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【小説】ブルーム・フェザー #7(終)

#6

 多分、心のどこかで期待してたんだと思う。
 チコは本当にお母さんがわたしへ贈ったもので。
 つまりお母さんは、わたしの事を想っていたんじゃないか、って。

(でもチコは、違う)

 緑川アテナは言っていた。
 チコは、起動実験中に飛んで行ってしまったのだと。
 事故みたいなものだ。もしくは迷子か。少なくとも、贈られてきたものではない。
 じゃあ、返すべきだ。本当なら、そうすべきだ。
 でも、と思う。そうなったらきっと、わたしはブルームフェザーに触れられなくなる。
 チコを失って、次の子を迎え入れるなんてこと、わたしには出来ないだろうから。
 そうなったら、『止まり木』のみんなとはお別れかな。ブルームフェザーも持ってないのに、フェザー部にいられないし。
 イヤだな、と感じてしまう。せっかくお母さんの作ったものの良さが分かってきた所なのに。せっかく、ブルームフェザーが楽しくなってきた所なのに。
 でも、返すべきだ。……本当なら、そうすべきだ。
(ああ、ダメだ)
 答えが出せない。帰ってきてから、部屋でずっと考え込んでいたけれど、わたしの心はどちらにも定まってはくれなかった。
 そうこうしている内に、時計はもう二十二時を回ろうとしている。
「チコ、今日はもうおやすみ」
『ピィ……』
 わたしはチコを、鳥かごへ入れた。
 チコが大人しく止まり木に足を掛けると、爪のLEDが薄い緑に光る。
 鳥かごは充電器の役割も果たしている。わたしは光を確認すると、鳥かごに布をかけた。
(わたしも寝る時間だけど……)
 今日はなんだか、眠くない。
 ずっと胸がざわついていて、落ち着かないんだ。
 どうしようかな、と迷っていると、こんこんと部屋のドアがノックされた。

「ツバサ、まだ起きてるのか?」
「……うん。ちょっと寝れなくて」
「そうか。じゃあ下、来るか? 飲み物入れるぞ」
「どうしよ。……じゃあ、もらう」

 お父さんに誘われて、わたしはちょっと考えてから頷いた。
 一人で部屋にいても、多分寝れないし。
 階段を下りて、店の方へ入る。お父さんに促されて、わたしはスイングドアを抜けて、カウンターの椅子に腰かけた。
「なに入れてくれるの?」
「コーヒー。アイスとホット、どっちがいい?」
「こんな時間にコーヒー? 余計寝れなくなりそうだけど」
「大丈夫。どっちにする?」
 不思議に思いながらも、わたしは「ホット」と答えた。
 すると、いつもならすぐにコーヒー豆を挽くお父さんが、棚から何かの粉を取り出す。
「今日、ずっと考え込んでたな」
「ああ、うん。……ブルームフェザーの事でちょっと」
 用意をしながら、お父さんがぽつぽつと訊ねてきた。
 隠す必要もないかと思って、わたしは今日起こったことを伝える。
「お父さん、緑川アテナって子知ってる? お母さんと一緒に働いてたらしいんだけど」
「ああ、ツバサの一個下の女の子だろ。聞いたことあるよ」
「その子が今日、フェザー部に来てね……」
 チコが本当は『ネスト』が開発途中の試作品であること。
 わたしへ贈られたものではなく、ただ逃げ出してしまっただけらしいこと。
 だから、チコを返さなくてはならないこと。
 すべて話すと、お父さんはややあってから「変だな」と口にする。
「カードの事は? あれ、お母さんの字だったろ」
「話したけど、お母さんが伝えてたわけじゃないみたいだし」
 チコがカードを持っていた理由は、よくわからない。
 けど、どうであれチコが『ネスト』のものである事実に変わりはないんだ。
 わたしはチコの持ち主じゃなかったし、返すのが正しい選択なのだとは、思う。
「お母さんも、きっとそれを望んでる。緑川さんが言ってたんだ」
 チコを返さないと、新型ブルームフェザーの開発が上手く進まない。
 自分の造ったブルームフェザーが中途半端なまま止まっているのは、お母さんもイヤだと思うはずだ、って。
「ああ、フウカなら思うだろうな。妥協出来ないタイプだったし」
「……やっぱ、そうなんだ」
 わたしには、その気持ちが分からなかった。
 お父さんにも、一緒に働いてた緑川アテナにも分かったことなのに。
 わたしだけが、お母さんの事を理解出来ていない。
「でもなぁ。お父さんも、チコはお母さんがツバサに贈ったものだと思ってた」
「カードがあったからでしょ?」
「それもなんだけど……よし、コーヒーお待たせ」
 お父さんは途中で言葉を切って、わたしの前に暖かなコーヒーを差し出した。
 黒々とした液体にミルクを注ごうとして……ふっと、気付く。
「これ、なんかいつもと違うね?」
「寝る前だからな。いつもの豆じゃなくて、ノンカフェインの方が良いだろ」
「ノンカフェインのコーヒーなんてあるんだ?」
「あれ、やっぱ覚えてなかったか。それ、チコリコーヒーって言うんだ」
「……チコ、リ?」
「野菜の一種でな。たまにスーパーにも売ってるんだけど……その根っこを炒って粉にすると、コーヒーの代わりにになるんだ」
 まぁ香りも味もちょっと違うけど、とお父さんは付け足す。
「ツバサが五才くらいの頃かな。お母さんがコーヒー飲んでるのを羨ましがって、自分も自分もって言ったんだけど……ほら、小さい子にカフェインはなぁ」
 だから、代わりになるものをと見つけてきたのが、このチコリコーヒーなんだという。
「といっても、ツバサはあんま好きじゃなかったみたいで、全然飲まなかったけど」
「あはは……」
 わがままを言った上に、飲まなかったんだ。
 全然覚えてないけど、なんか申し訳ないなぁ。
「むしろツバサは、チコリの花の方に興味持ってたな」
「チコリって花も咲くの?」
「そりゃ植物だから。お母さんが図鑑で見せてやったら、『可愛い、これ好き』って」
 そうか、覚えてないかぁ……と、お父さんは残念そうにつぶやく。
 五才の頃の事なんだから、覚えてなくて当然だと思うけど。
「でも、気になるな。チコリの花ってどんな感じなの?」
 わたしが質問すると、お父さんはふっと微笑んで、答える。

