【小説】ブルーム・フェザー #6
#5
「ただいまぁ」
「おかえり、ツバサ。なんか飲んでくか?」
「んー……あ、今お客さんいないんだ」
お店の方から帰宅したわたしは、ちらっと客席を見て状況を察する。
お父さんが何か飲んでけと言う時は、大抵ヒマな時なのだ。
「じゃあ、アイスコーヒーちょうだい」
「かしこまりました、っと」
お父さんが豆を挽き始めるのを見ながら、わたしはカウンターに腰を下ろす。
『ピィっ』
「あ、お店の中では鳴かないでね。今はお客さんいないけど……』
『ピッ』
チコがわたしの肩から降りて、カウンターテーブルからお店を見回した。
興味津々といった様子だが、ちゃんと言いつけを守って一鳴きもしないでいてくれる。
そういえば、チコをこっちに連れてくるのは初めてだっけ。
「その子、かしこいんだな。流石はフウカの作ったロボだ」
「ロボって。まぁでもそっか、ロボットだね」
「ブルームフェザーの部活、入ったんだろ。どうだった?」
「あー、楽しかったよ。部員もみんないい人だし」
テーブルに肘を付き、だらりと背中を曲げる。
わたしがお店の方でのんびりするのは、お客さんが全然いない時だけ。
最近はあんまり無かったな、と思いながら、わたしはぽつぽつと話をする。
「今日はね、飾利先輩って人とフェザーデュエルして……あ、動画あるけど」
ミネルヴァが撮影した動画を、わたしにも送ってもらっていた。
スマホを操作して、画面をお父さんの方へ向ける。
お父さんは作業の合間にちらっとそれを見て、「おお」と一言呟いた。
「カッコいいな、その黄色い方。航空機の曲芸飛行みたいだ」
「ああそれ、参考にしてるって先輩も言ってた。実際やるのは大変なんだけど」
デュエルの後、わたしは飾利先輩に聞きながら色々と技を練習してみた。
なんだけど、すぐには出来ない。何度もチコを壁や床に激突させてしまった。
「チコも頑張ってくれたんだけどねー」
指で頭をなでると、チコは体をわたしの手へ寄せてくる。
何度落下しても、チコの身体に目立った傷は出来なかった。外装の強度が高いおかげなのだと、アカリは言っていたけど……心配にはなる。
「面白いか? ブルームフェザー」
「うん、わりと。部も入って良かったと思うよ」
フェザー部は、チーム『止まり木』として、大会への出場なんかも予定してるそうだ。
あのメンバーで優勝を目指して頑張るのだと思うと、ちょっと燃える。
白城先輩みたく強くなれれば、かなりいいとこまで行けるんじゃないだろうか。
「そうか。そりゃ、お母さんも喜ぶだろうな」
「……そう、かなぁ」
わたしがブルームフェザーを楽しんでいることを、お母さんは喜んでくれる?
だとしても、それは……わたしとブルームフェザー、どちらのための喜びだろう。
「はい、コーヒーお待たせ」
「ありがと。飲んだら上行くね」
「はいよ。……っと、いらっしゃいませー」
氷の入ったコーヒーを受け取ると、ちょうどお客さんが一人やってきた。
わたしはそこで会話を終えて、コーヒーにシロップを投入する。
カラン、と鳴った氷の音に、チコは不思議そうに首を傾げた。
(どうしてチコは、わたしのところに来たんだろう)
チコがお母さんから送られてきたもの、なのは間違いない。
前にあのカードを見せたら、お父さんも「間違いなくお母さんの字だ」と言っていたし。
けど、少し引っかかるのは……チコが直接、わたしの部屋に飛んできたことと。
(あのカード。妙に余白が多かった)
この子の名前は、チコです。
カードに書かれたのは、わたしの名前とそれだけで。
(伝えたいこと、他にもあったのかな)
あったとして、何を伝えたかったんだろう。
わたしへの言葉だったら、いいんだけどな。
*
次の部活では、すぐにデュエルの練習が始まった。
「明石さん! これだと思ったらすぐに指示を出しましょう」
