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美しい日本の風景

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美しい日本の風景写真集
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2021年3月の記事一覧

サツキの盆栽展

躑躅(ツツジ)の仲間で園芸品種が2000種以上あり、様々な花芸を楽しむことができるため花物盆栽の王様と呼ばれています。初夏の庭をあでやかに染め上げるサツキは、庶民の華として昔から親しまれてきた伝統花木。 ■美しい日本の風景

高遠城址公園の桜

「天下第一の桜」といわれる、樹齢140年を超える大木から若木まで、約1500本のタカトオコヒガンザクラが植えられている。この桜は完全に開花してもソメイヨシノのように白くならず、可憐なピンク色を保っている。 ■絵島囲み屋敷 高遠町歴史博物館にある展示のひとつ。江戸城大奥女中頭の絵島が高遠に流刑されてから余生を過ごしたと言われる、囲み屋敷を復元している。 ■高遠城址公園から見る中央アルプスの山々 ■天守 ■記念碑 ■美しい日本の風景

国指定天然記念物「臥龍桜」

幹の形が龍の臥した姿に似ているところから名付けられた国指定天然記念物「臥龍桜(がりゅうざくら)」。樹齢1,100年を超える大樹の枝ぶりは、まさに龍が天に向かって躍動しているかのようです。 無数の淡いピンク色の桜花が咲き乱れ、視野一面に壮厳な美が広がります。 ■飛騨一ノ宮駅 臥龍桜はJR高山線飛騨一ノ宮駅のすぐ隣、駅から徒歩で3分ほどです。 ■美しい日本の風景

世界遺産の「姫路城」

姫路城は日本を代表する城で、国宝や世界遺産に選ばれています。現存12天守のひとつで、もっとも大きい現存天守です。黒田官兵衛が毛利攻めの拠点にするようにと羽柴秀吉に献上した城としても知られています。現在の天守は江戸時代に入ってから「西国将軍」と称された池田輝政によって建て直されたものです。 ■美しい日本の風景

小笠原諸島の島々

小笠原諸島は、東京都特別区の南南東約1,000キロメートルの太平洋上にある30余の島々からなる。小笠原諸島は別名をボニン諸島 という。2011年に世界遺産に登録されてからも、雄大な自然が残る島々の魅力は変わらず多くの人を惹きつけています。気候は亜熱帯に属し、一年を通して寒暖の差は少なく温暖です。晴れていれば1月でも半袖で問題ないほど。 ①父島小笠原諸島は、大陸と一度も陸続きになったことがないため、海流、風、鳥などによって運ばれてきた動植物は独自の進化を遂げました。原生状態を

伊豆諸島の島々

伊豆諸島は、太平洋に連なる東京都の島嶼部です。有人島も存在し、南方の島は常春と呼ばれる気候条件下にある。各島は異なる特色を持ち、それぞれ島寿司、明日葉、イルカ、釣り、サーフィン、温泉、登山、天体観測などで有名です。 ■孀婦岩 孀婦岩は、あの到達困難な島「青ヶ島」よりも南にある「岩」です。標高99m、東西84m、南北56m。周囲に水平線しかない太平洋の中から突然垂直の岩が突き出たような姿をしているのです。なお一番近い島である鳥島から約80kmも離れています。 ■伊豆鳥島 八

世界遺産の「東寺」

東寺は、正式名称を教王護国寺と言い、国家鎮護の密教寺院という意味があります。お大師様の寺として信仰を集めた寺院は、現代においてもその姿を残し、1994年の12月には世界遺産にも登録されました。 ■五重塔 高さ55mの五重塔は、日本における木造古塔の中で最高の高さを誇っています。仏陀の遺骨を納める塔・ストゥーバを起源とした党の内部には、空海が唐から持ち帰った仏舎利が安置されているそうです。細部の組ものまで純和様式を守り、国宝にもなっている五重塔は、江戸時代前期の秀作と言われて

