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【小説】ブルーム・フェザー #6

#5

「ただいまぁ」
「おかえり、ツバサ。なんか飲んでくか?」
「んー……あ、今お客さんいないんだ」

 お店の方から帰宅したわたしは、ちらっと客席を見て状況を察する。
 お父さんが何か飲んでけと言う時は、大抵ヒマな時なのだ。
「じゃあ、アイスコーヒーちょうだい」
「かしこまりました、っと」
 お父さんが豆を挽き始めるのを見ながら、わたしはカウンターに腰を下ろす。
『ピィっ』
「あ、お店の中では鳴かないでね。今はお客さんいないけど……』
『ピッ』
 チコがわたしの肩から降りて、カウンターテーブルからお店を見回した。
 興味津々といった様子だが、ちゃんと言いつけを守って一鳴きもしないでいてくれる。
 そういえば、チコをこっちに連れてくるのは初めてだっけ。
「その子、かしこいんだな。流石はフウカの作ったロボだ」
「ロボって。まぁでもそっか、ロボットだね」
「ブルームフェザーの部活、入ったんだろ。どうだった?」
「あー、楽しかったよ。部員もみんないい人だし」
 テーブルに肘を付き、だらりと背中を曲げる。
 わたしがお店の方でのんびりするのは、お客さんが全然いない時だけ。
 最近はあんまり無かったな、と思いながら、わたしはぽつぽつと話をする。
「今日はね、飾利先輩って人とフェザーデュエルして……あ、動画あるけど」
 ミネルヴァが撮影した動画を、わたしにも送ってもらっていた。
 スマホを操作して、画面をお父さんの方へ向ける。
 お父さんは作業の合間にちらっとそれを見て、「おお」と一言呟いた。
「カッコいいな、その黄色い方。航空機の曲芸飛行みたいだ」
「ああそれ、参考にしてるって先輩も言ってた。実際やるのは大変なんだけど」
 デュエルの後、わたしは飾利先輩に聞きながら色々と技を練習してみた。
 なんだけど、すぐには出来ない。何度もチコを壁や床に激突させてしまった。
「チコも頑張ってくれたんだけどねー」
 指で頭をなでると、チコは体をわたしの手へ寄せてくる。
 何度落下しても、チコの身体に目立った傷は出来なかった。外装の強度が高いおかげなのだと、アカリは言っていたけど……心配にはなる。
「面白いか? ブルームフェザー」
「うん、わりと。部も入って良かったと思うよ」
 フェザー部は、チーム『止まり木』として、大会への出場なんかも予定してるそうだ。
 あのメンバーで優勝を目指して頑張るのだと思うと、ちょっと燃える。
 白城先輩みたく強くなれれば、かなりいいとこまで行けるんじゃないだろうか。
「そうか。そりゃ、お母さんも喜ぶだろうな」
「……そう、かなぁ」
 わたしがブルームフェザーを楽しんでいることを、お母さんは喜んでくれる?
 だとしても、それは……わたしとブルームフェザー、どちらのための喜びだろう。
「はい、コーヒーお待たせ」
「ありがと。飲んだら上行くね」
「はいよ。……っと、いらっしゃいませー」
 氷の入ったコーヒーを受け取ると、ちょうどお客さんが一人やってきた。
 わたしはそこで会話を終えて、コーヒーにシロップを投入する。
 カラン、と鳴った氷の音に、チコは不思議そうに首を傾げた。
(どうしてチコは、わたしのところに来たんだろう)
 チコがお母さんから送られてきたもの、なのは間違いない。
 前にあのカードを見せたら、お父さんも「間違いなくお母さんの字だ」と言っていたし。
 けど、少し引っかかるのは……チコが直接、わたしの部屋に飛んできたことと。
(あのカード。妙に余白が多かった)
 この子の名前は、チコです。
 カードに書かれたのは、わたしの名前とそれだけで。
(伝えたいこと、他にもあったのかな)
 あったとして、何を伝えたかったんだろう。
 わたしへの言葉だったら、いいんだけどな。

