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友達がいない寂しさ


こんにちわ、私の見た夢をお伝えします。

ひどく疲れた日の夜。薄い黄色のカーテンを黒に取り替え、できるだけ部屋を真っ暗にして眠りました。すると夢の中に白いもやがかかり、昔、仲が良かった友達が出てきました。保育園時代に出会った幼なじみ、アメリカ人と日本人のハーフで、子どもの頃はよく一緒に遊んだけど、社会人になるにつれて意見が合わなくなり、ケンカが増え、いつの間にか疎遠になりました。私が友達の嫌いだった所を上げるなら、その頑固さです。人の意見を信用しない人でした。成長するにつれて、こちらの誘いを断ることが多くなり、最後にはNOしか言わなくなりました。
しかし、夢に出てきた友人はとても明るくおしゃべりでフレンドリーでした。それもあって、これが夢だと気がつくのは早かったです。私が住んでいたマンションの一室は確かに壁も家具も白かったが、いつもの五割ましで白すぎました。そしてお皿を入れている戸棚を開けても、スプーンやフォークをしまう引き出しを開けても、何も入っておらず、すっからかんでした。友達が一緒に映画を見に行こうと言い出し、やはり夢というのもあって、映画館に行くまでの道のりはすっ飛ばしていきなり映画館にワープしていました。おまけに上映しているのは私が好きな映画ばかり。
夢というのは記憶で作られますから、自分の知らないものは出てこないのでしょうか。映画が始まったところで夢から覚めました。

なぜこの夢の話をしたかと言うと、昨日仕事から家に帰るとき、その友達の後ろ姿を見たからです。
少し前なら声をかけていたでしょうか、「執着」の恐ろしさを知った今ではそっと見送るのが正解だと考えながらも、また仲良く話がしたいと思ってしまう気持ちも消えてはいません。
彼と疎遠になり、友達がいなくなった寂しさをスピリチュアルで埋めていた時があります。友達と気が合わなくなったのは自分の精神レベルが上がったからとか、確かに私も以前より少しは成長しました。家を出て一人暮らしをした私と、実家でずっと暮らしている友達。しかし、そうは言っても寂しいです。

今、私がこの寂しさを無くすために必要なのは、友達への「執着」を無くすこと。
彼と会わなかったこの2年、色々ありましたが何とか生きてきました。彼がいなくとも大丈夫。仏教に僧(サンガ)という言葉があります。仏教の教えを学ぶ仲間のことです。
私は8月に東京で行われる大愚道場という沢山の僧(サンガ)がやってくる集まりに参加します。そこで、新しい出会いがあっても無くても、積極的に仏教を学び、自灯明法灯明を育て、寂しさを感じる心と向き合う良い機会として、今は知恵をつけていこうと思います。
同じように寂しさを感じておられる方は、その悩みをコメントしていって貰えると嬉しいです。自分の胸の内を言葉にするのは良く効く薬です。

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