地震以前の美しい能登半島の風景
日本海に突き出た半島が、古い歴史を持つ能登。日本海の荒波が生み出した切り立った断崖や奇岩、日本海に面して広がる広大な棚田など、自然と人の暮らしが調和した絶景の数々が今も残れされています。
日本三大朝市で有名な輪島朝市や幻想的な祭り輪島キリコなど、独自の風土・文化も色濃く残り、素朴であたたかい人情も能登の魅力です。
この能登半島が1月1日のマグニチュード7の地震で一変してしまいました。災害に遭われた皆様には1日でも早い日常が訪れることをお祈りします。
総持寺祖院
自然豊かな境内を散策する。歴史香る曹洞宗の大本山「總持寺祖院」。
参道入り口の灯籠は倒れ、石畳はめくれ上がっている。戦国武将前田利家の妻まつを祭る芳春院は全壊し、見る影もない。山門から左右に延びる回廊は正面右手が全て崩れ落ちていた。座禅堂の屋根の瓦もはがれ落ちている。
輪島朝市
輪島の朝市は岐阜県高山市、千葉県勝浦市と並び、日本三大朝市に数えられる日本有数の市場です。残念ながら大規模火災で、周辺にあった約200棟の建物が焼失しました。
見附島
島の形を軍艦に見立て軍艦島、あるいは見月島の別名があり、能登地方のシンボルとなっている。地震で崖の一部が大きく崩れていることが確認されていて、民間の測量会社がドローンを使った独自調査を開始しているようです。
妙成寺
桃山時代の荘厳華麗な建築美を今に伝える前田家ゆかりの妙成寺。地震の被害は、建物に大きな被害はなかった。本堂や五重塔など10棟が重要文化財。堂内の仏像や仏具が多く倒れるなどしたが、人的被害もなかったようです。
白米千枚田
輪島市白米町にある棚田である。数が多いので千枚田と呼ばれるが、現地案内板には枚数1004枚と記載されている。また「狭い田」からの転という説もある。地震被害は、地割れでズタズタになった千枚田が無残な姿になっていて土砂崩れで249号は通行止で孤立しているようです。
能登金剛 巌門
険しい断崖や奇岩・怪石が続く海岸線に、日本海の豪快な波が打ち寄せる能登半島国定公園を代表する景勝地。浸食によってできた巨大な洞門「巌門」は圧巻です。地震による大きな被害はわかりませんでした。
禄剛埼灯台
海から昇る朝日と沈む夕日、その両方を眺めることのできる能登半島の最奥。そこに明治16(1883)年に建てられた白亜の灯台が、今も現役で海の安全を守っている。地震による大きな被害は見られないようです。
能登中島駅
のと鉄道七尾線の駅で、愛称は「演劇ロマン駅」。当駅付近に所在する能登演劇堂に由来する。地震発生時はダイヤの乱れが発生したものの、現在は通常どおり運行されており、駅舎内や線路等の不具合の報告等の発表もない。
千里浜なぎさドライブウェイ
細かく締まった砂浜が波打ち際約8kmにわたって続く天然砂浜のドライブウェイ。クルマやバスも走行可能で、日本海を間近に、潮騒を聞きながら波打ち際のドライブが楽しめます。地震で同町出浜にある海岸への進入道路が崩壊しているようです。
道の駅 すず塩田村
日本で唯一、珠洲の仁江海岸で受け継がれてきた「揚げ浜式」による塩づくりの歴史が学べる塩の総合資料館「揚浜館」と、実際に塩づくりが体験できる体験塩田があります。また、お土産品として塩の他に、珠洲焼や珪藻土コンロ等の珠洲の特産品の販売も行っています。地震の影響で周辺の道路が通行止めとなっています。 交通の復旧までの間、道の駅の営業を休止しているようです。
旧清水小学校遺跡
旧清水小学校で奥能登国際芸術祭が行われました。地震の被害状況は不明。
能登のゴジラ岩
馬緤町の沿岸にある奇形の岩。西の空に向かって今にも炎を吹き出しそうな姿は怪獣ゴジラに似ており、その名も「ゴジラ岩」と呼ばれています。
地震の被害は、斜面崩壊など多数発生しているようです。また道路の通行も多数通行止めがあるようです。
石崎奉燈祭
石崎奉燈祭は、石川県七尾市石崎町で毎年8月第1土曜日に開催されるキリコ祭りで、石崎八幡神社の奉納祭である。前日の金曜日には前夜祭が行なわれる。おそらく今年8月の祭りは中止されるのでは。
一日でも早い日常が訪れることをお祈りします。
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