 *

 次の部活では、すぐにデュエルの練習が始まった。

「明石さん! これだと思ったらすぐに指示を出しましょう」
「ふぁ、ふぁい! ええっと、パンジー突っ込んで!」
「おおっと、そうきたか!」

 部長のアドバイスを聞きながら、アカリがパンジーを突撃させる。
 対戦相手の飾利先輩は、楽しそうに笑いながらパンジーを引き付け、ギリギリのところで手のひらを回す。スピンするフリージアは、パンジーの攻撃を軽く受け流した。
「ああっ! ごめんパンジー!」
「……明石さんは、自分の判断にあまり自信が無いようですね」
「でも、分かります。自分のミスでフェザーが傷付いたら、申し訳ないじゃないですか」
 二人の試合を見学しながら、わたしは部長にそう話した。
 わたしの手の中で、チコはじっと戦いを見つめている。必死に戦ってくれるこの子の為に、最善の選択をしたいと思うのは、当然のことだろう。
「そうですね。私もそう思いますが」
 頷きながらも、「迷っていてはフェザーも困りますから」と部長は呟いた。
 実際、フェザーデュエルは瞬間的な判断が要求されるゲームだ。戸惑って何も指示出来ないでいたら、フェザーは為す術もなく倒されてしまうだろう。
 結局、アカリと飾利先輩の試合は、先輩の勝利で幕を閉じた。
「うぅ、ごめんねパンジー……」
「そんなにしょげることないってぇ。パンジーちゃんも、前より良い動きだったし」
『ちゅんちゅんっ!』
 肩を落とすアカリを、先輩とパンジーが慰める。
 フリージアは彼女たちをちらっと見て、興味なしと言った感じで先輩の頭に止まった。
「反省点は、後で動画で確認しましょう」
 部長は二人にそう言って、わたしに視線を向ける。
 次は、わたしと部長とで戦うのだ。
「よし、やろっかチコ!」
『ピィっ!』
 チコに声を掛け、一歩前へと踏み出した、その瞬間だ。

 ひゅん、と何かがわたしの横を飛び抜けた。

「えっ、なに!?」
 背後からわたしの目の前に飛び、それは上昇と共にこちらを向く。
 ブルームフェザーだ。緑色で、その外装には、なんだか見覚えがある。

「――やっとみつけた」

 そして後ろから声がした。
 振り返ると、そこには小さな見知らぬ女の子が一人。
 誰、だろう。部員の知り合いではないみたいで、困惑の気配が屋上に漂う。
 けれど女の子はその雰囲気を気にも留めず、どこか安心したような顔で息を吐き、すぅと指を前に出した。
「おいで、チコ」
『ピ……? ピィっ!』
「えっ、チコ!?」
 女の子に呼ばれて、チコはぱたぱたと羽根を振りながら彼女の元へ行く。
「探してたのよ、チコ。急にいなくなるんだもの」
『ピピィ……』
 小さく鳴きつつ、チコは彼女の指先に止まる。
 今まで、わたし以外の人には懐かなかったチコが、どうして……?
「……あなたは、どなたでしょう。その子に何か御用が?」
「緑川アテナ。この子の保護者よ」
 白城部長が訊ねると、女の子はハッキリとそう答えた。
 保護者? チコの? ってことは……
「チコを保護してくれたのは、この中の誰? お礼を言いたいのだけど」
「あの、わたしです。チコの……」
「そう。それはありがとう」
 持ち主です、と言う前に、彼女はスパリとそう言った。
 どくんと心臓が嫌な鳴り方をして、額に汗がにじむ。もしかして。もしかして。

「それじゃあ、チコは連れて帰ります。今までお世話になりました」
「っ、ま、待って!」
「……? ああ、お礼の品は後で『ネスト』からお送りするわ。お名前を聞いても?」
「蒼崎! 蒼崎ツバサ、です。その子は……」
「アオザキ、ツバサ? ……ああ、フウカの。だからなのね」

 ダメじゃない、と女の子は口を尖らせてチコに言う。
 わたしはまだ、頭が全然追い付いてなかった。この子はチコを知っていて、チコもこの子に懐いていて、『ネスト』って、お母さんのいた会社だよね。お母さんのことも知っていて……いや、そうじゃなくて、それよりも。
「申し訳ありませんが。急にやってきて、部員のフェザーを連れていくと言われましても、流石に承服致しかねます」
「あら。何か問題あるかしら。この子はまだ試作段階のプロトタイプなのよ。起動実験中にどこかへ飛んで行ってしまったから、ずっと探していたのだけど」
 ミネルヴァのスキャンデータにあったから、と彼女は語る。
「チコの型番を、この辺りのミネルヴァが読み取ったって知って。流石に映像データを勝手に見るわけにはいかないから、探し当てるのに苦労したのよ」
「本当に? それを証明する手段は?」
 何も言えないでいるわたしの代わりに、白城部長は彼女に訊ねた。
 彼女はそんな部長の態度に眉を寄せ、「なにかあったかしら」と呟いた。
「……部長、部長、緑川アテナって……」
「ええ、分かっています。けれど、それとこれとは別の話です」
 アカリが部長にこそっと声を掛ける。
 どうやらアカリは、この女の子の正体に心当たりがあるらしい。
「メーシ、持ってないのよね。社員証も置いてきちゃったし」
「でしたら、ひとまずお引き取り下さい。ご用件があるというのでしたら、正式に……」
「ああそうだ。これなら証明出来るんじゃない?」
 ぱぁっと顔を輝かせ、少女は右手を上に挙げた。
 その手には、フェザー用のグローブ。何をするつもりかと目を向けると、彼女はパチンと指を鳴らした。……すると。