「青い花だよ。チコの翼と同じ」

「……あ……」
 不意に、理解した。
 ブルームフェザー。その意味は、直訳すると『花の翼』。
 これまでに出会ったフェザーたちも、花の咲く植物の名前が付けられていた。
 じゃあ、チコは? チコの名前の意味は?
「チコリ、なの?」
 わたしが『好きだ』と言った、その花の名前を。
 お母さんが選んで、付けたんだ。
「ツバサの好きな花の名前で、カードもあったろ。だからお父さんも、あれがお母さんからツバサへ贈られたものだって、疑わなかった」
 確認くらいしとくべきだったな、とお父さんは苦笑する。
「早めに分かってれば、こうならなかった。ごめんな」
「……うぅん。いいよ。お父さんのせいじゃないから」
 わたしは首を振る。じわ、と目に涙がにじんだ。

 チコが『ネスト』のフェザーだってことは、変わらない。
 開発途中の機体で、返した方が良いものだってことも、変わらない。
 でも、少なくとも。チコを生み出す時、お母さんはわたしの事を考えてくれていた。

(……五才の時の事なんて、覚えてないよ……!)
 わたしはずっと寂しかった。
 お母さんが帰ってこなくて、愛されてないんじゃないかと不安になって。
 昔言った『好き』よりも、今好きなものを知っていてほしかった。
 なのに。それでも。わたしは、どうしても。
 嬉しかった。お母さんがわたしを好きでいてくれたんだと、ようやく納得できたから。

 わたしはしばらくの間、声を上げて泣いた。
 お父さんはその間、何も言わずにただわたしを見守ってくれていて。
 ようやく落ち着いた頃に、少し冷えたコーヒーを口にする。

「……いつものコーヒーの方が、良いな」
「やっぱりか。……淹れようか?」
「ううん、いい。もう寝れそうだし」
 首を振って、ゆっくりとコーヒーを飲む。
 もやもやした気持ちは、いつの間にかどこかへ消えていた。

 *

「昨日はご迷惑おかけしました!」

 次の日。
『止まり木』に顔を出したわたしは、みんなにまた頭を下げた。
「迷惑……ですか。何のことでしょう?」
「その、皆さんが色々と手を打ってくれてたのに、わたし……」
「まぁそれはねぇ。仕方ないよ」
「そうですよ、蒼崎さん。……それで、どうするんですか……?」
 アカリが、心配そうな顔でわたしを見つめる。
 緑川アテナがチコを回収しに来るまで、あまり時間はなかった。

