ピッチャーがやりたかった(16)

ピッチャーがやりたかった。
ただ「それだけの話」
それだけの話で10年間、過去の眩しい青春の思い出の裏で後悔している。「ってだけの話」
読み終わったら、へーそうなんだ。って「なるだけの話」

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29.冷静


1回をなんとか三者凡退に打ち取った僕は、続く2回のマウンドにも上がった。先頭バッターにヒットを打たれた直後、誰がどう見てもボークの牽制球を投げ大爆笑を掻っ攫うというハプニングもあったが、無我夢中でシンゲンのミットに投げ込み続け2回も無失点で切り抜けた。

【ボーク】野球で、走者が塁にいるとき、投手が規則に違反する投球動作をすること。その場合、全走者に次の塁への進塁を許す。
goo辞書

「善家ナイスピッチング!!」
バックの声援を背中に受けながらベンチに帰った。

「ここまで無失点でいけてる。このままの調子で投げるぞ」
1回2回はひたすら無我夢中だった僕は、ようやく冷静になれた。

そして迎えた3回が始まる前の投球練習。試合が始まってから初めて冷静にマウンドに立った。
冷静になったぶん、たくさんの情報が頭に入ってきた。
「この回は下位打線か。抑えなきゃ。」 
「あれ、今日ってこんな暑かったっけ?」
「あれ、マウンドからキャッチーまでってこんなに遠かったっけ?」
そして投球練習の1球目を投げるために大きく振りかぶった。

「あれ、足ってもうちょっと上げてたっけ」

「あれ、マウンドの傾斜、やっぱ苦手だな」

あれ、さっきまでどうやって投げてたっけ

今まではいきなりピッチャーに指名された動揺と、憧れのピッチャーができる興奮で無我夢中に投げていたから気づかなかったが僕は重要なことに気づいてしまった。

「中学時代、結局マウンドの傾斜は克服できていない。あれ、どうするんだっけ」

僕の投げた球は叩きつけるようにホームベースよりも大幅に手前でワンバウンドした。
2球目も同じだった。

「善家、どうした?」
シンゲンと監督が心配して詰め寄ってきた。

ここで弱味を見せたら折角のピッチャーのチャンスが水の泡になる。だめだ。僕は強がって答えた。
「いやちょっと指に引っ掛けちゃって。全然大丈夫です」
僕は大汗をかきながら強がって答えた。

冷静になっていた僕は、この汗が暑さからくる汗じゃないことはすぐに理解した。

そして始まった3イニング目。僕はさっきまでの投球が嘘のようにストライクが入らなくなってしまった。フォアボール、フォアボールの連続。ストライクを投げようとすると球が甘く入って打たれる。この連続だった。

そして何回目かわからない満塁のピンチの場面。
「ピッチャー交代!善家、ショートに入れ」

僕はピッチャーを交代させられた。

遂に訪れた千載一遇のピッチャーチャンス。
僕は3回も投げきれずに降板した。頭の中は真っ白だった。こうして僕のピッチャーとしての紅白戦は終わった。


30.順風満帆?

悔しい紅白戦から少し時間が経ち、秋になった。
僕は背番号5をもらい、サードのレギュラーに抜擢された。1年生でレギュラーだったのはシンゲンと僕だけで、これは野球未経験入部で下手くそだった僕にとっては快挙的な出来事だった。

それから、
俊足の1番バッターとして、甲子園常連の強豪"済美高校"から公式戦でヒットも打った。
中学生の時は打てなかった、外野を真っ二つに割るような長打も打てるようになった。
守れるポジションもサードの他にショートやセカンド、外野などたくさん増えていった。
僕の高校野球生活は順風満帆のように見えた。

でもあの紅白戦以降、ピッチャーとして準備するよう言われることは一切なかった。

もちろん僕はずっと「ピッチャーがやりたかった」

自分の口から「もう一度ピッチャーをやらせてください」と言いたかったが、その勇気が出なかった。

気がつけば、"今まで試合で出場していないポジションはピッチャーだけ"という状態で、最後の夏を迎えた。

憧れの野球の試合に出て、中学時代から同じメンバーで6年間野球を続けて、部活が終わればみんなでマクドでダベって、ときにはみんなで校則を破って反省文の"スタンプラリー"を回って、この経験は僕にとって紛れもない「青春」そのものだった。

でもどこか、満たされていない自分もいた。

しかし、その満たされていない部分を埋めてくれていたのも「青春」だった。

高校3年生になり、この青い春の終わりを告げる暑い夏が始まる。

こうして最後の夏の大会を迎えた。

31.最後の夏の大会


最後の夏の大会が始まった。夏の大会では直前に、地元の新聞が出場チームの登録メンバーとチームの寸評を掲載する。僕のチームはこうだった。

"エースのイシフネは135kmを超える速球を武器に、切れ味鋭い変化球を操る。打線は主将で4番、打率5割を超えるタケダが主軸。守備は俊足で強肩、守備範囲の広い善家が要。中高一貫で6年プレーしたチーム。団結力で勝利を目指す"

毎日一緒に登下校したフネ、シンゲンと一緒に名前を連ねてもらえた。新聞の野球記事を読むのが日課の僕は、自分の名前が新聞に載っているのに興奮した。ちなみにこの時のポジションはレフトだった。

新聞記事を見た、僕に野球を教えてくれたタバコ屋兄弟の兄が電話をかけてきた。

「カズマサ新聞見たよ!あのキャッチボールもできんかったカズマサがレギュラーでがんばりよるんやね!めっちゃ嬉しいわ!」
当時から高校野球オタクだった兄は興奮気味に言った。

「うん、ありがとう。あの頃はピッチャーなりたい言いよったけど、結局ピッチャーにはなれんかったんよ。」
僕は結局ピッチャーになれなかったことを打ち明けた。

「そんなんいいんよ!カズマサががんばって野球しよるってだけで俺は嬉しいんよ。試合がんばってな!」
兄はこう言って電話を切った。

兄は野球が上手で、特に高校野球が好きだった。しかし高校生になっても野球をしなかった。
おそらく何かしらの事情があったのだと思う。
僕はあの頃の自分の野球のルーツを思い出した。
父と初めてやった下手くそなキャッチボール、兄に教えてもらった野球、そこからピッチャーに憧れて野球を始めたこと。
そんな野球も、明日で最後かもしれない。

僕は背番号7が縫い付けられたユニフォームと、"あの頃の気持ち"をカバンに入れてチャックを閉めた。

泣いても笑っても、明日は最後の大会だ。

ピッチャーができずに引退するまであと1日。

つづく。

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