わたしが見た建設業 ~「かわいい土木」が物語る地域建設業の仕事~
■建設業の本質を語る名作コピー誕生
「地図に残る仕事。」―建設業に関わる方なら誰もが、それ以外でも多くの方が、一度は耳にしたことのあるキャッチコピーだと思います。このコピーが誕生した1990年代の初め頃、私は大成建設の広報部に在籍していました。直接の担当ではなかったものの、あのときの世の中からの熱狂的な反響は、いまでもはっきりと覚えています。
現在も同社のCMなどで見かけるこの息の長いコピーは、全国の地方紙に展開する全段広告シリーズのために作られたものでした。広告の制作段階で、建設業の醍醐味を尋ねられたダム現場の所長が、「なんと言っても、この仕事は地図に残りますからね」と語ったひと言がもとになった、と聞いています。
広告シリーズは、いずれも施工実績や現場の写真を背景として、土木や建築の建設マンの視点や、建設マンを父に持つ娘の視点などから紡がれるそれぞれのショートストーリーに、キャッチコピーを添えたものでした。予想外だったのは、広報部宛に届いた感想の手紙の多くが、地域建設業の関係者から寄せられたものだったことです。
企業イメージアップをねらい、一般の人々をターゲットとして打った広告であったにもかかわらず、むしろ業界内の人たちから「よくぞ言ってくれた」「自分たちの気持ちを代弁する言葉だ」と支持されたのです。中には、「お父さんを見直した」といったご家族からの声もあり、広報部のメンバーもみな、胸が熱くなりました。
その後、会社を辞めてフリーライターになってからも、取材先のあちこちで「このコピーに憧れて建設業を目指した」という人に出会いました。30年たっても色褪せず、一社の広告の枠を超えて人々の心に響いているという事実が、ここに建設業の本質的な魅力が表現されていることの証だと思います。
■社内報で建設現場を取材して、ハマる
私は同社に就職するまで、建設業のことをまったくと言っていいほど知りませんでした。文系出身で、技術のことも分かりません。そんな私が建設の魅力にハマったきっかけは、入社と同時に広報部へ配属され、まもなく社内報の担当になったことでした。社内報の記事を書くために、全国の建設現場を取材する機会が訪れたからです。
当時はまだ、ようやくパソコンが普及しはじめた時代です。OAフロアなどを備えた「インテリジェントビル」の建築現場を訪れると、大工さんが墨出しをしていました。工芸品のように美しい墨つぼからスルスルと糸を引き出し、指でピシッと弾く。鉄筋コンクリートの床に引かれた鮮やかな直線を見たとき、「こんな最先端の超高層ビルも、こうして人の手でつくられていくんだ」と感動しました。
土木の現場では、巨大構造物を建造するギミックに魅せられました。東京湾の海底に沈埋トンネルを敷設する現場です。ドライドックで函体をつくり、海上に浮かべて船で曳航し、現場に沈めてつなげていく。海底トンネルをそんな方法でつくるなんて! 眼の前でつくられている巨大なコンクリートの箱が水に浮くなんて!驚きの連続でした。
■「土木学会選奨土木遺産」との出合い
独立してからは、いろいろな分野の取材をしました。「フリーライター」といっても、特別な資格があるわけでもなく、当初は胸を張って専門分野と言えるものもありません。主婦向け雑誌の節約術からビジネス誌の記事広告などまで、声をかけていただいた仕事は、取材日が重ならない限りすべてありがたく受けました。
未知の分野を取材して原稿を書くことは、とても刺激的で楽しい半面、分野の幅を広げ続ければ、新たな分野の初心者からいつまでも抜け出せません。もう少し範囲を絞りたいと思いはじめた頃、 「自分のテーマとして興味があるのは、やっぱり建設分野だ」と感じました。
意識的に少しずつ建設関係の仕事を増やしていった私は、あるとき土木学会誌の仕事を通じて 「土木遺産」の存在を知りました。土木学会では、全国各地に遺る歴史的土木建造物を「選奨土木遺産」として顕彰しています。ウェブサイトでリストを見ると、私の大好きな給水塔やトラス橋、アーチ橋、水門などさまざまなインフラ施設が並んでいました。「こんなに素敵なものがあまり知られていないのはもったいない!一般の人たちにもぜひ紹介したい」と強く思いました。
■土木から遠い言葉をぶつけてみた
ちょうどその頃、建設業振興基金の広報研修を担当する機会がありました。企業広報での10年 の経験を生かし、ライター業と並行して広報関連の仕事もしていたのです。研修のしばらく後、広報誌『建設業しんこう』に何か連載を書かないか、 というお話をいただいた私は、土木遺産を紹介する「かわいい土木」という企画を提案しました。
「かわいい」は、いまの土木のイメージから遠い言葉ってなんだろう?と考えて思いついた形容詞。俳句で「二物衝撃」というように、一見関係がない二つを組み合わせることで、新しい味わいを生み出すことをねらったネーミングです。インパクト重視で付けたコーナー名ではありましたが、そのおかげで毎回の取材では、その土木遺産のどこがかわいいのかを考えながら対象物を見るようになりました。
例えば、水戸市水道低区配水塔は、まず外観が文句なくかわいい。でも、それだけではありません。この配水塔ができた昭和初期、全国の水道普及率はまだ3割程度。近代水道が敷設されることは、まちの先進性を表すシンボルだったのです。
配水塔の意匠には、近代水道を誇らしく思う市民の気持ちが反映されている。そのことに気づいてから、私の土木遺産を見る目は変わりました。
■“かわいい目線”で気づく建設業の尊さ
岐阜県白川町の白川橋は大正末、深い谷の対岸にできた鉄道駅を利用するために架けられた、ハイカラなデザインの鋼トラス吊り橋。地元待望の竣工式には、神主を先頭に礼装の行列がうやうやしく渡り初めをしました。また、神奈川県川崎市の久地円筒分水は、用水路の水を円周の比率を利用して公平に分ける仕組みによって、江戸時代から続く「水争い」に終止符を打ちました。たった一つの構造物が、地元の農村に平和と豊かさをもたらしたのです。
こうした物語を知れば知るほど、私には土木が愛おしく思えてきました。連載をまとめた書籍『かわいい土木 見つけ旅』(技術評論社)に採録した土木遺産は、いずれも90年、100年の時を経ていまなおそれぞれの地域で人々に愛され、大切にメンテナンスされています。
古くから土木や建築の工事を手がけ、地域の人たちの困りごとを解決してきたのは、まぎれもなく地域建設業の方々です。なかには地図に残らない、小さな仕事もあるかもしれません。しかし、建設業のあらゆる仕事は「国土を守る仕事」であり、「暮らしを守る仕事」です。各地の土木遺産に触れるたびに、そのありがたさ、尊さを思う気持ちが強くなっています。
[全建ジャーナル2023.12月号掲載]
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