『ホッホゥ』『ホッホゥ』『ホッホゥ』

 三体のミネルヴァが、彼女の腕の周囲へと集まってきた。
「ミネルヴァ、ご挨拶なさい」
『ホッホゥ』『ホホーゥ』『ホホホーゥ』
「それから、オリーブも」
『ピリリ! ピーィ!』
 声を掛けられ、更に先ほどの緑のブルームフェザーが、彼女の正面へと飛ぶ。
 驚いたチコはパッと彼女の指を離れて、オリーブと呼ばれたブルームフェザーと並んだ。
(……あ……)
 それを見て、気が付く。オリーブの外装は、チコのものとよく似ていたのだ。
「ミネルヴァへの指示権限は、『ネスト』関係者の証でしょう? それにこのオリーブも、チコと同じ型のプロトタイプブルームフェザー」
 ワタシの言ってること、信じてもらえたかしら?
 少女に言われて、流石の部長も言葉に詰まる。
 彼女が本当のことを言っているのは、もはや間違いなかった。
「で、でも! チコはカードを持っていて……」
「カード? 何のこと?」
「お母さんの……蒼崎フウカの書いたカード。わたしの名前と、チコの事が書いてあって」
「へぇ……フウカの……」
 わたしが話すと、緑川アテナは感心した顔でチコをじっと見つめる。
「けれど、それがどうかしたの?」
「どうか、って……」
「……あら。もしかして……チコのこと、返してはくれないの?」
 緑川アテナの雰囲気が、険しいものへと変化する。
 う、とわたしはその空気に押され、言葉を発せない。
「言っておくけれど、この子はまだ未完成なの。調整がまだ済んでいないし、プログラムにも改善の余地がある。早急にデータを集めないといけないのよ」
 だから、と緑川アテナは続ける。
 この子は、返してもらえないと困るのだ、と。

「あなた、フウカの娘でしょう? なら、分かるハズじゃない」

 自分が開発したブルームフェザーが、未完成のまま止まっている。
 そんなことを、蒼崎フウカが望むわけがない。
 一刻も早く『ネスト』に返して、開発を続けさせて欲しい。
 緑川アテナの言葉に、わたしは……何も、言えない。

(お母さんの娘なら、って)

 分かるハズ、ないじゃん。
 お母さんはずっと帰ってもこなかった。わたしと話す事なんてなかった。そんな人の考えてることが、わたしに、分かるわけ。
(……ああ、でも、だったら)
 チコがわたしへの贈り物だと、言い切れる理由もないのか。
『ピュイ……?』
 わたしが押し黙っていると、チコは不思議そうに声を上げ、わたしの元へと寄ってくる。
 わたしはチコへ手を伸ばしかけて、止めた。
 この子に対して、持ち主ぶる資格が……わたしに、あるのか?
「……分かりました、それじゃあ――」
「待って! ちょっと待ってください!!」
 わたしが諦めかけた、その時。
 声を上げたのは、アカリだった。
「蒼崎さんは、チコちゃんととても仲がいいんです! それを急に連れて行くなんて……」
「……。けれど、チコは『ネスト』のものよ」
「分かってます! 分かってますけど、でも、少しだけ待ってくれてもいいじゃないですか! それに、データを集めるって意味ではプレイヤーが実際に動かしたデータだって」
「実証データを集めるというのは、ただ遊ぶだけじゃダメなの」
 アカリの説得に、緑川アテナは答える。
「普通以上の実力が必要よ。フェザーの操縦性や指示への反応速度、それにAIへの影響度……確認しなければならないことは、とても多いもの」
「でしたら、なおさら蒼崎さんに預けるのが妥当ですね」
「あら。どうしてそう言えるのかしら」
 緑川アテナに反論したのは、部長だった。
 問い返された部長は、静かに右手のグローブをわたしへと向ける。
「蒼崎さんは、強くなるので。私とアマナが、『止まり木』の名に賭けて保証いたします」
『ピュゥゥ!』
「……アマナ。『止まり木』。ああ、あなた白城リンネね?」
「ご存じでしたか。光栄ですね」
「実績あるプレイヤーの名前は、社でも把握してるもの。けれど」
 頷いて、緑川アテナも右の手の平を部長へ向ける。
 その動作は……戦いの、合図だ。