世界遺産「元離宮二条城」

京都の二条城といえば、歴史の教科書でもおなじみの観光名所です。また世界遺産に登録されたことで、海外からも大勢の観光客が毎年訪れます。徳川将軍家ゆかりの城にふさわしく、城内には国宝や重要文化財クラスの建造物あるいは絵画などが数多く残り、見ごたえも抜群です。 ■東大手門 二条城の正門にあたり、現存の門は1662年頃の建築と考えられています。 ■唐門 二の丸御殿の正門にあたり、切妻造、桧皮葺の四脚門でその屋根の前後に唐破風が付きます。 ■二の丸御殿 東南から北西にかけて、遠侍

江戸城「皇居」

徳川家の居城として広く認知されており、徳川幕府の政治的拠点にもなっていた江戸城。別名・千代田城とも呼ばれています。大都市江戸と徳川将軍家の権力を象徴する唯一無二の建造物でしたが、築城後の度重なる火災によって、天守閣をはじめとする多くの建造物が焼失してしまいました。 ■皇居 皇居正門から長和殿へ向かう途上、二重橋濠に架かる鉄橋のことで、本来の名称は正門鉄橋である。ただし正門鉄橋と正門石橋の二つの総称としても用いられている。 ■皇居外苑 皇居外苑地区は、黒松の点在する大芝生広場

国宝の「犬山城」

犬山城は織田信長の叔父である織田信康が、この地にあった砦を改修して築いた城です。現存12天守のひとつであり、さらに国宝5城のひとつでもあります。木曽川を押さえる、軍事上・経済上・交通上の重要拠点とされてきました。天守は全国の現存するもののなかでもっとも古いという説があります。 ■犬山橋からの天守 ■犬山城入り口 ■天守 ■天守閣からの展望 ■犬山城 城下街 犬山城下町は犬山城の創建に伴い、もともとあった町を整備して作られました。商人や職人の同業者を近くに住まわせて、

金のしゃちほこ「名古屋城」

慶長14年(1609)、徳川家康が天下統一の最後の布石として建てたのがこの名古屋城で、以来徳川御三家のひとつに数えられる尾張徳川家の居城とされてきた歴史を持っています。 ■正門 名古屋城の正門・旧榎多門です。本来の榎多門は明治24年の濃尾地震で大破したので、明治44年に旧江戸城の蓮池門が移築されて、その時に石垣も積み直されて現在の姿になったそうです。 ■名古屋城 西南隅櫓 未申隅櫓と呼ばれ、本丸の隅櫓は天守と同時期の慶長17年頃の完成とみられている。外観2重、内部3階建、

重要文化財の「高知城」

日本の現存12天守のひとつで、土佐藩初代藩主山内一豊によって着工され、2代忠義の時代に完成しました。4層6階の天守は、一豊の前任地である掛川城の天守を模したといわれています。ちなみに本丸内の本丸御殿がすべて残っているのは高知城だけです。 ■天守閣 現在残る天守は、一豊時代のものではない。享保12年城下の大火によって天守ほか多くの建築物が焼失。その2年後から普請を開始し、寛延元年、ほぼ同じ工法で再建されたものだ。高知城は、天守、書院、櫓、門など、完全に揃った形で現存しており、

禅寺の「奥山方広寺」

奥山方広寺は、臨済宗方広寺派の大本山で、東海地方を代表する禅寺としても有名です。別称、奥山半僧坊。1371年に後醍醐天皇の皇子である無文元選禅師によって開創された禅寺で、60ヘクタールの敷地内に大本堂、半僧坊真殿、開山堂、三重塔など多数の建物を擁しています。そのうち、22の建物は国の登録有形文化財に登録されています。 ■若い女性も禅で多数訪れます ■方広寺の建物 幾度となく火災にあって伽藍は消失しましたが、1881年の大火の後、復興を遂げ、現在、大本堂、半僧坊真殿、開山堂

名古屋市農業センターの「しだれ梅」

満開のしだれ梅が壮観な名古屋市農業センターは、2月下旬ごろから見ごろを迎えます。梅の中でも「しだれ梅」は大ぶりの枝にたっぷりの花を咲かせ、それは見事です。12品種約700本のしだれ梅が咲き乱れる。 ■美しい日本の風景