根になっているのではないか。

より私的な話を。
私がダンセイニ卿を知った切っ掛けは創作神話だった。
TRPGで背景世界を創造する必要があって指輪物語を知り、そこから遡ってペガーナの神々まで辿り着いた。
ただ、当時はペガーナの神々は絶版で高騰しており、ちょっと文庫本に何万円も出すのは躊躇われた。
結局ちくま文庫で何作か読み、エルフランドの王女を読み、卿の作品に魅了された。
私の卿への興味は創作から発生しているのだ。
私に限らない。
技術の進化の恩恵を受け、私たちは百年前からは考えられなかったほど容易に、物語の消費側から供給側へ転換できるようになった。
このような時代にあって、百年先の読者へ創作せよと告げる芸術論は、ますます大きな意味を持つのではないかと私は思うのだ。

今まで述べてきたことに加えて芸術論はもうひとつ、より内向きの意義がある。
ダンセイニ卿の作品の読者にとっての意義だ。
卿は芸術論で作品はこうあるべきと自分の原則を宣言している。
これはつまり、卿の作品はこの原則に立って書かれているということでもある。
卿は書くにあたって、アイデアの出し惜しみせず、句読点の位置まで厳密に気を配り、無駄に難解にすることなく素直に、登場人物のやりとりではなくストーリー展開の面白さをより重視し、自分が自然から受け取った世界を読者へそのまま伝えようとしているのだ。
よって読者である私たちもそのように素直に読んで感じればよい。
無論作品は世に発表された時点で作者のものではなく人類全体の財産となり、それをどう読むかは読者に委ねられるのだから、どう解釈しようが勝手、むしろ何通りもの読みに耐えるがゆえの名作とも言えるのだが……。
やはり徒に作品を自分の解釈へ押し込めるような読みは、却って浅い読みに陥ってしまう危険性をはらんでいると私は考える。

※ ※ ※

以上です。
実は4については当時ツイッターのタイムラインで目にしたエルフランドの王女の感想文を念頭においています。
確か、作品で登場する3つの魔法についていろいろ述べたウェブページだったと記憶しています。
当時はエルフランドの王女で検索すると上位に表示されたページだったのですが、この記事を書くにあたってもう一度調べてみても発見できませんでした。
卿の作品をダシに自分のしょぼい知識をご開陳するだけのどうしようもない文章で、4の最後にはそれへの怒りが込められています。

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