「ワタシとオリーブは、比じゃないわ」

 挑発的な彼女の笑みに、「そうですか」と答えながら、部長は己の手の平を返す。
 決闘は成立した。「下がって」と飾利先輩がわたしとアカリを促す。
 三体のミネルヴァはそれぞれ別の方向に散り、フェンスや給水塔の上に掴まった。
『ホッホゥ』『ホッホゥ』『ホホホーゥ』
「ルールはノーマル。どうせなら録画もしたいのだけど、良いかしら?」
「ええ、ご自由に」
 緑川アテナの前には、オリーブと呼ばれたチコと同タイプのブルームフェザー。
 白城部長の前には、白い翼のアマナがそれぞれホバリングしている。
「部長、本気みたいだ」
「どうして……」
 緑川アテナの言い分は、間違ってない。
 部長だってそれは分かってるハズなのに。
「だってツバサちゃん、イヤだって思ってるでしょ」
「……」
 飾利先輩はそう言うけど、わたしはハッキリ答えられない。
「まぁ、どっちにしても今日すぐにってのは私も反対。アカリちゃんと同じだね」
「はいっ。部長、頑張ってください!」
 こくこくと頷いて、白城部長を応援するアカリ。
 でもわたしは、部長に声を掛ける事も出来ない。どうしていいか、分からない。

「――フェザー・デュエル!」

 そうこうしている間に、戦いは始まった。
「アマナ! スピンウィング!」
 先手は部長。突撃と共にアマナをスピンさせ、羽根での打撃を狙う。
「初速、なかなかね」
 緑川アテナは手を引き、バックに飛んでそれを回避。
 けれど部長の攻撃の手は緩まない。一瞬ぐっと高度を下げてから、上昇と共に再びアマナをスピンさせる。
「スピンスピア・ライズ!」
「連撃? なら、カウンタークロー!」
 クチバシによる下からの突き上げ。
 緑川は指をぐっと曲げ、爪によるカウンターを狙った。
(でも、これ……)
 見覚えのある局面だ。
 そう、わたしと白城部長が最初に戦った、あの時と同じ。
「知っている手、です」
 部長は小さく微笑んで、手首を反対に返す。
 ぶわっ。アマナはスピンを途中で止め、反動で左に位置がブレる。
 攻撃が来ると思われていたオリーブの爪は透かされて、動きに一瞬の隙が出来た。
「アタック!」
 その隙間に、捻じ込むようにクチバシの一撃が入った。
 かちんと音が鳴り、オリーブの身体が吹き飛ばされる。
 ダメージは軽微。けれど体勢は崩した。
「畳みかけなさい、アマナ!」
『ピピィ!』
「甘いわ。オリーブ!」
『ピュイッ!』
 接近するアマナだが、オリーブは急上昇によって距離を確保。
 直後、スピンしながら落下することで、眼下のアマナへと攻撃を仕掛ける。
 アマナは旋回で回避、再びスピンウィングでオリーブへと突撃した。
「弾いて、アマナ!」
「こっちも行って、オリーブ!」
 オリーブも同様に体をスピンさせ、攻めに向かう。
 同じ速度でぶつかり合った二体は、共に反対方向へ弾かれた。
 ダメージは……アマナの方が、少し多い。
「ありゃ。なんで?」
「当たった場所の問題ですね。オリーブの翼の方が、より本体に近かったと思います」
 疑問を口にする飾利先輩に、アカリが解説する。
 ブルームフェザーのダメージは、攻撃の重さと当たった部位によって変化するのだ。
 今回は、オリーブの攻撃の方がアマナの身体の中心に近く、より大きなダメージとして判定された。
「……強い、ですね。流石に」
「開発者ですもの。クセや機能は把握しているわ」
 ふぅ、と息を吐きつつ言う先輩に、緑川アテナは胸を張って答えた。
 開発者……って、ブルームフェザーの?
「前に……ブルームフェザーのプログラマーは二人だ、って話しましたよね」
 それが彼女なんです、とアカリは語る。
「でも、年齢……」
「十一歳だそうです。外国の出身で、もう大学も出てるとか」
「そうなんだ……」
 わたしより年下で、もう大学も卒業してるなんて。
 それで『ネスト』に就職して、プログラマーで……
(お母さんと一緒に、働いてた)
 もやもやした感情が、胸に湧き上がる。