「ふぁ、ふぁい! ええっと、パンジー突っ込んで!」
「おおっと、そうきたか!」
部長のアドバイスを聞きながら、アカリがパンジーを突撃させる。
対戦相手の飾利先輩は、楽しそうに笑いながらパンジーを引き付け、ギリギリのところで手のひらを回す。スピンするフリージアは、パンジーの攻撃を軽く受け流した。
「ああっ! ごめんパンジー!」
「……明石さんは、自分の判断にあまり自信が無いようですね」
「でも、分かります。自分のミスでフェザーが傷付いたら、申し訳ないじゃないですか」
二人の試合を見学しながら、わたしは部長にそう話した。
わたしの手の中で、チコはじっと戦いを見つめている。必死に戦ってくれるこの子の為に、最善の選択をしたいと思うのは、当然のことだろう。
「そうですね。私もそう思いますが」
頷きながらも、「迷っていてはフェザーも困りますから」と部長は呟いた。
実際、フェザーデュエルは瞬間的な判断が要求されるゲームだ。戸惑って何も指示出来ないでいたら、フェザーは為す術もなく倒されてしまうだろう。
結局、アカリと飾利先輩の試合は、先輩の勝利で幕を閉じた。
「うぅ、ごめんねパンジー……」
「そんなにしょげることないってぇ。パンジーちゃんも、前より良い動きだったし」
『ちゅんちゅんっ!』
肩を落とすアカリを、先輩とパンジーが慰める。
フリージアは彼女たちをちらっと見て、興味なしと言った感じで先輩の頭に止まった。
「反省点は、後で動画で確認しましょう」
部長は二人にそう言って、わたしに視線を向ける。
次は、わたしと部長とで戦うのだ。
「よし、やろっかチコ!」
『ピィっ!』
チコに声を掛け、一歩前へと踏み出した、その瞬間だ。
ひゅん、と何かがわたしの横を飛び抜けた。
「えっ、なに!?」
背後からわたしの目の前に飛び、それは上昇と共にこちらを向く。
ブルームフェザーだ。緑色で、その外装には、なんだか見覚えがある。
「――やっとみつけた」
そして後ろから声がした。
振り返ると、そこには小さな見知らぬ女の子が一人。
誰、だろう。部員の知り合いではないみたいで、困惑の気配が屋上に漂う。
けれど女の子はその雰囲気を気にも留めず、どこか安心したような顔で息を吐き、すぅと指を前に出した。
「おいで、チコ」
『ピ……? ピィっ!』
「えっ、チコ!?」
女の子に呼ばれて、チコはぱたぱたと羽根を振りながら彼女の元へ行く。
「探してたのよ、チコ。急にいなくなるんだもの」
『ピピィ……』
小さく鳴きつつ、チコは彼女の指先に止まる。
今まで、わたし以外の人には懐かなかったチコが、どうして……?
「……あなたは、どなたでしょう。その子に何か御用が?」
「緑川アテナ。この子の保護者よ」
白城部長が訊ねると、女の子はハッキリとそう答えた。
保護者? チコの? ってことは……
「チコを保護してくれたのは、この中の誰? お礼を言いたいのだけど」
「あの、わたしです。チコの……」
「そう。それはありがとう」
持ち主です、と言う前に、彼女はスパリとそう言った。
どくんと心臓が嫌な鳴り方をして、額に汗がにじむ。もしかして。もしかして。
「それじゃあ、チコは連れて帰ります。今までお世話になりました」
「っ、ま、待って!」
「……? ああ、お礼の品は後で『ネスト』からお送りするわ。お名前を聞いても?」
「蒼崎! 蒼崎ツバサ、です。その子は……」
「アオザキ、ツバサ? ……ああ、フウカの。だからなのね」
ダメじゃない、と女の子は口を尖らせてチコに言う。
わたしはまだ、頭が全然追い付いてなかった。この子はチコを知っていて、チコもこの子に懐いていて、『ネスト』って、お母さんのいた会社だよね。お母さんのことも知っていて……いや、そうじゃなくて、それよりも。
「申し訳ありませんが。急にやってきて、部員のフェザーを連れていくと言われましても、流石に承服致しかねます」
