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料理に必要なのは調理だけじゃない!すべてを共有してみんなで食を楽しめるように

こんにちは。JA全農広報部 note編集部員Dです。

このnoteに以前、編集部員Fが「料理は大仕事」という記事を投稿しました。大仕事だからこそ、誰か一人に料理を任せきりにせず、できるだけ多くの人間が料理を担えるようにすることが大切なのではないか――。コロナ禍を機に、そんな思いを強くしています。

コロナ禍契機に夕飯づくり

コロナ禍で在宅勤務をするようになった方も多いかと思います。私もそのうちの一人です。通勤に割かれていた時間を、家庭に向けることができるようになり、妻に任せきりだった夕食づくりを自ら担う機会が増えました。「今日はどんなメニューを作ろうか」。最初はそんな風に料理を楽しんでいる自分がいましたが、夕飯づくりが日常になってきてから、違う思いを抱くようになりました。

料理は調理だけじゃ成り立たない

当然なのでしょうが、「料理は調理だけではない」ということです。メニューを考え、それを作り、盛り付け、はい食べましょう、では終わらない。例えば、食べる前には、子どもの箸やスプーンを並べて、コップに牛乳を注ぐ。食べ終われば食器を下げて洗う、水切りカゴに入れた食器を布巾で拭く、それを食器棚の定位置に戻す、排水口の生ごみをためるネットを取り替える、空になった牛乳パックがあればすすいで切り開いて乾かす、飲み終えたペットボトルもすすいでラベルを剥がしてゴミ箱へ、等々・・・。本当に数多くの作業を含めて、料理というものが成り立っています。

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直面する疑問に逃げる自分

こうした多くの作業があるとどうなるか。「あれ、このお皿、どこにしまえばいいんだろう」、「生ごみのネットの替えはどこ?」「使用済みのアルミホイル、燃えないゴミだけどプラスチックゴミの中に捨てちゃダメだよなぁ…」などなど、様々な「わからないもの」に直面します。「わからないもの」は、往々にして逃げたくなり「妻に任せればいいか」となってしまう…。そういった自分の行動は「料理をしている」と胸を張って言えるのだろうか、という思いが膨らみました。

料理を共有し、分かち合い、楽しむ

わからないことは、覚えるしかない。そう心に決めて、なんとなくやりすごしてきた「わからない」を打ち明け、一つ一つ教えてもらい、徐々に自分一人で完結できることが増えてきました(それでも、すべての答えを把握しているわけではないのですが…)。こうして共有することで、料理という大仕事を、初めて本当に分かち合うことになるのではないか。料理を分かち合える人間の数が増えれば、その分、各々の負担が減り、大切な料理を、食を、より楽しめるようになるのではないか。

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「今さら」と言われるような至極当たり前のことなのかもしれませんが、コロナ禍を機に気づいたことを、書いてみました。

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