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成功の向こう側           航海 オーストラリアにて

私は21歳の時、オーストラリアを旅した。その中で最も影響を受けたのはイーブンとニコルのフランス人夫妻だった。彼らは子育てを終え、家を売り、念願の世界一周の航海に出た。とりわけイーブンは5年以上の航海をして、夢を実現した。彼らは自分らは特別ではない普通の家庭だと話をしてくれた。いざ自分が彼らが航海したその年代に近くなってみると、世界一周の航海をするのはすごいことだと思う。普通の家庭ではない、類のない家庭だと思う。

私が今考えると、世界一周の航海に出るという決断がすごいことだと思う。いくら長年の夢だといって、夢を叶える時期が来たといっても、実現するのは素晴らしい。その情熱はどこから湧いてくるんだろう。私はケアンズからダーウィンまで3週間ほど航海に同乗した。詳しくはマガジン二十歳のころに記述している。

私は若く、無知で欲に対して素直だったせいか、ヨットに乗せてくれと彼らにお願いをした。彼らは見ず知らずの異国の若者に、人種の違う若者に、偉ぶることなく、機会を与えてくれた。若い私はありがたく好意を受け取ったが、彼らの親切はどこから来るのだろうと今思う。

ヨットの生活はシンプルだった。食料があるうちは野菜とかミルクとか食べていたが、なくなるとシリアルと粉ミルクだった。日中、航海をするときもあれば、夜中航海をするときもある。航海を続ければ、決して楽しいだけのものではないと知る。海の上を日が昇るのを眺め、日が落ちるのを眺める。夜は暗闇の中、星空を眺めながら航海する。大自然の中頼るのはヨットと自分たちの判断力だ。イーブンは別れ際に、私たちがコミュニケーションを取れていれば、もっと航海は良かったのにと話してくれた。私はフランス語を喋れない。英語もそこまで精通していない。そんな若者に自分たちのヨットに乗せてくれる。不思議だ。ダーウィンに到着すると彼らは私に航海した記録、航路図のコピーをとっておくように勧めた。私は彼らの勧めるがままにコピーをとり、日本の実家に送った。航路図が、オーストラリアの記念になっている。

オーストラリアで彼らと出会い、私の価値観は変わった。私の深いところで。若い頃、海外で暮らしたいと夢見たが、社会人になって海外生活をできなかったことに今の私は後悔をしていない。その時パースで4ヶ月半ほど生活をしたからかもしれない。私は彼らの自由さ、心の広さ、生活のシンプルさに惹かれた。ヨットをやっているからといって、贅沢なことはしていない。服装にも無頓着だったし、身の回りの物を大切にしている。

航海の途上で、我々は海を眺めていた。彼らは海を眺めていた。退屈を持て余した若い私は彼らに話しかけたが、ニコルは人生にはこういう時間も必要なの。と教えてくれた。私はそれ以降、彼らと同じように海を眺めた。その時私はよくわからなかったが海を眺めることが特別な行為だと思った。今の私はそこまで彼らのように成熟しているだろうか?



日本にいるとみんなと同じでいることに私は安心を感じてしまう。みんなと同じではないと、世間から外れてしまい私は疎外感を感じる。彼らはフランス人だ。文化は違うからという理由も考えられる。だけれど文化が違うからという理由で人生を括れるだろうか。私は答えらしきものを出せない。ただいつも本当だろうか?これが私の本当にやりたいことだろうかと問い続けている。問い続けるしかできないのだ。

私は日本に帰国して、彼らにフランスにお礼の手紙を書いた。ニコルはフランスに帰国して、クリスマスにイーブンはフランスに一時帰国して、また航海をして、その年の5月か6月に航海を終えると返信が来た。


私はケアンズからダーウィンの3週間の航海のことしか知らない。一緒に生活をしたわけではないから彼らの人生がどういうものだったかを知らない。一般的に見れば彼らは人生の成功者だと思う。私もそう思う。彼らと接した私は成功の向こう側にあるものは自分のやりたかったことをやりきったことだと思う。誰しもが彼らのように人生は送れない。でもイーブンは自分の夢に誠実であった。そして誠実であり続けた。ニコルは昔からイーブンのことを知っているし、一緒に航海をしたし、子供達もイーブンと航海をした。やっぱりすごい人たちなのだと思う。

私はこの航海の話でオーストラリアの話はお終いにしようと思う。21歳の時にオーストラリアを旅し、30年間近く、その旅について考え続け、楽しめたのだ。もう十分満足である。

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