「出来るだけの事は……したいと、思います」

 わたしはそう答える。
 素直に渡すのも、一つの正解であることは間違いない。
 わたしがチコを預かることが、誰にも望まれていないことなら、それを選択しただろう。
 でも、そうじゃない。少なくともお母さんはわたしの為にチコを造っていた。
 わたし自身、今ではこのチコを、とても大切に思っている。
「頑張ってダメなら、それは受け入れるしかないかも、ですけど……」
「……戦うことを、望むのですね」
 眼を閉じて、白城部長はそう口にした。
 こくりとわたしが頷くと、「分かりました」と彼女は立ち上がる。
「なら、私たちは全霊で力を貸します」
 急ぎましょう、と部長は早速動き出す。

「私たちも、蒼崎さんにはここにいて欲しいですから」
 すれ違い際、彼女が口にした言葉に、わたしはハッとする。

 ……わたしも、そうだ。ここにいたい。

 *

 そして、約束の日。
 緑川アテナは、オリーブを連れて部室へとやってきた。

「ツバサ。お別れの準備は出来た?」
 彼女はそう言って、『ネスト・コーポレーション』からの正式な書類を長机に置く。
 書いてあるのは、わたしがチコを保護し、大切にしてくれたことへの感謝。
 そしてチコを預かった暁には、今後発売される新型機を送付する、との約束。
「チコと同型の完成品よ。これなら文句はないでしょう、と……言いたいのだけど」
「受け取れません。だってそれは、このチコではないですよね」
「ええ、そうね。記録のバックアップも難しいし、あなたの知ってるこの子ではないわ」
 じっとわたしの顔を見て、彼女は答える。
 緑がかった大きな瞳は、見ているだけで吸い込まれそうな迫力があるけれど……わたしは決して、目を逸らしはしない。
「……言っておくけれど、本当にモニター募集はしていないの。生半可な実力では認めてあげられないし、認めさせることも出来ない」
 それでも、と緑川アテナは問うた。
 戦うのか。勝ち取れるとも限らないのに。

「戦います。わたしは、その為の準備しかしていません」

 頷いた。確かに、わたしが緑川アテナに勝つことは難しいだろう。
 どころか、勝ったとしてもわたしがチコの持ち主として認められるかは、彼女次第だ。
 分のある賭けじゃない、と思う。指先が震えそうになるのを、ぐっと握って誤魔化す。
「……いいわ。屋上へ行けばいいのよね?」
「はい。ありがとうございます」
 わたしはお礼を言って、ちらと部室のみんなに目を向ける。
 白城部長も、飾利先輩も、アカリも、黙ってわたしを見守ってくれていた。
 力は、もうとっくに貸してもらったから。
 ここからは、わたしだけの戦い。
(じゃなかった。わたしとチコの戦いだ)
 肩に止まったチコに、指を伸ばす。
 チコはその指に気持ちよさそうに頭を擦り付けてきた。
 この戦いに負けたら、チコはわたしとお別れすることになる。
 チコはどのくらい、それを理解しているんだろう。これまで聞いたアカリの話からすると、流石にそこまでは分かってないのかな。
「頑張ろうね、チコ」
『ピィっ!』

 今日の空も晴天だった。
 青い空の向こうに、大きな入道雲が一つだけ見える。
 屋上に出たわたしと緑川アテナは、互いに距離を取って向き合った。
 右手には、それぞれの手袋を着けて……くるりと手を返し、空っぽの手の平を見せ合う。