 ――あなた、フウカの娘でしょう? なら、分かるハズじゃない。

 投げかけられた言葉が、頭の中でリフレインする。
 あの子には、分かるんだ。一緒に働いて、同じものを作ってきてたから。
 わたしには分からないのに。わたしの傍に、お母さんはいなかったのに。
「……っっ」
 違う。今そんなこと考えたって、仕方ないじゃん。
 わたしが今すべきことは、まず部長の戦いを応援することで……
「リンネ。あなたの実力はよく分かったわ」
 けれどその時、緑川アテナはそう口にして、右手を下げる。
 部長は眉を寄せ、一度アマナの動きを止めた。
「では、認めていただけると?」
「カン違いしないで。認めるのはあなただけ。フウカの娘は別よ」
 試す価値くらいは、あるのかもしれないけれど。
 緑川アテナはそう言って、じぃっとわたしへ目を向ける。
 その視線に、わたしはびくりと身体を震わせた。
「結局、本人を試さないことには何も分からないもの。……だから、ツバサ」
 来なさい、と緑川アテナはわたしへ手袋を向けた。
「まだ、私との勝負は」
「時間、無いのよ。今日もどうにか研究室を抜けてきたのだし」
 残念だけどね、と彼女は肩を竦める。
 部長は少しの間、じっとアテナを見つめてから、わたしへと視線を移した。
 どくん、と心臓が鳴る。……戦わなくてはいけない、のだろうか。
「……蒼崎さん、どうしますか」
「やり、ます。……戦います」
 深く息を吸う。心配そうな部長の顔から眼を逸らして、アテナに向き合う。
 きっとこれは、わたしがやらないといけない戦いだから。
 わたしが右手を上げると、チコがひゅんと指先に止まった。
「チコ、いけそう?」
『ピュイッ!』
 チコは元気よく鳴いて、両の翼を大きく広げる。
 やる気は十分みたいだ。……でも。
(本当に、それでいいのかな)
 わたしの中には、まだ迷いが残ってた。
 わたしのわがままで、チコを返さないなんてこと……許されるの?
(お母さんは、それを望んでる?)
 そうじゃない。皆が頑張って説得しようとしてくれたんだ。当の本人がこれじゃ、申し訳ないよ。だから、戦おう。戦って……そうしたらきっと、答えも出るから。
「……フェザー・デュエル」
『ピュゥゥ!』
 口にして、指を突き出した。
 チコは真っ直ぐにオリーブへ突撃。直後、わたしは指を一点にまとめてスピン。
「初手スピンスピアね。そうそう当たりはしないけれど」
 くんっ。オリーブが頭を下げ、高度を下げる。
 透かされた。回転を止め、一瞬チコの身体がブレた所で、オリーブは旋回しつつ上昇。
「オリーブ、アタックウィング」
 小指と親指を広げ、わずかに右に傾けた。
 オリーブは角度を調整しながら、チコの背後へと体当たり。
『ピュッ……』
 チコが短い悲鳴を上げた瞬間、アテナは指をまた上へ向ける。
 オリーブの首が空を仰ぎ、上昇。これは……ヤバい。
「チコっ……」
「ブレイククロー・フォール!」
『ピュァッ!』
 落下、と共にチコの頭上に爪の蹴り。
 チコはそれに対応できない。いや、わたしが出来てないんだ。
 がきん、と音が鳴り、チコの身体が垂直に落ちていく。
「っ、堪えて!」
「ダメだツバサちゃん、次の手打たないと!」
「アドバイスなら、少し遅いんじゃないかしら」
 飾利先輩の声。わたしが指示を出す前に、オリーブは更に下降し、爪で連続攻撃。
「ちょっと、ツバサ。やる気はあるの?」
「あっ、あります! ある……わたしはっ」
 わたしは、なんだ?
 手を伸ばしても、どう動かせばいいか、わからない。
「あなた、心が飛んでいないわ」
「心が……」
 ああ、その言葉は、前に部長に言われた言葉だ。
 でも状況は、あの時と真逆。あの日、チコを預ける為に勝ちたくないと思ったわたしは、たった今、チコを渡さない為に勝ちたいと、心の底からは思えない。
「トドメよ、オリーブ」
 連撃の、最後の一発が放たれる。
 あれをマトモに喰らえば、体力なんて関係なしにチコは落下負けしてしまう。
「う、あ……」
「っ、アマナ!」
 しかしその一撃が、チコへ降り注ぐことはなかった。
 直前で、アマナの白い翼がチコとオリーブの間に割り込み、爪を防いだのだ。
 ぎぃ、と音を立てながら、アマナの翼がオリーブを弾く。アマナは地面すれすれを飛行して、再度急上昇。チコも自身の判断でその隣へと飛んでいた。
「……どういうつもり、リンネ?」
「私との勝負は、まだ終わっていません。……ミネルヴァもそう判断しています」
 先輩は答えながら、ミネルヴァの翼に目を向ける。
 そこには、チコとオリーブだけでなく、アマナの体力ゲージも示されていた。
「そう。なら仕方ない……とは、言えないわね」
 溜め息を吐きながら、じっと緑川アテナは部長をにらみ付ける。
「そちらが言ったのよ。ツバサは強くて、データを取る価値があるって」
「ええ、その通りです」
「なのに、なに? 横槍が入らなければ勝負はついていた。お話にならないでしょう」
「蒼崎さんは動揺しています。あなたの言葉が原因で」
「……?」
 部長の指摘を受けた緑川アテナは、不思議そうな顔でわたしを見た。
 動揺、しているのかわたしは。改めて言われて、確かにそうだと思う。
「そうですよぉ。急に現れて愛着の湧いたブルームフェザーを渡せって、ねぇ?」
「は、はいっ! それに……やっぱりその……お母さんのことは……」
 飾利先輩とアカリも、部長の言葉に合わせて彼女に反論を試みる。
 その言い分に、わたしはどこかしっくりこないモノを感じつつ……だからといって、自分が感じたことを、上手く言葉にはできなかった。
「……フウカのこと、ね」
 しかし、先輩たちの言い分は、緑川アテナに響いたらしい。
 彼女は数秒、目を瞑って考え込み……「そうね」と顔を上げた。