「あら。何か問題あるかしら。この子はまだ試作段階のプロトタイプなのよ。起動実験中にどこかへ飛んで行ってしまったから、ずっと探していたのだけど」
ミネルヴァのスキャンデータにあったから、と彼女は語る。
「チコの型番を、この辺りのミネルヴァが読み取ったって知って。流石に映像データを勝手に見るわけにはいかないから、探し当てるのに苦労したのよ」
「本当に? それを証明する手段は?」
何も言えないでいるわたしの代わりに、白城部長は彼女に訊ねた。
彼女はそんな部長の態度に眉を寄せ、「なにかあったかしら」と呟いた。
「……部長、部長、緑川アテナって……」
「ええ、分かっています。けれど、それとこれとは別の話です」
アカリが部長にこそっと声を掛ける。
どうやらアカリは、この女の子の正体に心当たりがあるらしい。
「メーシ、持ってないのよね。社員証も置いてきちゃったし」
「でしたら、ひとまずお引き取り下さい。ご用件があるというのでしたら、正式に……」
「ああそうだ。これなら証明出来るんじゃない?」
ぱぁっと顔を輝かせ、少女は右手を上に挙げた。
その手には、フェザー用のグローブ。何をするつもりかと目を向けると、彼女はパチンと指を鳴らした。……すると。
『ホッホゥ』『ホッホゥ』『ホッホゥ』
三体のミネルヴァが、彼女の腕の周囲へと集まってきた。
「ミネルヴァ、ご挨拶なさい」
『ホッホゥ』『ホホーゥ』『ホホホーゥ』
「それから、オリーブも」
『ピリリ! ピーィ!』
声を掛けられ、更に先ほどの緑のブルームフェザーが、彼女の正面へと飛ぶ。
驚いたチコはパッと彼女の指を離れて、オリーブと呼ばれたブルームフェザーと並んだ。
(……あ……)
それを見て、気が付く。オリーブの外装は、チコのものとよく似ていたのだ。
「ミネルヴァへの指示権限は、『ネスト』関係者の証でしょう? それにこのオリーブも、チコと同じ型のプロトタイプブルームフェザー」
ワタシの言ってること、信じてもらえたかしら?
少女に言われて、流石の部長も言葉に詰まる。
彼女が本当のことを言っているのは、もはや間違いなかった。
「で、でも! チコはカードを持っていて……」
「カード? 何のこと?」
「お母さんの……蒼崎フウカの書いたカード。わたしの名前と、チコの事が書いてあって」
「へぇ……フウカの……」
わたしが話すと、緑川アテナは感心した顔でチコをじっと見つめる。
「けれど、それがどうかしたの?」
「どうか、って……」
「……あら。もしかして……チコのこと、返してはくれないの?」
緑川アテナの雰囲気が、険しいものへと変化する。
う、とわたしはその空気に押され、言葉を発せない。
「言っておくけれど、この子はまだ未完成なの。調整がまだ済んでいないし、プログラムにも改善の余地がある。早急にデータを集めないといけないのよ」
だから、と緑川アテナは続ける。
この子は、返してもらえないと困るのだ、と。
「あなた、フウカの娘でしょう? なら、分かるハズじゃない」
自分が開発したブルームフェザーが、未完成のまま止まっている。
そんなことを、蒼崎フウカが望むわけがない。
一刻も早く『ネスト』に返して、開発を続けさせて欲しい。
緑川アテナの言葉に、わたしは……何も、言えない。
(お母さんの娘なら、って)
分かるハズ、ないじゃん。
お母さんはずっと帰ってもこなかった。わたしと話す事なんてなかった。そんな人の考えてることが、わたしに、分かるわけ。
(……ああ、でも、だったら)
チコがわたしへの贈り物だと、言い切れる理由もないのか。
『ピュイ……?』
わたしが押し黙っていると、チコは不思議そうに声を上げ、わたしの元へと寄ってくる。
わたしはチコへ手を伸ばしかけて、止めた。
この子に対して、持ち主ぶる資格が……わたしに、あるのか?
