ピッチャーがやりたかった(終)

ピッチャーがやりたかった。
ただ「それだけの話」
それだけの話で10年間、過去の眩しい青春の思い出の裏で後悔している。「ってだけの話」
読み終わったら、へーそうなんだ。って「なるだけの話」

前回の話はこちらから



32.現役引退


「ナイスボール!」

最後の夏の大会一回戦。
僕は1塁ベンチの後ろのブルペンでボールを投げていた。
控えキャッチーの後輩に、目一杯球を投げ込んでいた。

「シュー」
「バシン!」「善家さんナイスボール!」

1塁側スタンドから試合を見守っていた、中学時代の監督が声をかけてきた。

「善家、次からどこや」

「はい、次のイニングからレフトに回ります。」

ブルペンでのキャッチボールだったが、決して僕はピッチャーではない。このあと外野に回るため肩を作っていた。

最後の夏の大会、僕たちは相手にリードを許し、負けていた。

僕は悔いを残すことがないよう、キャッチボールも全力で投げ、守備位置に向かう時も全力で走った。

そして迎えた最終回。

「カキン!」
鋭い金属音が響いた。
ムッチョが打った打球は鋭い当たりだったがショート正面。ショートライナーだった。

「アウト!ゲームセット!」

3アウト。僕たちの最後の夏の大会が終わった。

3年生は皆泣いていたが、後輩のノリがチームで一番泣いていた。

「もう先輩と野球できないんですか。」

「今日で終わりや。おれたちの分も頑張ってな。」

僕は試合が終わったときは泣かなかったが、ノリと会話をしている内に自然と涙が溢れた。

こうして僕たちの高校野球は終わった。
野球は高校まで、と決めていたので僕はこれが最後の野球の試合だった。
小学生の頃ピッチャーに憧れて始めた野球。結局僕は一度もピッチャーとして試合に登板することがなく引退した。
矛盾した言い回しになるがこの野球生活、悔いはあったが悔いはなかった。


33.進路

こうして僕は部活を引退した。周りの同級生たちは大学受験に向けて予備校に通い出したり、学校に居残って勉強したりしていた。シンゲンは野球の実技を使って大学受験をするらしく、1人でトレーニングに励んでいた。
僕はというと、進路のことで悩んでいた。
僕はこのときから、高校を卒業したらNSCに通って「芸人になりたい」と思っていた。
しかし母は、なんとしても「大学に行って欲しい」と言っていた。母も、産みの血のつながった方の父も高校を卒業してからすぐ音楽の世界に入ったため息子には大学に行って欲しかったらしい。

僕は悩んでいた。なにかやりたいことがある訳じゃないが「とりあえず大学に行く」のか、今の自分の夢である「芸人になるか」
僕は部屋に転がった野球ボールを触りながら考えていた。

ピッチャーに憧れてはじめた野球。
僕は結局ピッチャーになれなかった。もう野球をすることがなくなった今、僕は一生ピッチャーをすることがないのだ。胸の中がモヤモヤした。

あのとき「ピッチャーがしたいです」と言えていたら僕はピッチャーになれていたのだろうか。

もし「ピッチャーがしたいです」と言って、それでもピッチャーができなかった場合は、いま自分の胸の中にあるモヤモヤはあったのだろうか。

なぜあのとき「ピッチャーがしたいです」と言わなかったのだろう。

なぜあのとき「マウンドの使い方がわからないので教えて下さい」と自分の気持ちを伝えなかったのだろう。

この胸のモヤモヤは、"後悔"だ。
この後悔は、一生引きずるんだろうな。僕は直感で思った。

僕は芸人になりたい。
今この気持ちを伝えずに就職して大人になったら、「芸人になりたかった」という後悔が一生残るのではないか。

僕は"今"芸人になりたい。
大学に行ってから芸人になるという選択肢もあったが、"今"のこの熱量に蓋をして芸人になったとしても、「あのときに芸人を始めていれば」という後悔が残るのではないか。

ピッチャーができなかったことも、その"後悔の十字架"を背負い続けなければいけなくなったことも、全部「自分のせいだ」

もうこんな思いはしたくなかった。

僕は母と向き合って、芸人になりたいことを伝えた。今まで反抗期もなく、喧嘩もしたことなかったが、初めて母と言い合った。
それでも僕は"後悔"を将来に残したくなかった。

僕は心の底からの気持ちを母に伝えた。


34.おわり

それから4年後。僕は野球グラウンドにいた。

NSC34期と35期による合同草野球の試合だ。
年の差はバラバラで22歳の僕から、30歳過ぎまで。
25歳の先輩が30歳の僕の同期にタメ口で話しかける。
試合の1プレーごとに誰かがボケを挟んで必ず笑いが起こる。
ここは紛れもなく芸人の世界だ。

僕はセカンドの守備についていた。
「ああ、あのときの紅白戦も今ぐらい暑かったな」
季節は夏真っ盛り。蝉がたくさん鳴いていた。

ピッチャーをしていた同期芸人がなにやら言っている。どうやらもう肩の限界で投げれないらしい。

「次ピッチャーだれがするー?」

僕は小走りでマウンドに向かった。

「俺にピッチャーやらせて。ピッチャーするのずっと夢やってん。」

僕はボールを受け取りマウンドに立った。

マウンドの使い方はまだよくわからなかったが、不安は一切ない。

僕は大きく振りかぶって足を上げ、バッターに第一球を投げた。

「シュー」と音を立てたボールは、「バシン」と気持ちの良い音でキャッチャーミットに収まった。



おわり


35.プチあとがき

以上で僕の「ピッチャーがやりたかった」終了でございます!!
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました!!
「何かnoteに書くことないかな」という些細な気持ちから書き始めて、当初は5話くらいで終わると思っていたのですがまさかの17話も書いてました!笑
本当はもっと箇条書き的な感じで簡潔に書こうと思っていたのですが、書くのが楽しくなってしまってダラダラと書いてしまいました。
結局なにが書きたかったのかというと、「ピッチャーがしたかった」ということです!
いまだにネタ合わせ中にシャドウピッチングをしてしまったりします。たぶんこれは一生やるんでしょう。

書きながら色々思い出したり色々思ったことがあったので、それはまた後日ちゃんとしたあとがきを書こうかなあと思ってます。

最後になりますが、全部読んでくださった方本当にありがとうございました!!
もし感想とか送ってくれたらすごく嬉しいです!!

これをきっかけにまたnoteに色々書いていこうと思います!
また後日しっかりとしたあとがき書きますので、それも読んでくれたら嬉しいです。
それではまた!あーい!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?