「一週間。それがワタシの待てるギリギリの期限」

 それを過ぎたら、改めてチコを引き取りに来ると、彼女は言う。
「別れを済ませるなら、それまでの間よ。フォトでもムービーでも、好きなだけ残しておくといいわ」
「その間に、あなたが納得するほど強くなれば?」
「有り得ない。というか本来、そうだとしてもモニター募集はしてないのだけど」
 まぁ、努力するのは自由だわ、と緑川アテナは答えて、わたしたちに背を向ける。
 戦いの終わりを察したミネルヴァは、みな一斉に羽ばたき、空の彼方へ消えていく。
 オリーブは歩く彼女の肩に止まり、最後にチコに『ピィ』と鳴いた。
 チコはそれに答え『ピィ』と同じような声音で返す。
 ……そうして緑川アテナは去り、わたしは一週間の猶予を得たのだけど。

「……。皆さん、ご迷惑おかけしました」

 一呼吸おいて、わたしは部員の皆に頭を下げる。
「どうしましょうか、蒼崎さん。対策を取るなら協力しますが」
「そうそう。あれは対策しないと勝てないよねぇ。映像データは確保してるよぉ」
「同型機ということは、性能の差はほとんどないわけですから……チコちゃんの動きを研究すれば、オリーブちゃんへの対策にもなりますかね?」
「いや、そうじゃなくて……!」
 わたしは頭を下げたまま、みんなの言葉を遮った。
 本当に、『止まり木』のみんなは優しいんだ。わたしの為に戦って、反論して、練習にまで付き合ってくれるっていうんだから。
(でも……受け止められない)
 最低だ、って自分でも思うけど。
 今は、みんなの優しさが、重たい。

「これは、わたし個人の問題……なので」

 わたしはチコをどうしたいのか。
 その答えが、まだ出てない。
 そんな状態で、みんなに何かをしてもらうなんて、出来るわけないよ。

「少し、考える時間をください」

 わたしはそう言い残して、屋上を降りた。

【続く】



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