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道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊹この世界どこを切りとっても自家の坐牀である。

道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊹この世界どこを切りとっても自家の坐牀である。

本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。

今回は『普勧坐禅儀』本文の、

何ぞ自家(じけ)の坐牀(ざしょう)を抛卻(ほうきゃく)して、謾(みだ)りに他国の塵境に去来せん。若し一歩を錯(あやま)らば、当面に蹉過(しゃか)す。

という部分を解説していきます。


本記事のポイント
・「自家(じけ)の坐牀(ざしょう)」というのは「単布団の上」のことを指す。
・色々な所をさまよい歩く我々にお釈迦様は救いの手を差し伸べてくれている。
・「心」は常に不安定である。その「心」で幸せを探し歩いてもいつまでも見つからない。
・本来みな救いの中にいるのに、その一歩目を誤れば当分の間間違えてしまうだろう。
・この世界のどこを切りとっても「自家(じけ)の坐牀(ざしょう)」である。

是非以下のリンクより本記事へとお越しください。

道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㊹この世界どこを切りとっても自家の坐牀である。

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