「それじゃあ、早く始めましょう」
「はい。……やろう、チコ」

「――フェザー・デュエル!」

 宣言と共に、指を空へと突き上げた。
 ぶわっ。チコは翼を大きく振るって上昇。
 突進していたオリーブは、対象を見失って『ピピッ!?』と鳴く。
「チコ、スピン!」
『ピッ!』
 上を取ってから、手を翻す。チコは回転しながら眼下のオリーブへ向けて飛ぶ、が……ひゅんっと音を立て、オリーブはその場で旋回した。
「大振りね。悪くないけど、当たるものではないわ」
「そうでしょう、ねぇっ!」
 アタックをかわされたチコだけれど、動きは止めない。
 そのまま今度は手を下へ向け、オリーブの下に潜り込むように高度を下げた。
「上下への攪乱? へぇ、少しは良い小技を覚えたのね」
「先輩たちのおかげですよぉっ!」
 白城部長と飾利先輩に、この一週間できっちり仕込まれた。
 行動は出来るだけ繋げろ。攻撃は避けられて当然だと思え。
「で、どう来るのかしら?」
 ふわりと緑川アテナは手を引いて、オリーブを斜め上空に退かせる。
 距離が開けられたら、その分だけ攻撃が届きにくくなる。
 無理に攻めるのは、NG!
「ならそこで、ターンっ!」
 かつんっ! わたしは足をクロスさせ、ぐるりと身体を一回転。
 チコもそれに合わせ、スピンを止めて大きく旋回した。
 同時に腕を斜めに上げて、ゆっくりと高度も上昇。一旦状況をリセットし、近づきながら相手の出方をじっと見つめる。
「伸び伸びと飛ぶのね。前とは大違い」
 言いながら、アテナは小指と親指を伸ばす。
 翼への指示形態だ。ならこっちは……
「チコ、ギリッギリまで飛ばして」
『ピッピィ!』
 だんっ! 足を前に出して、腕を突き出す。
「ここで加速?」
「どうしますか!?」
「やる気なら受けて立つわ。オリーブ、スピンウィング!」
『ピリリリッ!』
 アテナは開いた手を右に回して、オリーブをスピンさせる。
 こちらももう、突撃は止められない。でもわたしはそこで……
「羽根、開いて!」
 チコに翼を広げさせ、掌底を前へと向ける。
『ピピピッ!』
 合わせて、チコが体を上向きに持ち上げた。
 もちろんそれで動きが止まるわけじゃ、ない。翼を大きく振るいながらも、勢いは止まらずオリーブへと直進を続けている。
「んでもって、爪ェ!」
 わたしはそれを狙っていた。ぐわりと指を曲げ、チコの爪を全面に出させる。
「だと、思ったのよ」
 アテナがつぶやく。わたしが爪を前に出したのと同じように、彼女も爪を開いていた。
「カウンタークローッ!」
 同時に叫び、チコの爪とオリーブの爪がガギンと音を鳴らす。
 作戦を、読まれていた。ギリっとわたしは奥の歯を噛みながら、がっと曲げた指を握りしめる。ぶつかり合った爪をチコが掴み、オリーブもまた掴んだ。
 吹き飛ぶことも出来なくなった二体は、もつれ合い、回転しながら落下していく。
「っっ……」
 落下すれば、負けだ。けれど爪を離すタイミングは……!?
(先に離したら、落とされる!)
 拘束を解き抵抗を辞めれば、瞬間、オリーブはチコを地面に叩きつけるだろう。
 でもそれは相手も同じこと。ごくりとツバを呑み込んで、一秒、二秒、三秒。
「――オリーブ!」
「――チコッ!」
 地面に機体が着く直前に、結局同時に爪を離した。
 バッと二体は距離を取り、体勢を整えながら再上昇。
 一時だけ緊張を逃れ、ぶはぁとわたしは息を吐く。
「危なかったぁ……」
 ほんの少し判断がズレていたら、負けていたかもしれない。
 思わずつぶやいたわたしに、「その割には」とアテナは言う。
「笑っているのね、ツバサ」
「……そうでしたか?」
「死にそうな顔をして戦うよりはいいけれど、どれくらい本気なの?」
「完全完璧に本気ですよ。だから笑っちゃったんだと思います」
 ちらりと、戦いを見守る飾利先輩に目を向けた。
 先輩はデュエルの時、よく笑っていて……だから本気に見えないこともあるけど、本当のところはそうじゃない。
「本気だから、緊張するし、安心もする」
 それが楽しくて笑うのだと、今なら分かる。
