ACミランが楽しかったあの頃 ファンタジーに溢れた時代だった

 私が観ていたACミランといえばアンチェロッティ時代。サビチェヴィッチ、ボバン、ルイコスタ、セードルフ。
 まだ今の様に運動量を求められていない時代。サッカーとは相手ありきで間合いの取り方、一瞬の隙を探すスポーツだった。ストリート上がりの〝絶対にボール取られないマン”達はどんなプレスも無効化させた。創造と創造のぶつかり合い、ファンタジスタ達の華麗なフェイントを歴戦のカテナチオ達は経験でそれを上回る。ファンタジスタが10回ボールを触る中、一度の輝きでゴールが生まれる。それは突然ですべての人の創造を上回るファンタジーアだった。

 サッカー選手を見る時。その人のファンタジーレベルはあまり語られていない。

 守る時、ディフェンダーは理論的な想定やこれまでの経験からプレーの先を読んで守ろうとする。ゴールが生まれるのは想定外の出来事、誰も創造できていなかった状況が発生した時に生まれる。
 ファンタジーレベルの高い選手はパスやトラップで創造性を見せてくれる。’魔法の粉のかけられたボールはゴールネットへと吸い込まれてゆく。

私はそんなプレイを観るのが大好きだった。

 昨今の守備重視の運動量が基本のサッカーの中で魔法の粉はかけにくくなったように見える。
 
 これからは最終ラインの選手が魔法の粉をかける時代がやってくるだろう。そういう選手を作り出さないといけない。ロナルド・クーマン、フランク・デ・ブール、ミハイロビッチ、クリスティアン・キヴのような選手達だ。

 スポーツは進化していくがサッカーにあるファンタジーが消える事はなさそうだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?