「……分かりました、それじゃあ――」
「待って! ちょっと待ってください!!」
わたしが諦めかけた、その時。
声を上げたのは、アカリだった。
「蒼崎さんは、チコちゃんととても仲がいいんです! それを急に連れて行くなんて……」
「……。けれど、チコは『ネスト』のものよ」
「分かってます! 分かってますけど、でも、少しだけ待ってくれてもいいじゃないですか! それに、データを集めるって意味ではプレイヤーが実際に動かしたデータだって」
「実証データを集めるというのは、ただ遊ぶだけじゃダメなの」
アカリの説得に、緑川アテナは答える。
「普通以上の実力が必要よ。フェザーの操縦性や指示への反応速度、それにAIへの影響度……確認しなければならないことは、とても多いもの」
「でしたら、なおさら蒼崎さんに預けるのが妥当ですね」
「あら。どうしてそう言えるのかしら」
緑川アテナに反論したのは、部長だった。
問い返された部長は、静かに右手のグローブをわたしへと向ける。
「蒼崎さんは、強くなるので。私とアマナが、『止まり木』の名に賭けて保証いたします」
『ピュゥゥ!』
「……アマナ。『止まり木』。ああ、あなた白城リンネね?」
「ご存じでしたか。光栄ですね」
「実績あるプレイヤーの名前は、社でも把握してるもの。けれど」
頷いて、緑川アテナも右の手の平を部長へ向ける。
その動作は……戦いの、合図だ。
「ワタシとオリーブは、比じゃないわ」
挑発的な彼女の笑みに、「そうですか」と答えながら、部長は己の手の平を返す。
決闘は成立した。「下がって」と飾利先輩がわたしとアカリを促す。
三体のミネルヴァはそれぞれ別の方向に散り、フェンスや給水塔の上に掴まった。
『ホッホゥ』『ホッホゥ』『ホホホーゥ』
「ルールはノーマル。どうせなら録画もしたいのだけど、良いかしら?」
「ええ、ご自由に」
緑川アテナの前には、オリーブと呼ばれたチコと同タイプのブルームフェザー。
白城部長の前には、白い翼のアマナがそれぞれホバリングしている。
「部長、本気みたいだ」
「どうして……」
緑川アテナの言い分は、間違ってない。
部長だってそれは分かってるハズなのに。
「だってツバサちゃん、イヤだって思ってるでしょ」
「……」
飾利先輩はそう言うけど、わたしはハッキリ答えられない。
「まぁ、どっちにしても今日すぐにってのは私も反対。アカリちゃんと同じだね」
「はいっ。部長、頑張ってください!」
こくこくと頷いて、白城部長を応援するアカリ。
でもわたしは、部長に声を掛ける事も出来ない。どうしていいか、分からない。
「――フェザー・デュエル!」
そうこうしている間に、戦いは始まった。
「アマナ! スピンウィング!」
先手は部長。突撃と共にアマナをスピンさせ、羽根での打撃を狙う。
「初速、なかなかね」
緑川アテナは手を引き、バックに飛んでそれを回避。
けれど部長の攻撃の手は緩まない。一瞬ぐっと高度を下げてから、上昇と共に再びアマナをスピンさせる。
「スピンスピア・ライズ!」
「連撃? なら、カウンタークロー!」
クチバシによる下からの突き上げ。
緑川は指をぐっと曲げ、爪によるカウンターを狙った。
(でも、これ……)
見覚えのある局面だ。
そう、わたしと白城部長が最初に戦った、あの時と同じ。
「知っている手、です」
部長は小さく微笑んで、手首を反対に返す。
ぶわっ。アマナはスピンを途中で止め、反動で左に位置がブレる。
攻撃が来ると思われていたオリーブの爪は透かされて、動きに一瞬の隙が出来た。
「アタック!」
その隙間に、捻じ込むようにクチバシの一撃が入った。
かちんと音が鳴り、オリーブの身体が吹き飛ばされる。
ダメージは軽微。けれど体勢は崩した。
「畳みかけなさい、アマナ!」
『ピピィ!』
「甘いわ。オリーブ!」
『ピュイッ!』
接近するアマナだが、オリーブは急上昇によって距離を確保。
直後、スピンしながら落下することで、眼下のアマナへと攻撃を仕掛ける。
アマナは旋回で回避、再びスピンウィングでオリーブへと突撃した。
「弾いて、アマナ!」
「こっちも行って、オリーブ!」
オリーブも同様に体をスピンさせ、攻めに向かう。
同じ速度でぶつかり合った二体は、共に反対方向へ弾かれた。
ダメージは……アマナの方が、少し多い。
「ありゃ。なんで?」
「当たった場所の問題ですね。オリーブの翼の方が、より本体に近かったと思います」
疑問を口にする飾利先輩に、アカリが解説する。
ブルームフェザーのダメージは、攻撃の重さと当たった部位によって変化するのだ。
今回は、オリーブの攻撃の方がアマナの身体の中心に近く、より大きなダメージとして判定された。
「……強い、ですね。流石に」
「開発者ですもの。クセや機能は把握しているわ」
ふぅ、と息を吐きつつ言う先輩に、緑川アテナは胸を張って答えた。
開発者……って、ブルームフェザーの?