 わたしの言葉に、「そう」とアテナは返す。
「ブルームフェザー、楽しんでいるのね」
「楽しんでますよ。でもそれは、チコがいたから叶ったことです」
 だってわたしは、ブルームフェザーなんか興味なかったんだから。
「緑川さん、言いましたよね。お母さんのことが分かるなら、って」
「ええ。チコ型の完成は、フウカの最期の願い。だからワタシはそれを達成したい」
 左手を胸に当て、彼女はそう言った。
 きっと彼女は、お母さんの事を尊敬しているのだろう。
 お父さんも言っていた。制作物が中途半端なままなのは、お母さんもイヤだって。
 わたしなんかより、彼女の方がずっとお母さんに近い。同じ職場で働いて、同じものを作って、同じ志を抱いて。本当の娘より、ずっとお母さんの事を理解してる。
 でも、だからどうしたって言うんだろう。
「チコがどうしてチコなのか、知ってますか?」
「チコリの花。ツバサが一番好きな花」
「知ってますよね、そりゃ。……でもそれ、わたしが五才の時の話なんですよ!」
 わたしがお母さんの事を分かってないように。
 お母さんだって、わたしの事を分かってない。
 だからそんなの、母娘であることと関係がない。
 だからそんなの、好きであることと関係がない。
「チコ、飛んで!」
『ピィィィッ!』 
 チコの身体を回転させて、一気に空まで上昇する。
「……オリーブ、追って!」
『ピリリッ!』
 警戒したアテナは、オリーブに後を追わせた。
 カンタンには上を取らせてはくれないみたい。そりゃそうだ。
「貫いて!」
 指先を一点にまとめる。オリーブの上昇軌道と、チコの軌道や速度を確認して……
「……スピンスピア・フォールっ!」
 先手を打って、攻撃を繰り出す。でも距離が遠い。
「届かないわよ、それは」
「分かってるんですよぉっ!」
 オリーブが回避行動を取る瞬間を、見極めて。
 指先を開き、ターン。チコに旋回の指示を伝える。
「攻撃は、ブラフ?」
「そこだ、チコっ!」
 攻撃と見せかけて、わたしの目的はオリーブとの距離を詰める事だった。
 回避に動いたことにより、わずかにオリーブの速度が落ちた、その瞬間。
 旋回でチコをオリーブの後ろにつけることに成功したわたしは、端の指を開いて前に突き出した。
「アタック!」
「ノー。タダでは通さないわ」
 けれど、ばさり。オリーブはその場で大きく羽根を振るい、体半分程度の高さ上昇した。
 がつんと翼がオリーブの下半身に当たるけれど、ダメージは低い。
 衝突でチコの身体が一瞬止まったその時、アテナは指を曲げ、掌の底を振り下ろす。
「クロー・フォール」
『ピリリィ!』
 攻撃を受けると同時に、崩れた身体の勢いさえも利用した……かかと落とし。
(いや、鳥のかかとはそこじゃ無いけどっ!)
 蹴りは蹴り。飛んでる方向のおかげか、ダメージは少ないけれど……
『ピピッ……』
 体勢は崩された。真っ直ぐ進むはずだったチコの身体に、下方向の衝撃が加わったから……自然と、その体は浅い角度で落下していく。
「上、取ったわ」
「しまっ……!」
「スピンスピア・フォール!」
 その位置は、オリーブのクチバシの射程圏内だ。
 崩れたチコの身体じゃ、それを避ける事が出来ない。
 がつんっ! 次の瞬間には、チコの身体は振り下ろされるクチバシによって更に吹っ飛ばされていた。
「チコっ!」
『ピ……』
「ツバサ。前とは見違えるほど強くなったのね。……前が不調だっただけ、かもだけど」
 ふぅと息を吐いて、アテナがわたしに告げる。
「けれど、ダメよ。ワタシに負けるようじゃ、試作品を任せる事は出来ないの」
「まだ勝負はっ……」
「その体力で、まだ勝てるつもりかしら?」
 アテナは、横目でフェンスの上を見る。
 戦いを見守っていたミネルヴァの翼には、お互いの残り体力が示されている。
 オリーブの体力も多少は削られていたが、先ほどの連撃が痛かった。
 チコの体力は、オリーブの三分の一程度しか残っていない。
「あなたはよく頑張ったけれど、もうお終いよ」
「……っ」

