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命長ければ恥多し

夫も還暦に近づき、
親の世代も超高齢に差し掛かりつつある中、
自分も感じる衰え。

我々の親の世代というのは「恥」というものを
極端に恐れるように見えてくるこの頃。

祖父母の世代は70歳を過ぎた頃には
自分は年寄りだからと開き直っていた。

・いつの間にか衰えてしまう「体力」
・うっかりという名の「健忘」
・遠くまで出掛けなくなってから加速する「頑迷さ」

これらを目いっぱい抱えても
出来るだけ若々しく見られたいと思っているのが
昭和一桁~10年代位だろうか。

「恥を隠そう」として必死になり、
無理を重ねていないのだろうか?

きっと頭に浮かんでいそうなのはこの言葉だ。
「命長ければ恥多し」

コトバンクさまから引用させて頂くと、
下記の❶の前半のような意味合いで
日本ではこれまでこんな感じで使われてきた。

❶むやみに長生きを願わないのが賢い生き方だとか、年を取ったら恥をかかないように気を付けるべきだというのが、堯のことばに含まれる教訓。ただ、この話には実は続きがあって、そこでは、役人の方が、「それくらいの災難も避けられないなんて、あなたもたいした人ではありませんね」と、堯をやりこめた、ということになっています。そこまで含めると、恥ずかしいなどといって長生きを喜ばないのは、いかにもこざかしい知恵であって、かえって愚かなことだ、という意味になります。

・恥を掻かない為にお金が無限に欲しい。
・お金の為なら人間性を全否定して過ごせる価値観。

実はお金の心配をすればするほど
求めれば求める程、
お金との縁が無くなる仕組みが
この世界には働いているのです。
不思議ですね。
人と支えあう心でしか、
豊かさは引き寄せられないのに。
先人達のそういう知恵や人生訓、ことわざやユーモア。
そしてこの世の隅々まで見透した生き方...

そんな古来より伝わる感受性や知性といったものは
もはや絶滅寸前なのかもしれません。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
戦争を経て貧しさを知っていた祖父母の世代は
物がなくて実に謙虚だったことに対して

「絶対に恥は掻きたくない」
父母の世代は世間体を保つという日本独特の虚栄心が
どんな境遇の者にも巣食っているので
痛々しく感じてしまうのは私だけでしょうか?

鏡写しで、幕末の日本人を見た外国人が書き残した資料や著作から推察される日本人像と言うのを辿れば、当時の暮らしぶりは虚栄心とは無縁のものだったというのも、明治時代を知る祖父母達の生き方に沿ったものだと考えられ、次の世代とのギャップを示していて一世代程度の違いが、大変大きな物であったと考えられてくるのです。

時代は下り、今の日本を見れば
「マウントを取る」という言葉を
皆が解する日本の社会でありますが、
まもなくマウントを取ることを
恥ずかしいと感じる世代が
育ってくるでしょう。
時代というのは
そうして進んで行くのです。

そうなってもマウントを取ることが
「クセ」になって抜けず下の世代から
痛々しい人だなぁと思われるのもすぐそこに来ています。

さてあなたなら、どうしましょうか?

これまでどおり同世代とだけ交流して
「マウント」を取りつつも、
長生きなんてしたくないなぁ、
でしょうか?

それとも
日本人として目覚めて
社会を見通す目を持ちたいと考え
今から本物の人間になるために
哲学的な学びも始めますか?

老人となった日には
普遍的な価値観を身に付け
流行から距離を置き
超然とした日本人として
白髪もまた威厳の顕れと
できるでしょうか?

。❷「徒然草―七」に「いのちながければ辱おほし。長くとも四十よそぢにたらぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ」と引用されているのも、有名です