「前に……ブルームフェザーのプログラマーは二人だ、って話しましたよね」
それが彼女なんです、とアカリは語る。
「でも、年齢……」
「十一歳だそうです。外国の出身で、もう大学も出てるとか」
「そうなんだ……」
わたしより年下で、もう大学も卒業してるなんて。
それで『ネスト』に就職して、プログラマーで……
(お母さんと一緒に、働いてた)
もやもやした感情が、胸に湧き上がる。
――あなた、フウカの娘でしょう? なら、分かるハズじゃない。
投げかけられた言葉が、頭の中でリフレインする。
あの子には、分かるんだ。一緒に働いて、同じものを作ってきてたから。
わたしには分からないのに。わたしの傍に、お母さんはいなかったのに。
「……っっ」
違う。今そんなこと考えたって、仕方ないじゃん。
わたしが今すべきことは、まず部長の戦いを応援することで……
「リンネ。あなたの実力はよく分かったわ」
けれどその時、緑川アテナはそう口にして、右手を下げる。
部長は眉を寄せ、一度アマナの動きを止めた。
「では、認めていただけると?」
「カン違いしないで。認めるのはあなただけ。フウカの娘は別よ」
試す価値くらいは、あるのかもしれないけれど。
緑川アテナはそう言って、じぃっとわたしへ目を向ける。
その視線に、わたしはびくりと身体を震わせた。
「結局、本人を試さないことには何も分からないもの。……だから、ツバサ」
来なさい、と緑川アテナはわたしへ手袋を向けた。
「まだ、私との勝負は」
「時間、無いのよ。今日もどうにか研究室を抜けてきたのだし」
残念だけどね、と彼女は肩を竦める。
部長は少しの間、じっとアテナを見つめてから、わたしへと視線を移した。
どくん、と心臓が鳴る。……戦わなくてはいけない、のだろうか。
「……蒼崎さん、どうしますか」
「やり、ます。……戦います」
深く息を吸う。心配そうな部長の顔から眼を逸らして、アテナに向き合う。
きっとこれは、わたしがやらないといけない戦いだから。
わたしが右手を上げると、チコがひゅんと指先に止まった。
「チコ、いけそう?」
『ピュイッ!』
チコは元気よく鳴いて、両の翼を大きく広げる。
やる気は十分みたいだ。……でも。
(本当に、それでいいのかな)
わたしの中には、まだ迷いが残ってた。
わたしのわがままで、チコを返さないなんてこと……許されるの?
(お母さんは、それを望んでる?)
そうじゃない。皆が頑張って説得しようとしてくれたんだ。当の本人がこれじゃ、申し訳ないよ。だから、戦おう。戦って……そうしたらきっと、答えも出るから。
「……フェザー・デュエル」
『ピュゥゥ!』
口にして、指を突き出した。
チコは真っ直ぐにオリーブへ突撃。直後、わたしは指を一点にまとめてスピン。
「初手スピンスピアね。そうそう当たりはしないけれど」
くんっ。オリーブが頭を下げ、高度を下げる。
透かされた。回転を止め、一瞬チコの身体がブレた所で、オリーブは旋回しつつ上昇。
「オリーブ、アタックウィング」
小指と親指を広げ、わずかに右に傾けた。
オリーブは角度を調整しながら、チコの背後へと体当たり。
『ピュッ……』
チコが短い悲鳴を上げた瞬間、アテナは指をまた上へ向ける。
オリーブの首が空を仰ぎ、上昇。これは……ヤバい。
「チコっ……」
「ブレイククロー・フォール!」
『ピュァッ!』
落下、と共にチコの頭上に爪の蹴り。
チコはそれに対応できない。いや、わたしが出来てないんだ。
がきん、と音が鳴り、チコの身体が垂直に落ちていく。
「っ、堪えて!」
「ダメだツバサちゃん、次の手打たないと!」
「アドバイスなら、少し遅いんじゃないかしら」
飾利先輩の声。わたしが指示を出す前に、オリーブは更に下降し、爪で連続攻撃。
「ちょっと、ツバサ。やる気はあるの?」
「あっ、あります! ある……わたしはっ」
わたしは、なんだ?