『ピピィィーーーッッ!!』

 わたしが言葉を詰まらせた、その時だ。
 チコが、ひときわ大きな声で雄叫びを挙げた。
「……なに、どうしたの?」
『ピィ! ピピピィ! ピィィーッッ!』
「ひょっとして……怒ってる?」
『ピッ!』
 あまりの剣幕に恐る恐る尋ねると、チコは頷くように短く鳴いた。
『ピィ! ピピピピッ!』
 そしてオリーブとアテナへと顔を向けて、翼を大きく広げながらもう一度叫ぶ。
 これは、威嚇だ。飾利先輩のフリージアもやっていた。
「……チコ、わたしの為に怒ってくれてる?」
『ピィ!』
「そっか。……でも大丈夫だよ。わたしもまだ、諦めてないから」
 ちょっと反論しづらかっただけ。
 元々、まったく諦めてなんかいなかった。
 でも、嬉しいな。チコはまだ、わたしの事を信じてくれてるみたいだ。
 
「こっから逆転するよ、チコ!」
『ピピィ!』

 気合を入れなおして、手を水平に直す。
 わたしたちの様子を見て、「そう」とアテナは小さくつぶやいた。
「やっぱり、それがチコの意志なのね」
「……? チコの意志?」
「起動実験の途中で、チコが飛んで行ってしまった。話したでしょう」
 アテナも手を伸ばし、角度を整えながら口にする。
 彼女にとって、チコの行動は不慮の事故に近かったけれど……同時に、もしかしてと思っていたのだそうだ。
「あのカード。新型が完成したらって、フウカが残していたものなの」
「……え」
「元々、完成したらあなたにプレゼントするつもりだったのよ、フウカは。……チコは、それを知っていたんでしょうね」
 開発の初期段階、まだお母さんが生きていた頃。
 このチコに、お母さんはよく話しかけていたのだという。
「ツバサが、あなたを見て喜んでくれるといいな、って」
「……お母さんが」
「だからこそ、完成を急ぎたかったのだけど……ね」
 アテナは一瞬目を伏せてから、チコへ顔を向ける。
 彼女は彼女なりに、わたしを想うお母さんの気持ちを尊重してくれていたらしい。
「チコ。あなたは未完成の試作品。もしかしたら、エラーやバグを起こしてツバサを悲しませるかもしれないわ」
「そんなことっ……!」
「チコ、あなたに聞いているの。それでも、ツバサの元にいたいの?」
『ピィっ!』
 アテナの問いかけに、チコは元気よく答えた。
 答えを聞いて、アテナはじっとチコを見つめる。
「……なら、続けましょう。オリーブ!」
『ピリリっ!』
 チコの返答で、アテナも心を決めたらしい。
 オリーブの名を呼んで、突進を指示する。
「っ、構えて、チコ!」
『ピィィっ!』
 わたしは敢えて攻撃を狙わずに、まずは相手の動きを見た。
 ダメージは、多い。相討ちじゃ負けてしまう。
 かなりピンチだ。正直ヤバい。……なのに、わたしは。
(ああ、もう、なにニヤついてんだろ!)
 笑みを抑えられなかった。
 わたしだけじゃない。チコも、ちゃんとわたしを好きでいてくれている。
 開発者であるアテナの意図に背いてでも、お母さんの言っていたわたしの元に来てくれて。こうして一緒に、戦ってくれて。
「オリーブ、スピンウィング!」
 オリーブは翼を開いて回転する。
 範囲の広い攻撃で、確実にこちらを討つつもりだろう。
「なら、カウンタークローだ!」
 ぐわりと開いた手で、爪の指示。チコは爪で羽根を受けようとするけれど……
「そこ、ダウン」
 直前、オリーブは回転を止めて高度を下げた。
『ピィ!?』
 チコの視界から、オリーブの姿が消える。
 チコが戸惑って声を上げるけど……わたしの目には、見えている。
「チコ、後ろ気を付けて!」
 言いながら、わたしもチコを旋回させた。
 最初にわたしがやったように、高さで緩急をつけて隙を狙おうとしたんだ。
 もう一撃でも入れば勝てるのに、それでも周到に狙ってくる。
 やっぱり緑川アテナは、強い。
(でも、部長だって……!)
 強さで言えば、白城部長だって負けていない。
 そんな部長と、わたしは今日まで毎日のように特訓したんだ。
(体力の差がなんだ! そんなものっ……!)
「オリーブ、構わず突っ込んで!」
 アテナはオリーブをそのまま突進させた。
 背後からの一撃は避けたけど、距離やタイミングからすると、完全に避けるのは難しい。
 なら、やっぱり受けるまでだ!
(細かい動きなら得意だって、アカリが教えてくれたんだ!)
 最初にアカリが色々教えてくれたから、わたしはこうしてフェザーデュエルが出来る。
 アカリに借りっぱなしの手袋を、ぐっと横に傾けた。
「チコ、スピン!」
「このタイミングで、何を狙って……!?」
「からの、カウンタークローだ!」
 回転は、チコの向きを変えるため。
 無理やりにでも身体を横に倒して、爪を届かせるため。
 もちろん、タイミングがズレればただ背中に攻撃を当ててしまうだけ。
 それでも、賭けた。わたしとチコの絆を、信じた。
 手の指をぐわりと曲げる。チコが爪を開き、脚を伸ばす。
 ……ガギンっ! 鳴り響いた衝撃音。一瞬二体の動きが止まって、わたしの目にはっきりと映る。チコの爪は、オリーブの翼を止めていた。
「掴め、チコ!」
「落下させるつもり!? そう簡単には……」
「上だ! 限っ界まで高く飛んで、チコッ!」
『ピィィィィッッ!!」
 落ちようなんて、今は思わない。
 もしかしたら、掴んだまま二体とも落下すれば、半々くらいの確率で勝てるかもだけど。
 そうじゃないでしょ。わたしとチコが見せなきゃいけないのは。わたしとチコの戦いは。
 飛べ。飛べ。飛べ。飛べ。
 チコの青い翼は、わたしの翼だ。
 わたしの代わりに、わたしの意志を乗せて飛べ。