手を伸ばしても、どう動かせばいいか、わからない。
「あなた、心が飛んでいないわ」
「心が……」
ああ、その言葉は、前に部長に言われた言葉だ。
でも状況は、あの時と真逆。あの日、チコを預ける為に勝ちたくないと思ったわたしは、たった今、チコを渡さない為に勝ちたいと、心の底からは思えない。
「トドメよ、オリーブ」
連撃の、最後の一発が放たれる。
あれをマトモに喰らえば、体力なんて関係なしにチコは落下負けしてしまう。
「う、あ……」
「っ、アマナ!」
しかしその一撃が、チコへ降り注ぐことはなかった。
直前で、アマナの白い翼がチコとオリーブの間に割り込み、爪を防いだのだ。
ぎぃ、と音を立てながら、アマナの翼がオリーブを弾く。アマナは地面すれすれを飛行して、再度急上昇。チコも自身の判断でその隣へと飛んでいた。
「……どういうつもり、リンネ?」
「私との勝負は、まだ終わっていません。……ミネルヴァもそう判断しています」
先輩は答えながら、ミネルヴァの翼に目を向ける。
そこには、チコとオリーブだけでなく、アマナの体力ゲージも示されていた。
「そう。なら仕方ない……とは、言えないわね」
溜め息を吐きながら、じっと緑川アテナは部長をにらみ付ける。
「そちらが言ったのよ。ツバサは強くて、データを取る価値があるって」
「ええ、その通りです」
「なのに、なに? 横槍が入らなければ勝負はついていた。お話にならないでしょう」
「蒼崎さんは動揺しています。あなたの言葉が原因で」
「……?」
部長の指摘を受けた緑川アテナは、不思議そうな顔でわたしを見た。
動揺、しているのかわたしは。改めて言われて、確かにそうだと思う。
「そうですよぉ。急に現れて愛着の湧いたブルームフェザーを渡せって、ねぇ?」
「は、はいっ! それに……やっぱりその……お母さんのことは……」
飾利先輩とアカリも、部長の言葉に合わせて彼女に反論を試みる。
その言い分に、わたしはどこかしっくりこないモノを感じつつ……だからといって、自分が感じたことを、上手く言葉にはできなかった。
「……フウカのこと、ね」
しかし、先輩たちの言い分は、緑川アテナに響いたらしい。
彼女は数秒、目を瞑って考え込み……「そうね」と顔を上げた。
「一週間。それがワタシの待てるギリギリの期限」
それを過ぎたら、改めてチコを引き取りに来ると、彼女は言う。
「別れを済ませるなら、それまでの間よ。フォトでもムービーでも、好きなだけ残しておくといいわ」
「その間に、あなたが納得するほど強くなれば?」
「有り得ない。というか本来、そうだとしてもモニター募集はしてないのだけど」
まぁ、努力するのは自由だわ、と緑川アテナは答えて、わたしたちに背を向ける。
戦いの終わりを察したミネルヴァは、みな一斉に羽ばたき、空の彼方へ消えていく。
オリーブは歩く彼女の肩に止まり、最後にチコに『ピィ』と鳴いた。
チコはそれに答え『ピィ』と同じような声音で返す。
……そうして緑川アテナは去り、わたしは一週間の猶予を得たのだけど。
「……。皆さん、ご迷惑おかけしました」
一呼吸おいて、わたしは部員の皆に頭を下げる。
「どうしましょうか、蒼崎さん。対策を取るなら協力しますが」
「そうそう。あれは対策しないと勝てないよねぇ。映像データは確保してるよぉ」
「同型機ということは、性能の差はほとんどないわけですから……チコちゃんの動きを研究すれば、オリーブちゃんへの対策にもなりますかね?」
「いや、そうじゃなくて……!」
わたしは頭を下げたまま、みんなの言葉を遮った。
本当に、『止まり木』のみんなは優しいんだ。わたしの為に戦って、反論して、練習にまで付き合ってくれるっていうんだから。
(でも……受け止められない)
最低だ、って自分でも思うけど。
今は、みんなの優しさが、重たい。
「これは、わたし個人の問題……なので」
わたしはチコをどうしたいのか。
その答えが、まだ出てない。
そんな状態で、みんなに何かをしてもらうなんて、出来るわけないよ。
「少し、考える時間をください」
わたしはそう言い残して、屋上を降りた。
【続く】
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