「わたしは、チコのことが大好きだッッ!!」
 ブルームフェザーへの想いとか、お母さんへの想いとか、そういうのは置いといて。
 一緒にいてくれて、一緒に戦ってくれて、わたしを信じてくれるチコが、好き。
 他のチコじゃダメなんだ。自分の意志で、わたしのところへ来てくれたチコだから。
 フェザー部のみんなに出会わせてくれて、色々な事を知るキッカケをくれて。
 そんなチコと、これからも一緒にいたいと、心の底から思うから。

『ピィィィッッ!』

 チコが雄叫びを上げて、限度ギリギリの高さまで到達する。
 アテナとわたしが彼らを見上げると、入道雲の向こうから、強い太陽の光が差し込んでくる。
「ぐっ……!」
「見えない……!」
 わたしにもアテナにも、彼らの姿が見えなくなった。
 それでも、だからこそ、わたしはチコに伝える。
「チコ、頼んだッ!」
『ピィィ!』
 掴んだ指を離して、振り下ろす。
 ぶわりと音がして、光の中からオリーブだけが落下した。
「っ、ダメ、オリーブその位置にいては……!」
 慌ててアテナが腕を振るうけれど、旋回するには体勢が整っていない。
 一方で、こちらは……どうなってるか分からないけど、信じることにする。

「スピンスピア……フォールッッッ!!」

 振り下ろす指先を、一点に絞って。
 同時に、光の中から一筋の蒼い槍が飛び出した。
 槍の穂先は、オリーブの緑色の身体に直撃して……
 ガツンッ! 音を立てたオリーブは、対抗する間もなく、地上へと落下。
 一気に削られた体力がゼロになる間もなく、その体は、屋上の床に墜落して。

「~~っっ!!」

 気持ちを緩ませる、その前に。
 振り下ろした手の指を開き、上へと向ける。
「チコぉっ!」
『ピッピィィ!』
 ぶわっ。スピンスピアの勢いで落下しそうになっていたチコは、地面スレスレで上昇体勢に移って、そのままわたしの胸へと飛び込んでくる。
 って、待って、勢いが――
「ぶへっ!」
『ピピピィ! ピピィ!』
「いや、痛い……チコ、クチバシ刺さった……」
『ピッ!?』
 チコを抱きながら、そっとクチバシの直撃した胸を擦る。
 びっくりしたなぁ、もう。……とにかく、それより。

「……おめでとう、ツバサ。あなたの勝ちよ」

 そっとオリーブを拾い上げたアテナは、ミネルヴァの翼を見てそう告げる。
『ホホホーゥ!』
 オリーブの落下により、チコの勝ち。
 ミネルヴァの翼には、それを示す画面が表示されている。
「それじゃあ……!」
「何度も言ったでしょう。勝ったからといって、預けるとは限らないって」
「うっ、それは……」
 そうだった。このフェザーデュエルは、あくまで可能性を認めてもらうためのもの。
 結局のところどうするかは、緑川アテナ次第なのだ。
「強さは認められる程度だったけれど、開発者として考えると、どうかしらね。『ネスト』にも認めてもらう必要があるわけだし」
「……難しい、でしょうか」
「ええ。強さだけを理由とするならば」
 彼女はそう言って、わたしの腕の中のチコへ指を伸ばす。
 チコは素直に彼女に撫でられた。やっぱり、彼女もチコにとって大切な人、みたいだ。

「でも、チコの意志を含めるなら、別よ」

「それ、どういう……?」
「チコに内蔵されたAIの、実地検証。そういう名目でなら、『ネスト』としてもあなたにチコを任せる事が出来ると思うの」
 どうかしら、と緑川アテナは首を傾げた。
「定期的に、いくつかのデータを提供してもらうことにはなるわ。チコのプログラムデータなんかも必要になるでしょうし」
 それでも良ければ、と彼女は言う。

 あなたに、チコを預けましょう。

「……っ、はい! もちろんです!」
「そう。ありがとう。……それじゃあ、任せたわね」
 わたしが答えると、彼女は小さく微笑んで、歩き出した。
 屋上のドアに手をかけて、そういえばと思い出したように振り返る。
「ツバサ。ハッピーバースデー」
「えっ。……わたし、誕生日まだ先ですけど」
「知ってるわ。でもカードには、そう書かれるハズだったのよ」
 戸惑うわたしに、緑川アテナは言った。
 それって、カードに残ってた不自然な余白のこと……?
「誕生日には間に合わせるつもりだったのよ。けど、予定が変わっちゃったから」
 怒らないわよね、フウカ。心配するように彼女は呟く彼女に、わたしは驚いて何も答えられない。
(ひょっとして、お母さん……)
 チコを、わたしの誕生日プレゼントにするつもりだったのかな。
 間に合わせるつもりってことは、彼女もそれを知っていて……
「あっ、あの!」
「専用グローブも、後で贈るわね。フウカは、それもセットで贈るつもりだったんだもの」

 お礼を言う前に、「それじゃあね」と彼女は去っていった。
 残されたわたし達は、しばらくの間、何も言えずにぽつんと立っていたけど……

「……蒼崎さん。良かったですね」
「え、あ……はいっ!」
「あ~良かったぁ! ドキドキしてたんだからぁ!」
「ホントに……ホントですよっ! 途中、負けちゃうんじゃないかって、もう……!」
「えっ、え!? なんでアカリ泣いてるの!?」
「そりゃ泣くでしょ~」
「一番心配していたの、明石さんでしたからね」
「うわぁぁぁぁぁぁぁんっ!」

 声を上げて泣き始めるアカリに、わたしは戸惑ってオロオロしてしまう。
 先輩たちはそんなわたし達を見て、なんか嬉しそうに笑っていて。

「良かったですぅ……もし負けたら、ツバサと友達でいられなくなるんじゃって……」
「ええ!? そんな事思ってたの!? そりゃ接点は無くなるかもだけど……」
「ほらぁぁ~~っ!」
「いや勝ったから! 勝ったじゃんわたし! ……ってあれ、今名前で呼んでくれた!?」
「良かったぁぁぁぁ~~~っっ!!」

 *

 それから十五分くらい、アカリは泣き続けて。
 途中から、釣られてわたしも泣き始めてしまって。
 流石に見かねた先輩たちが、わたしたちの背中をさすって落ち着かせて。
 泣き止んで、部室に戻って一休みしたころには、もう下校時刻になっていて……

「なんか、お腹空かない?」
「ダメですよ飾利さん、買い食いは禁止です」
「でもほら、ツバサちゃんとチコちゃんの事をお祝いしてさ?」
「うちも、お祝いしたいです!」
「……そうですか。蒼崎さんはどう思いますか?」
「えっ。あー、じゃあわたしの家に来ませんか? 喫茶店やってて」
「えっ、ツバサちゃんの家って喫茶店なの!?」

 わぁわぁと話しながら、みんなで一緒に下校して、お店まで連れていく。
 いきなり部員と帰ってきたものだから、お父さんはびっくりしていたけれど……
 チコの問題が解決したのだと伝えると、ホッとした顔をしていた。

 *

「おはよう、お父さん!」

 チコの件から、二週間くらい経った後の、早朝。
 わたしはお父さんに挨拶をして、朝ごはんのトーストを口にする。
「今日は早いな。何かあるのか?」
「朝練! 今度大会があるからさ、チームの」
 ブルームフェザーの開発元である『ネスト・コーポレーション』は、いくつかの大会の開催を発表した。
 その中の一つに、フェザー部のチーム『止まり木』も出場する予定なのだ。
 というわけで、朝から部員みんなで練習をしている。
 朝食を食べ終えたわたしは、早速出発しようとして……忘れ物に気づいて、部屋に戻る。
「危なかった……これ忘れてちゃダメだよね」
 わたし用の手袋が、机に置きっぱなしだった。
 チコの翼と同じ青い色の手袋を、わたしはカバンにしっかりと入れる。
 そしてふっと思い出して、リビングにも改めて顔を出した。

「それじゃ、行ってくるね……お母さん!」

 仏壇にも挨拶をして、今度こそ家を出る。
 肩に止まっていたチコが、『ピピッ!』と楽し気に声を上げてわたしの前を飛んだ。
「楽しみだよねぇ、チコ!」
『ピィ!』
 今日これからの練習も、近いうちに始まる大会も。
 その大会に、チコや部の仲間たちと一緒に挑めるということも。
 ものすごく、楽しみで仕方がなかった。

(ブルームフェザーに出会えて、良かったな)

 チコの後姿を見ながら、改めて思ってしまう。
 わたしは、この機械の鳥のことが……大好きなんだ、と。

「急ごう、チコ! 多分みんなもう来てるから!」

 早く、フェザーデュエルしたいな!


【終わり】

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